時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

グローバル化の衝撃~~繊維産業のケース~~

2005年04月06日 | グローバル化の断面
グローバル化の衝撃:激変する繊維産業(1)

 最近、東京銀座の並木通りあたりを歩くと、以前と景観が一変しているのに気づく。店の多くが外資系のファッションや装飾品関係の店になっている。とりわけ、フランス、イタリア、アメリカなどのファッション関係の店が多い。その中には、かつて調査に訪れたイギリスの名門繊維企業などもあり、驚かされた。どの店もそこそこにお客が入っているようだが、内情に通じている人の話では、どこも経営はかなり大変らしい。
 「ヨーロッパのファッション業界の苦境」という記事(注)を読んだこともある。それによると、ジバンシー、イヴ・サン・ローラン、ヴェルサーチ、ヴァレンチーノ、プラダなどの名店は、このところいずれも損失計上しており、わすかにシャネルだけが利益を上げたと書かれている。
 ヨーロッパの衣服産業は5年以上にわたり、低迷、苦境をつづけており、資本関係も変わったところが多いらしい。その背後にはなにがあるのか。実はここにも中国が大きく影を落としていることが分かった。グローバル化のひとつの現れである。

繊維製品の貿易完全自由化の衝撃
 2005年1月1日、欧米諸国を中心に設定されてきた繊維製品の輸入数量規制が完全撤廃された。その結果、世界の繊維、服飾・衣料、ファッション業界に多大な影響が出始めており、世界の繊維産業史上、最大ともいえる変化が展開しつつある。物財・サービスの貿易分野で完全に自由化されているものは少ないので、繊維産業のケースはグロバリぜーションの影響を測るについて大変参考になる。
 EUは現在の段階では繊維の主たる輸出者であり、衣服の第二の輸入者である。産業としては2003年時点でおよそ270万人を雇用し、225億ユーロ($250bill.)以上の売り上げを記録した。しかし、EUの中国からの輸入は2001-03年でほとんど倍増した。その急増の原因の一部は、10年前に始まった輸入割当制度(クォータ制)の段階的撤廃によるとみられる。WTO(世界貿易機構)は、2年以内に世界の繊維市場の約50%を中国が占めると予想している。世界中に生産・供給網を築きつつある中国は、3500億ドル規模の巨大市場の覇者となると推測されている。中国製品は、2005年末でアメリカの衣料市場の50%、EU市場の29%を占めるだろう。
 現在は欧米、日本など先進諸国向けに衣料を輸出している国は60カ国以上にわたるが、数十カ国が市場から締め出される可能性が大きいと予想されている。そのため、今後、生産コストの大幅削減、中間業者の消滅、小売価格の下落、生産拠点の集約化など、この産業には劇的な変化が起こるだろう。繊維製品は、そのどれをとってもMade in Chinaという状況が生まれることになる。
欧米諸国では、すでに労働組合やロビイストが新たな貿易規制の導入を要求し、活動をしている。その要求は、中国の競争力の秘密は、国営の苦汗労働制度、劣悪な労働環境と低賃金にあるとしている。アメリカの繊維産業の労働組合は過去3年に35万人の仕事が失われたという。
 しかし、実際には中国の優位と賃金水準の間に直接的な関連性はない。インドやインドネシア、ベトナムの方がずっと低い。シャツ1枚の生産コストに占める人件費の比率は、10%前後である。中国の真の強みは、最先端の生産設備、急成長する物流ネットワーク、不合理な数量規制を逆手にとる才覚などが重なったものとみられる。先年、上海近傍の繊維企業を見学して驚いたことがあった。最新鋭の設備と数少ない女子労働者で、高級シャツを製造しており、日本のデパートの商標から価格タグまでつけて出荷していた。その前に、日本で老朽設備のこともあって若い人が集まらず、高齢者と中国からの研修生に頼っている工場を見ていたので、時代の移り変わりのすさまじさに瞠目した。いまや、中国が生産するアパレル製品は年間200億点以上、4万社の企業が1500万人を雇用していると推定される。(画像は中国最先端の繊維工場)

数量規制の思わざる結果
 イギリスそして日本も、戦前は世界の主要な綿製品輸出国であった。競争力を失ったアメリカ繊維業界は政府に働きかけ、50年代半ばには日本政府に圧力をかけて「輸出自主規制」を設定させた。欧米諸国は開発途上国に特恵関税を与えてきた。
 その後アメリカは、1999年11月、中国のWTO加盟承認の際に、繊維製品の数量割当制(クオータ制)を中国側譲歩の一部として、アメリカと中国間で協定したものである。しかし、この仕組みは、皮肉なことに中国に対する間接的な国際援助になり、成長の起爆剤の役割を果たした。
中国産業の急速な拡大は、先進諸国の繊維・衣料産業などに多大な衝撃を与え、雇用機会の喪失など、大きな影を落としている。次回は、この点を中心に問題を整理してみたい。
(続く)

