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   桑原靖夫のブログ

怪獣ビヒモスを追って(1): 工場制の盛衰

2018年04月28日 | 怪獣ヒモスを追って

 

Sir Thomas Lombe's Derby Silk Mill in 1835
Source: Freeman 2018, p.2 

イギリス産業革命のモデル的工場として建設されたダーヴィー絹工場(1835年)

 

産業革命以降の歴史の流れを辿ると、改めて述べるまでもなく工場が生産にかかわる領域は想像以上に拡大してきた。それまで手作りで加工されていたものが、いつの間にか工場生産になっている。

イギリス産業革命期を挟んだ時代に、同時代人が世の中をどう見ていたのかという観点で編まれた『パンディモニアム 』を繰っていると、記憶の底に沈んでいたさまざまなことがとめどなく思い浮かんでくる。現代の巨大な産業社会を生み出した先人たちの努力、そして彼らを背後で強く駆り立てていた「工場制」factroy system についての思いが脳裏を駆け巡る。その結果は「第4次産業革命」といわれる現代の産業社会にまでつながっている。

産業革命が生まれた頃、当時の社会はどんな状態だったのだろうか。そしてその後いかなる展開をたどったのだろうか。『パンディモニアム 』に収録された同時代人がさまざまに語っているが、イギリス産業革命の原動力として生まれた「工場制」factory system は、その後世界的範囲へ拡大しで瞠目すべき大発展を遂げた。

 

18世紀中頃、イギリスの田園地帯に次々と作られる工場のイメージ

The Cyclops Works. drawing, probably in pen and ink heightend with wash and bodycolour, c.1845-1850. Photolithographic reproduction frm Messers Charles Cammell and Co. Ltd. (Sheffield: privately published, n.d. ), opp.1. Sheffield City Libraries.(Barringer p.194)


18世紀初め、イギリス中部ダービーシャーDerbyshire に初めて作られた John and Ghomas Lombe’s Brothers による絹工場は、5階建ての煉瓦作りの近代的建物であり、その巨大さと斬新さで当時の人々の大きな関心の的となり、見学者が長い列をなした。ダニエル・デフォー、アレクシス・ド・トクヴィル、チャールズ・ディケンズ、クワメ・エンクルマなど内外の著名人がこぞって訪れた。多くの人たちはこうした革命的変化の原動力である工場制と資本主義の負の側面には気づくことなく、わずかに、マルクス、エンゲルスなどの一部の経済学者たちがビヒモスの本質と結果を見通していた。

同時代の力織機を使った製糸工場内部

J.W. Lowry after James Naysmith, Power Loom Factory of Thomas Robinson, Esquire, Stockport, 1835.   Engraving, published by Charles Knight, frontispiece to Andrew Ure, The Philosophy of Manufactures: An Exposition of the Scientific, Moral, and Commercial Economy of the Factory System of Great Britain (London:Charles Kinght, 1835, Yale University Press Library.

イングランドの緑溢れる田園地帯に突如として現れた巨大な工場は、力織機を中心にし一貫した生産体系で、動力は23 フートの巨大な水車が訪れる人の目を奪った。ここに産声をあげた「工場制」なるシステムは、蒸気機関の発達などと相まって、さらに資本主義という激流と重なり合い、その後2世紀近くの間に、あたかも巨大な力を備えた「怪獣ビヒモス」のごとく、ヨーロッパ全土、アメリカ、日本などを蹂躙し、急速に世界を席巻する潮流となる。

最近のBREXIT問題やロナルド・トランプの発言を巡る騒動は、アメリカやEUにおける工場の盛衰と必ず一体となって提起される。例えば、鉄鋼、アルミニウム、自動車などの工場の盛衰である。これまで競争力のある国の工場から別の国への移転、他の地での新生、再生とリンクしている。

ブログ筆者は、これまでかなりの数の事例を目にしてきたが、かつての巨大な溶鉱炉が火を落とし、煙を吹き上げていた煙突群も次々と破壊されてゆく光景は見るに忍びないところがある。それまで繁栄していた工場都市といわれた光景とそれと切り離し難い地域の人々の生活スタイルも大きく変わる。東北大震災被災地のような場合は、衰退の原因は異なるが、近似する部分が多い。かつての繁栄の象徴も産業の盛衰とともに大きく姿を変える。

工場制盛衰の膨大なアンソロジーを展開することがここでの目的ではない。それはとてつもない仕事であり、多くの蓄積がある。その中から薄れた記憶が蘇る限りで、印象に残るいくつかの点をシリーズで記してみたい。

「工場制」factory system という巨大怪獣「ビヒモス」はイギリスで生まれ育ち、ヨーロッパを経て、新大陸アメリカへも影響力を拡大する。最初にビヒモスが足を踏み入れた北東部ニューイングランドも自然に恵まれた田園地帯であった。最初に工業化のモデルとなった綿工業は、ローウエル(マサチューセッツ州)に代表されるようにパターナリスティックな経営であった。全寮制で就業後には農村から出てきた若い女子の独立した人間としての育成にも応分の配慮を加え、宿舎において、詩集、文学などの手ほどき、工場生活を終わった後の女性としての独立への準備などさまざまな教育が行われていた。「ローウエル文学」の名で後世にも知られる。

しかし、その後、こうした牧歌的な労働環境は、猛々しさを加えた「工場制」ビヒモスによって排除淘汰され、厳しい経営、労働環境へと移行して行った。綿興行の南部原綿産出地への地理的移動も産業の性格を大きく変容させた。

19世紀に入ると、鉄鋼、自動車などの分野で、アンドリュー・カーネギー、ヘンリー・フォードなどの優れた経営者が輩出し、「工場制」の実態も大きく変わり、その後のアメリカ産業の基盤につながる発展を遂げる。さらにビヒモスの足跡はさらに拡大し、そのフロンティアは中国やアフリカへ移り、強大な怪獣の容貌を見せている。

「工場制」はアンビヴァレントな(愛憎併せ持つ)特徴を持っている。とりわけ、産業革命初期には巨大な生産力を持った工場が生まれ、仕事を創り出すなどのプラス面を提示した反面、故郷を失った労働者を多数生み出し、同時にかつてない貧困な都市下層を作り出した。こうした階層の分裂は、所により姿を変え、今日にいたり「格差問題」など深刻な問題をグローバルに露呈している。


 

References
Joshua B. Freeman, BEHEMOTH: A History of the Factory and the
Making of the Modern World, New York: Norton, 2018.

「工場制」システムの今日にいたる歴史を概観するには、簡潔に描かれ、分かりやすい良書である。惜しむらくは画像、図版の印刷があまり良くない。

Tim Barringer, MEN AN WORK・Art and Labour in Victorian Brotain, Published for the Paul Mellon Centre for Studies in British Art by Yale University Press, New Heaven & London, 2005

本ブログ内シリーズ「L.S.ラウリーとその時代」は、産業革命発祥の地マンチェスター周辺における産業と地域、人々の生活を丹念に描写した稀有な画家の生涯と作品について記したものである。

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