ヒエロニムス・ボス『地上の楽園』(『快楽の園』)
マドリード:プラド美術館
2000年に修復
1588 年、スペインの無敵艦隊アルマダがイギリスに破れて間もない1593年に、ヒエロニムス・ボスの最高傑作といわれる『地上の楽園』(『快楽の園』) Garden of Earthly Delightsは、フィリップII世の美術コレクションに正式に認定されたといわれる。作品は1世紀ほど前の1504−5年くらいに制作されたと推定されている。しかし、正確な制作年次、画家の詳しい経歴は明らかではない。南ネーデルラントのエルトーゲンボスで生まれ、広くヨーロッパで活動したとみられる(これらの点は以前にブログでも記した)。
彼の作品がいかなる経緯でスペイン王室のものとなったかについても経緯は不明ではあるが、スペインは当時南ネーデルラントへ進駐し、北ネーデルラントと戦っていた。今日、ボスはフレミッシュの画家たち、ピーター・ブリューゲル(父)、ルーベンスなどのカテゴリーに含まれている。
このような経緯は別にして、ボスはいかなることを思い描き、この作品を制作したのだろうか。画家は当時の状況で、世界観のようなものを思い描いていたのだろうか。もし、そうだとすれば、彼の抱いていた世界観とは、どのような背景から生まれ、形成されたのだろうか。さらに、この世における「地上の楽園」あるいは「ユートピア」なるものは、なにが契機となって絵画作品へと具体化されていったのだろうか。
人類社会の行方
多くの現代人とっては、来たるべき世界について考えたりする余裕もない日常だろう。ましてや地球上のどこかにボスが描いたような「楽園」や「ユートピア」が存在するなど想像しがたい。それどころか、最近のシリアのアレッポの惨状に見るように、地球上の現実は人類滅亡の危機に近づいていると考える人々も少なくない。近年の世界の激変はこれからの時代が容易ならざるものであることを様々に告げている。
それならば、あのヒエロニムス・ボスは、なぜ到底平和な時代とは言えなかった16世紀ヨーロッパにあって、この祭壇画『地上の楽園』を制作したのだろうか。さらに、そこにかなり奇怪でもあり、官能的ともいえる享楽的な光景が描かれるについては、なにかそれを裏付ける背景があったのだろうか。画家は作品を通して、なにを語ろうとしているのだろうか。
今日に残るこの3連式祭壇画の左右両翼には天国(エデンの園)と地獄と思われる光景が描かれているが、中心に描かれている光景は、伝統的なキリストや聖母の姿ではなく、人間があらゆる快楽を享受していると思われる、きわめて享楽的で異様な光景だ。この作品が生まれた16世紀に、これを思わせる光景がどこかに存在したとは到底思えない。現世における人間が享楽にふける有様を、想像のかぎりを尽くして描いたのだろうか。
この作品に限ったことではないが、細部にわたって見るほどに、画家が並々ならぬ蓄積、熟慮と発想の下に制作したことが伝わってくる。総体として、当時の絵画では異端としか思われかねない奇想と深い知的蓄積に溢れた作品である。このたびの生誕500年記念事業で、現代の科学的分析とこれまでの研究の成果を元に考え直しても、依然として画家の真の意図が解明しきれたとはいいきれない。
暑さを忘れさせた作品
酷熱の日々が続いた今夏、暑さしのぎに、ボスの生涯と作品について、多少深入りして考えてみた。幸い、今年は画家没後500年にあたり、2016年には大規模な記念事業を含めてきわめて多くの研究書や解説書が出版された。筆者が目にしえたのは、そのうちのわずかなものに過ぎないが、それでも多くのことを考えさせられた。
Hans Belting, Hieronymus Bosch: Garden of Earthly Delights, cover
「地上の楽園」と「ユートピア」
人類の未来はどうなるのか。先の見えた筆者としてはどうでもよいことなのだが、それでも興味を惹かれることもある。ボス・ヒエロニムスとその時代的な意味について考えている間に、ある指摘に行き当たった(Belting 上掲書 2002, 2016, 107-122)。