"European textiles: The sorry state of fashon today", The Economist, January 29th 2005.
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ラ・トゥールを追いかけて(13)

2005年04月04日 | ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの部屋

「手紙を読む聖ヒエロニムス」
St. Jerome Reading
Georges de la Tour,Saint Jerome Reading, c.1624, the Royal Collection, Hampton Court Palace, Her Majesty Queen Elizabeth II.

できの悪いラ・トゥール?
 ラ・トゥールの作品の中で、この「手紙を読む聖ヒエロニムス」は、実物に接する機会が最も少ないもののひとつかもしれない。というのは、作品の所有は1662年頃、チャールスII世によって購入された後、イギリス王室に帰属しているのだが、絵の状態が度重なる修復作業などで痛みがひどく、美術館での展示には耐え難くなっているためといわれている。購入当時は、「アルブレヒト・デューラー風」の絵として、ラ・トゥールとは思われていなかったらしい。後に、美術史家ケネス・クラークは「できの悪いラ・トゥール」と評したといわれる。

  最後に美術展に出品されたのは、1972年のオランジュリー展といわれるから30年以上前になる。私自身がラ・トゥールに大きな関心を持ったのは、まさにこの展覧会であったから実物に出会えたのはきわめて幸運であったのかもしれない。という状況のため、今日では一般にはカタログなどの印刷物で見ることになる。

多数ある聖ヒエロニムス像
 もっとも、聖ヒエロニムスを主題とした作品は、ラ・トゥールの工房で多数制作されたとみられ、使徒が手紙を読むテーマについても、ルーヴル美術館が所蔵する模作といわれるもの(どくろ、書籍などアトリビュートが多い作品)、ナンシー歴史美術館が所蔵する息子エティエンヌの作品ではないかとされるもの(「夜」の作品、細身の使徒像、サインあり)などが残っている。前者は、私のようなアマチュアが見ても、構成その他ラ・トゥールらしくない。

  後者は、比較的近年までフランスの旧家が所蔵していたもので、専門家の間にもまったく知られていなかった作品である。1992年のオークションでロレーヌ歴史美術館が取得した。しかし、ラ・トゥールらしい微妙なブラッシュさばきがないとして、息子のエティエンヌの作品ではないかとする専門家(たとえば、Thuillier 1997)もいる。私自身はこの絵は使徒像の中では比較的好きな方である。描かれた人物も、王室コレクションの作品よりは、はるかに聖書学者風?ではある。

  聖ヒエロニムスは、ほぼ4世紀の人であり、しばしば「初期キリスト教会の父あるいは博士」ともいわれてきた。ヘブライ語およびギリシャ語からの聖書のラテン語訳を20年かけて完成したと伝えられるからである。ラ・トゥールは1620年代半ば、「アルビの使徒」シリーズとほぼ同じ時期に、この作品を手がけたと推定されている。この聖人は、反宗教改革の過程でとりわけ重要な人物として浮上してきた。有名なトレント会議が、最も重要な使徒の一人と定めている。
  
修復しすぎ?
 画集などで、この絵を改めて見ると、確かに画面の痛みのひどさは、直ちに伝わってくる。大変に画面があれている。しかし、ラ・トゥールの細部にいたる綿密な検討と、それを可能にした絶妙な技法は片鱗がうかがわれる。とりわけ、画家は人物の髪とか、紙や手指の透明さなどの描写に素晴らしく秀でていた。他の作品でより明瞭に感じられるが、現在の写真に匹敵するといってよい精密さである。この絵も半透明の紙に記された手書きの文字を読む使徒の姿が、実に真に迫って描かれている。

 ラ・トゥールは学者としての聖ヒエロニムスの特徴を強調したと考えられる。使徒の時代では珍しかったに相違ない、眼鏡で文書を読む姿が描かれている。「アルビの使徒」と同じ頃の作品らしく、描かれた手の無骨さなどは、普通の人をモデルとした他の使徒の場合と同じといってよい。確かに、ラ・トゥールの現存作品の中では、それほど図抜けたところがない。しかし、「できのわるい」のはラ・トゥールではなくて、下手な修復家の方ではないかとも思ってしまう。世間の目は、天才に厳しい。

