バブル崩壊前の80年代半ばのことである。東京へ来たイギリス人の友人が、道端に多数駐められた自転車を見て、しきにに感心していた。自転車などイギリスでも珍しくないのにと思って、理由を尋ねたところ、簡単な鍵しかいないし、無造作に乗り捨てられているのに驚いたという。イギリスだったら鍵をかけた上で、柱や柵など固定したものにチェーンなどで縛り付けておかないとすぐに盗まれてしまうという。時々辛辣なコメントをする友人から、日本は安全な国だということが分かったよと云われ、率直に嬉しく思った。
それまで、あまり気をつけて観察していなかったので、その後イギリスに滞在した折に、街中に止められている自転車を見てみると、確かに鎖で柱などにしっかりと固定されている場合が多かった。それでも、在外研修に来ていた友人が、一寸した隙に自転車を盗まれたという話も聞いた。
その後、日本では放置自転車がさまざまな問題を引き起こしていることを知る。時々、トラックなどで違法な駐輪をしている自転車を積み込んで撤去するという自治体も増えた。放置されて、引き取り手がない自転車を修理して、アジア諸国へ寄贈するというNPOを設置した知人もいる。
他方、駅舎や市役所など、人が多数集まる場所に駐輪場が設置されるなどの動きもあって、トラックに山積みにされる自転車の光景を見ることも少なくなったようにも思っていた。
しばらく、忘れていたところ、昨日ふと聞いたラジオのニュースは、ショッキングだった。東京、足立区では、あまりに自転車の盗難が多いので、鍵を一台に二つつけるよう、区がキャンペーンを始めたという。
日本の公徳心やモラルが90年代以降、急速に低下していることは、さまざまに指摘されてきたが、ついにここまできたかという思いがした。自転車という日常目にする、それ自体は小さな光景だけに、かえって衝撃が大きい。あの友人が、今度日本へ来たらなんというだろうか。
このところ、まさかと思うことが次々と現実化し、眼を瞑りたくなることが増えてきた。ラ・トゥールの世界へ戻る時かもしれない。