ボスの作品『地上の楽園』」と、サー・トマス・モア『ユートピア』に関するきわめて興味深い議論である。とりわけ、ここで話題とするのは、ベルティングが「文学との対話における美術の新しい概念」A new concept of art in dialogue with literature と題した論考である。ただし、ここに記しのは、そのほんの一部にすぎない。
著者ハンス・ベルティング Hans Beltingは、ボスのこの作品を黙示録的というよりはユートピア的であるという。他方、美術史家のラインデルト・ファルケンブルグ Reindert Falkenburug は、この作品は、画家の神人同形説(擬人観)ともいうべき範疇に入るもので、見る人の想像的対応が必要という。客観的解釈を拒否する考えともいえる。他方、エルウイン・パノフスキ Erwin Panofskyは、白昼夢あるいは悪夢のようなもので解明すべき点がきわめて多く残されているという。いずれにしても、ヒエロニムス・ボスの本作品制作に当たっての心象世界については依然謎が残る。
「ユートピア」の思想と影響
他方、ユートピアという考えは、プラトンの時代まで遡るが、ボスの時代にヨーロッパでも一定の浸透があったようだ。しかし、影響力という点では、ユートピアという言葉を世界に広めた16世紀の大思想家サー・トーマス・モア Sir Thomas More (1478-1535)が傑出している。1516年に仮想の島「ユートピア」Island of Utopia への旅行記を刊行し、大きな話題となった。偶然この年に、「地上の楽園」 を描いたボス・ヒエロニムスが世を去っている。ボスとモアは、ほとんど同時代人であったのだ。
Thomas More
The Island of Utopia
1518
Woodcut, 17,8 x 11,8 cm
Öffentliche Kunstsammlung, Basel
ユートピアという言葉を世界に広めたトーマス・モアの作品「ユートピア」は大きな話題を呼んだが、初版の原文はラテン語で書かれた。画家であるボスは、モアの「ユートピア」を読む機会を得なかった。他方、「ユートピア」が発行された翌年からマルチン・ルターの宗教改革活動も始まっている。15世紀後半から16世紀前半にかけての時期は、ヨーロッパでそれまで見えなかった新たな思想が、深層から芽生え、胎動し始めた時代だったと言えるかもしれない。
モアのユートピア社会という構想が、ほぼ同時代の画家ボスの『地上の楽園』に描かれている享楽的ともいえる人間の世界の理解といかなる位置関係にあったかということは大変興味深い。文学と美術という観点からベルティングが示唆する点でもある。モアの『ユートピア』は、ボスの世界ほどパラダイス的ではない。さらに、現代人が「理想郷」と考えるような素朴なユートピアでもない。モアの描いた「ユートピア」には非人間的な管理社会の色彩があり、奴隷も存在する階層社会でもある。単純な自由主義的理想郷ではない。この点はモアの辿った悲劇的な人生とも重ねて考えたいが、このブログの次元を超える。
ボスそしてモアの作品の根底に流れる思想を考えると、絵画と文学という違いはあるが、この時代のヨーロッパの人々、とりわけ知識人の間に漠然と共有されていた世界観の本質的な部分が反映されているように思われる。
その点をめぐり去来することはかなりあるのだが、到底この小さな覚え書きの範囲を逸脱するし、筆者の能力を超える。ただ折に触れ、夏の夜の夢想(妄想?)の断片を記すことがあるかもしれない。
Thomas More, Utopia, Penguin Classics, cover
イギリス人の多くが手にしたといわれるRobinson 訳
なかったので、Dominic Baker-Smith (Penguin Classics)と
平井正穂訳を参考に読んだが、今読んでもきわめて
興味深い作品である。
References
Hans Belting, Hieronymus Bosch: Garden of Earthly Delights, Munich Prestel (2002 first hardback) 2016 reprinted.
トマス・モア『ユートピア』(平井正穂訳、岩波書店、1978年