 ヨーロッパ美術の伝統にならい、聖ヒエロニムスは、初期の教会における基本教理の確立者のひとりとの位置づけがなされてきた。それとともに、聖ヒエロニスムスは禁欲主義の人としても知られ、自ら、世俗世界と肉体を否定し、シリアの砂漠へ3年近く引きこもったと伝えられる。ラ・トゥールは、この側面を描いた作品も残しているが、別の機会にとりあげたい。



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仕事の世界を考える

2005年04月02日 | 書棚の片隅から
 4月2日のNHK特集「どう思いますか 格差社会」を見て、一度はお蔵入りさせた旧原稿を引っ張り出した。読書の際のメモをもとに手を加えたものである。長いので、時間のない方やテーマにご関心のない方にはお勧めしません。

変わりゆく仕事の世界~~リチャード・セネット『人格の侵蝕』を読む~~

フリーターはなぜ増えたのか
 「フリーター」という妙な日本語・英語が時の言葉となってから、かなりの年月が経過した。激動の新世紀を迎えた頃から、それまで若者の行動に冷淡であった日本社会も、ようやく事の深刻さに気づいたようだ。実のところ、この問題の兆候でもあった10代から20代初めの層のいわゆる若年者失業は、バブルの進行していた80年代中頃から着実に進行していたのだが、指摘する人も少なく放置されてきた。中高年者の失業ばかりに目が向いて、若年層については政府の対策も完全に後手にまわっていた。西欧社会では「若年者失業」は、長らく中高年の失業と並ぶ深刻な課題であった。

 近年の大学生の就職行動を見ていて気がつくことがある。いくら機会があふれる社会になったからといわれても、なにをしたらよいのか分からない若者が急速に増加していることだ。多数のフリーター、そして最近では「ニート」と呼ばれる実態の掌握しがたい若年層の出現は、単に労働市場が停滞していることだけが理由ではない。現代の産業社会が急激に変化しており、職業選択の尺度が大きく揺れ動いているからでもある。その中で「自分探し」という表現に象徴的に示されるように、自分自身がいかなる存在であるかよく分からなくなり、なにをすべきか自信をもてない若者が増えている。

どこに問題があるのか
 この点については、最近ようやく社会の側も気づいてきたようだが、本人ばかりでなく教育側にも問題が多い。学生の多くは、高校、大学を通して、ほとんど職業や人生設計について考える場を持つことなく過ごしてきており、自分を見つめて考える暇もないままに、労働市場に放り出されてきた。どんな職業を選択してよいのか、自分はなにを支えにこれからの人生を過ごして行くのか、考える心の余裕がない、あるいは考えるための枠組みや材料を持っていない。マスコミの無責任な「選職の時代」「起業の勧め」などといった言説にもまどわされて安易な選択をして、とんでもない苦労を背負い込む可能性も高い。

 労働市場が新卒者にとって良好な環境であった時には、学校側は卒業後の職業やキャリアの問題について多くの場合、冷淡な態度をとってきた。卒業後の人生は学生自身が考えればよい問題として、突き放してきた。しかし、大学の「製造者責任」が問われる時代となり、状況は急激に変化してきた。「学校」から「仕事」への移行をいかに行うかという問題は、教育や職業のあり方を考えるに際して大変重要なテーマなのだ。

 日本の大学卒業生のおよそ3分の1は、卒業後3年間に転職するといわれる。若年者の転職行動のある部分は、自分にもっと適した仕事がないか、機会を求めての「仕事探し」、ジョッブ・ショッピングの性格を持っている。不確かな情報の下で最初に選んだ仕事が、多くの点で自分にぴったり合っているという可能性はむしろ少ない。その意味で、こうした動機からの転職は正常な行動といえる(実際、日本でも80年代後半の頃から15-24歳層の失業率は、全年齢平均の2倍以上だった)。他方、多くの人々は、不満を抱えながらも、仕事を続ける。結婚して家庭を持つ、仕事での責任や地位・報酬があがるなど、「定職」を選択する必要も生まれ、転職は30代にかけて減少する。これが、西欧社会に見られた典型的なパターンであった。しかし、こうした特徴にも変化の兆しがある。

日本はアメリカ型を目指すのか
 ある調査によると、今日のアメリカの大卒者は生涯で11回転職し、3回スキル・ベース(熟練の基幹部分)を変えるといわれている。きわめて流動性の高い社会である。新しい世紀に向けて、日本もこうした社会を目指すのだろうか。市場経済化へ向かっての滔々たる流れの中で、労働力も流動化の必要が唱えられ、転職や自営を奨励する論調がいたるところにみられる。確かに、企業や組織に依存、埋没する人間から自立した個人への変化を促すことは望ましいことだろう。

