この季節、日本の八百屋、スーパーなどの店頭を飾る果物の代表は蜜柑だ。日本は柑橘類が豊富なのか、名前もよく知らない品種もある。その中で蜜柑は日本人の生活に深く溶け込んできた。
みかんを見るとしばしば思い浮かぶ芥川龍之介の短編『蜜柑』を、年末に読み直してみた。長年、ブログ筆者が折に触れ愛読してきた一篇でもある。
舞台は横須賀発上りの二等客車の中である。当時の客車の車窓は開けることができた。しかし、客車を牽引するのは、石炭火力のSL、蒸気機関車だ。トンネルなどに入ると、煤煙が客車に吹き込んできた時代の話である。
芥川本人と思われる主人公は、この列車の二等車に一人乗っている。今の時代ならばグリーン車だろうか。そこに、粗末な身なりで、顔立ちも主人公には貧相に見える十三、四歳の娘が発車間際にせわしなく入ってきた。大きな風呂敷包みを抱え、霜焼けで赤くなった手には三等の切符が握られていた。二等車も三等車の区別も分からないのかと、主人公は見てみないふりをするように努めていた。あたかも主人公の心の平静を乱す存在かの様な扱いである。
列車が走り出し、墜道(トンネル)に入る。客室に煤煙が入るのを気にもせず、女の子は窓を開けようとする。困った娘だと煙にむせながら主人公が思った時、列車は墜道を抜ける。その時、娘は懐から数個の蜜柑を取り出し、窓外で何やら声を挙げている三人の子供たちに投げてやる。それまで小娘のことを視界から追いやりたいほど厄介に思っていた主人公は、一瞬にして事態を悟る。
娘の弟たちが家計の助けにと奉公に出る姉の見送りに、踏み切りの所で待っていたのだ。小娘と見えたのは、この子供たちの姉であったのだ。懸命に手を振る弟たちのために、娘は蜜柑を投げてやった。蜜柑は旅の徒然にとおそらく誰かが餞別代わりに娘に持たせたのだろう。蜜柑は娘の手を離れ、鮮やかな蜜柑の色を見せて子供たちの手に乱落して行った。
そして、主人公の心の内などどこ風吹くかのように前の席に戻ってきた娘は、「大きな風呂敷包みを抱えた手に、しっかりと三等切符を握っている。・・・・・・」
作家(私)は、この一瞬の情景を次のように結んでいる。「私はこの時始めて、云いようのない疲労と倦怠とを、そしてまた不可解な、下等な人生を僅かに忘れる事が出来たのである。」
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娘の手を離れた数個の蜜柑が、それまで世俗に汚れ、疲れて落ち込んでいた主人公(芥川)の頭脳に一瞬の輝きを放ったのだ。この短篇に限らず、芥川の作品には『上海遊記』にも散見されるように、当時としてもかなり差別的あるいは侮蔑的な言辞を弄している部分がある。『蜜柑』においても、同じ客車に乗り込んできた娘を視野に入れたくないような存在として描いている。しかし、そのことが主人公の人間を見下したような人生観に、娘の行動が一撃を加えるような衝撃となったことを際立たせている。「疲労と倦怠」の状態にあり、「不可解な、下等な人生」とは、主人公(恐らく芥川)のそれを指すものと考えるべきだろう。
『文末解説』(石川透)によると、芥川はこの題材を、有島武郎が伊太利亜アッシジの旅で目の当たりにした、貴婦人が列車の窓外の子供たちに菓子箱を投げてやった光景を記した『旅する心』(1920年11月)と題した情景から構想したのではないかと、後世の批評家などから推測されているようだ。
しかし、そうだとしても、そのことが芥川という稀有な作家が安易なすり替えを行ったとは考え難く、芥川の非凡な構想力が生んだものとブログ筆者には考えられる。見慣れた蜜柑が宝石の様に輝いて見える。
芥川竜之介『蜜柑・尾生の信他18篇』岩波文庫、2017年