Clare Robinson, Rome 1600, The City and the Visual Arts under Clement VIII,
New Heaven: Yale University Press, 2016 (cover)
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“Summer afternoon—summer afternoon; to me those have always been the two most beautiful words in the English language.”
– Henry James
夏の午後 ― 夏の午後; それは私にとって英語の中で最も美しい言葉だ。
― ヘンリー・ジェイムス
この梅雨の間、折に触れて眺めていた美術書があった。Clare Robertson, Rome 1600: The City and the Visual Arts under Clement VIII, New Heaven: Yale University Press, 2016(クレア・ロビンソン『1600年のローマ:クレメンス VIII の時代のローマと美術』がそれである。著者は現在、University of Reading の美術史の教授でイタリア美術の専門家だが、かつて講演を聞いたことがあり、Il Gran Cardinale: Alessandro Farnese, Patron of the Arts, New Heaven: Yale University Press. 1992 を読んだことがあった。
美術書は、しばしば版が大きく、上質な紙が使われ、大変重い。書棚なども一般書籍の棚には収まらないことがしばしばある。長らく専門としてきた経済学の書籍は、一般にはるかに小さく、片手で楽に持てる程度のB5、A4など軽い体裁だが、美術書の多くは一般に片手の上で読むこと自体不可能に近い。とりわけ海外の研究書や展覧会カタログは非常に重い。電車の中で手軽に読むなど、とても考えられない。変色を防ぐため日焼けも避けたく、取り扱いにもかなり気を遣うのだが、いつの間にか、自分の専門でもない美術書が書棚を占領してきた。
本書は450ページくらいで、美術書としてはとりたてて大きいわけではない。しかし、うっかり足の上にでも落としたら骨折しかねないほどの重さがある。この書籍の場合、重さは約2kg、表紙は鋼板のように硬い。実は筆者も別の書籍だが、一度取り落として、骨折は免れたが、しばらく打撲傷で厳しい時を過ごしたことがある(これまで多数の書籍を断捨離してきた報いかも?)。それ以降、こうした大部の美術書は、床あるいは大きな机の上に置いて見るようにしている。夏の暑い午後など、行儀は悪いが、寝転んでルーペ片手に名画の細部などを眺めるのは暑さしのぎにもなる(余談になるが、何度か訪れたローマの夏は何時の頃からか、際だって暑くなったような気がする。本書を見ながらもう一度訪れたい気もするのだが、あの暑さを思うと、考えなおすことになる)。
本書に関心を抱いた動機のひとつは、その表題であった。『1600年のローマ』 という主題に惹かれた。もちろん「教皇クレメンスVIII世(1536-1605)の時代のローマと美術」という副題がついているから、この1600年は、教皇および美術家のパトロンとしての治世下におけるローマに展開した美術活動ということは直ちに分かる。この時代区分については、歴史家ジャック・ル=ゴフが問題にしている重要テーマなのだが、今回は深入りしない。
興味ふかいことに、1600年は、jubilee (古フランス語:jubile、通例25年ごとの聖年、大赦の年)にあたっていた。イタリアン全土のみならず、アルプスの北からも多くの巡礼、そして画家、彫刻家、建築家なども集まってきた。一説によると、1600年におけるローマの常住人口は通常年の2倍以上に膨れ上がったという。ローマはヨーロッパ美術世界の中心として燦然と輝いていた。教皇は、この機会にローマの教会活動の発展を図りたいと考え、サン・ジオヴァンニ・ラテラノ大寺院の建設、多くの教区の教会の修復などを企画、実施した。ローマのカトリック教会は、この年を対抗宗教改革の反攻の年と考え、美術もその有力な手段として活用した。
本書がスコープを当てているのは、このカトリック、プロテスタントそれぞれの宗教改革、そして美術史上の革新期でもあるローマの発展の俯瞰である。その中心には二人の画家がいた。アンニバレ・カラッチ Annibale Carracci (1560-1609)とカラヴァッジョ Caravaggio (1571-1610)である。この二人は目指した方向は大きく異なっていたが、17世紀のヨーロッパ絵画の世界に多大な影響を与えた。
アンニバレは美術家学校を設立し、古典美術の伝統と併せてミケランジェロやラファエルのようなルネッサンス盛期の天才の画風を取り入れ、新たな方向を目指していた。他方、カラヴァッジョは生来、粗暴で、重大な犯罪に関わるなど、悪評の高い画家ではあったが、テネブリズムなどの技法を十二分に活用したリアリズムは、文字通り衝撃的であり、イタリアのみならず北ヨーロッパまで、多大な影響を及ぼした。
この時代、ローマの絵画界はきわめて多士済々であり、この二人にとどまらず、多くの画家たちが切磋琢磨する場でもあった。ルーベンス(1577ー1640)もそのひとりだった。ローマの藝術空間は、瞠目すべき広がりを持っていた。
1593年にはローマで最初の美術アカデミー Accademia di San Luca が設立された。初期の段階はズッカロ Federico Zuccaro (1539/40-1640)が指導したようだ。ズッカロは画家としてきわめて人気があり、ヨーロッパの広い領域で活躍し、エリザベス女王一世の肖像画も依頼されている。
この時期は宗教画にとどまらず、世俗画の領域でも多くのパトロンや愛好家が生まれ、今日の画廊の原型も生まれた。画家を志す若者の技能習得、修業の輪郭もかなり明らかになっている。これまでにもブログで簡単に取り上げたこともあるが、機会があれば深入りしたいテーマだ。さらに、このブログでも話題としてきた、ジョルジュ・ド・ラ・トゥールのイタリア行きの可能性についても、さらに議論したいこともあるが、少なくも1600年の時点では。ジョルジュはおよそ7歳と推定され、仮にローマを目指すにしても1607年くらいから後のことになると考えるのが妥当と思われる(筆者はブログでも記したが、ラ・トゥールはなんらかの理由で、ローマへ行く機会を逸したと考えている)。
本書はいわば1600年頃のローマの美術界のスナップショットといってもよいかもしれない。探し求めていたいくつかの事実も確認できた。いずれ、紹介する機会があるかもしれない。
世俗の世界は、日本でも各地に高温注意情報が出るほどの酷暑となった。一冊の美術書は使い方によっては、格好な清涼剤となってくれるかもしれない。荒涼たる光景が増えてきた昨今だが、少しでも楽しく、ゆとりをもって過ごしたい。
今夏も何人かの素晴らしい先達、知人、友人とお別れした。来たるべき世界のことを考えると、良い時に去られたのかもしれない。謹んで哀悼の意を捧げたい。