 しかし、同時に、現在進行している資本主義の別の側面にも十分注目する必要がある。繁栄を続けるアメリカにおいても、人々は必ずしも自ら望んで転職し、自営業化しているわけではないのだ。すでに過ぎ去った世紀末のことになるが、アメリカで大変話題となり、イギリスの「エコノミスト」賞(1998)を初めとして、いくつかの賞を得た社会学者リチャード・セネットの『人格の侵蝕:新資本主義における仕事の個人への影響』(注1)を読むと、繁栄を続けるアメリカ社会において、リストラクチュアリングやリエンジニアリングという経営基盤の再編の進行に伴い、どのように職場が変化し、労働者の仕事の内容が変容・細分化された仕事になっていくかが、いくつかの実例を通して生き生きと描かれている。息をつかせず、読ませてしまう。

 IT技術の急速な進展もあり、「柔軟な資本主義」の名の下で、産業や労働のパターンが大きく変化している。アメリカ社会を例にとると、そこではいくつかの象徴的な変化が進行している。転職の増加、フリーランスの増加、家庭での仕事の増加、労働時間の増加、機会は増加するが不安も増加するという一連の変化である。使用者と労働者の古い社会的契約は切断されているが、それを代替するものがなになのかも、ほとんどみえていない。こうした側面にはあまり目を向けることなく、日本のジャーナリズムに登場する論者の多くは、日本もこの方向に移行すべきであることを強調している。しかし、アメリカにおいても、こうした変化が人間性にいかなる影響をもたらすかという点については、注目されることも少なく、体系的な指摘がなされなかった。

リコの場合
 本書の冒頭に登場するリコの場合も(注2)、父親はビルの清掃係であったが、息子であるリコはカレッジを卒業し、結婚して夫妻ともに職業を持つ社会人である。いくつかの企業を経験した後、夫はコンサルタント会社を経営、妻は会計監査ティームの長として、いわば「アメリカン・ドリーム」を体現したかのように思われた。しかし、傍目には成功はしたかに見えるが、現実には二人とも人生の途上で途方に暮れる精神状態におかれている。
    
 アメリカ産業社会が作り出した短期的思考を重視する風潮が、地域や人的なきずなを弱化させ、二人に確固とした拠り所がない「漂流する」人生、それがもたらす恐怖を生み出しているのだ。これまでの彼らの人生は、アメリカ全土を流動的に移動することによって形作られた。そこには、仕事のチャンスはあっても、長期にわたる人間の関係や信頼のきずなが生まれない。そして、彼らにみかけ上は成功をもたらした流動的な人生が、人間性を弱化させ、精神を蝕んでいる。いつになっても、心の安定が得られないのだ。アメリカが追求している新しい資本主義の影の側面ともいえよう。

キャリアの変化
 アメリカ社会においても、1950年代から80年代までは「組織の人間」(organization man)が、産業社会のアイコンであった。仕事が人生を定義していた。職業経歴(キャリア)の初期段階で選択した職業がその後の人生を定めていた。セネットがいうように、「キャリア」とは道に残された馬車のわだちのように、はっきりと前方が見渡しうるものであった。そこには、相対的に安定した技術を背景に、秩序づけられた職務の体系が成立していた。しかしながら、いまや、キャリアは分断化された仕事をいくつかつなぎあわせた、見通しのきわめてつけがたい職業経路に変化しつつある。結果として、これまでのようなひとつの企業に勤務し、昇進の階梯を上る古いキャリアのモデルは稀になっている。大企業はそれでもいくつかの階層があるが、小企業では階層もほとんどない。

 グローバル化した経済活動と技術変化のスピードが速いために、製品のプロダクト・サイクルが短くなっており、競争相手は地球の思わざるところからやってくるため、企業は以前より敏捷でなければならない。そのため、企業は戦略上重要な従業員を残すとともに、基幹部分以外の労働者は専門企業へコントラクトアウトするか、テンポラリーな労働者を使用する。

流動化の裏で高まる不安
 こうした変化は職場を変え、労働の質を激変させている。労働者は現在ついている仕事の先があるか、いつレイオフされるか、などを常に考えていなければならない。特に、アメリカ型の社会では、繁栄期といえどもリストラは行われ、レイオフは日常的に実施され、労働者の流動性は高い。労働者には絶えず、今の仕事がなくなるのではないかという不安が付きまとっている。この点は、あまり注目されていないが、バブル崩壊後の日本社会でも見出されている(注3)。

 1950年代、アメリカ人労働者の5人中3人は不熟練労働者だった。経済的発展と労働組合の組織力にも支えられ、彼らの地位はおしなべて維持されていた。教育はボーナスと考えられた。しかし、今は不熟練でいることは、職がないことを意味している。継続的な教育の必要性は、労働生活のすべての段階に及んでいる。技術変化の早さは一度得た熟練を短い期間に陳腐化してしまう。かつて『中央公論』にも一部が掲載されたが、労働者側に立つカプシュタイン(注4)は、技術の変化、グローバル化、サービス化の進展は、新たな無慈悲な資本主義の中に労働者を投入したとして、この点についてセネットよりもっと悲観的な見通しを示している。

フレキシビリティの実態
 熟練ばかりでなく、働く場所自体が流動的に変わってしまうのだ。企業は、コストの高低を求めて、グローバルな観点から生産や販売の「場所」を簡単に動かしてしまう。しかし、それでも「場所」は、それぞれの国や地域が持つ社会的・文化的立地条件が特定の投資案件にかなり重要な要因となっており、一定の抑制力を持っている。

 新資本主義の下での経営は、「フレキシビリティ」を特徴としているが、そこには組織の非連続的見直し、フレキシブルな生産方式、中央集権なき権限集中という構造的な側面がある。われわれの社会は、これらをいかに制御していくことができるだろうか。セネットの実態についての分析は鋭いが、なにがなしうるかという政策面については、あまり具体的ではない。彼は、この注目すべき新著の最後で次のように述べている。「この内なる必要がどのような政策に結びつくか、私には分からない。しかし、私は人間同士が互いを気遣うということに深い思慮を払わない体制は、正統性を長く保ち得ないということをよく知っている」。

どこへ行くか:答えはまだない
  社会学者であるセネットの提示したアングロ・アメリカン型新資本主義の展開に伴う労働、とりわけキャリアの変容については、総じて高い評価が与えられているが、反論も少なくない。特にセネットの挙げるケースが全体の労働市場像を描くには十分ではない、社会学者は市場の暗い側面だけを強調しているなど、多くの問題も指摘されている。経済学者の目から見ても、不満な点は少なくない。しかし、セネットの新著は、学術的著作というよりは、現代社会批判と見るべき内容である。その点において、セネットは現代資本主義の持つ一面を鋭く抉り出したといってよい。叙述は平明で、迫力がある。

  先が見通しがたく、キャリアの設計が難しい時代を迎えて、現代社会の内包する問題を理解しておくことは、難局に直面した時にも心の支えとなってくれるだろう。本書に描かれたような状況が、日本でも生まれる可能性はきわめて高いのだから。これからの時代を生きる若い世代にぜひ一読を勧めたい。


~~~~~~~~~~~~
注1)Richard Sennett. The Corrosion of Character. New York: W.W.Norton, 2000, (リチャード・セネット、斉藤秀正訳『それでも新資本主義についていくか:アメリカ型経営と個人の衝突』ダイヤモンド社、1999年)

注2: 1972年、SennettはJonathan Cobbとともに、The Hidden Injuries of Class(「階級の隠された傷」)と題する名著を出版している。この本はエンリコという名の清掃係(janitor)を題材としてとりあげている(これも読み応えのある作品である)。エンリコの仕事は単純で、精神的にも報われることの少ない内容であった。それでも、彼が、自分の仕事に満足していたのは、子供たちの生活向上に役立っているという思いが支えとしてあるからであった。自分が果たし得なかった夢を「子に託す」といってもよいだろう。この思いが、彼の仕事の肉体的・精神的な荒涼を埋め合わせていたのだ。新著は、冒頭で15年ぶりに筆者が空港で偶然出会ったエンリコの息子リコとの話から始まっている。リコは父親が息子にそうなってほしいと思ったほとんどすべてを手中にしていた。物語はそこから出発する。

注3)桑原靖夫・連合総合生活開発研究所編『労働の未来を創る』、第一書林、1997年.

注4)Ethan Kapstein. Sharing the Wealth, Norton, 2000.

Copyright(C)2000 Yasuo Kuwahara
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ラ・トゥールを追いかけて(12)

2005年04月01日 | ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの部屋

  東京に桜の開花予報が出される直前、快晴の土曜日3月26日、少ししっかり見てみたいと思うことがあって、再び国立西洋美術館へ出かけた。入り口には、「ダイアのエースを持ったいかさま師」が描かれた大きな案内板が待ち受けている。お花見前の週末とあって、上野駅公園口の人出はかなり多いが、美術館入場者の状況はとみると、特に混み合っている様子ではない。海外のラ・トゥール展も見てきた印象からすると、少し寂しいような嬉しいような(ゆっくり見られるので)複雑な気分であった。 

  「犬を連れたヴィエル弾き」の子犬の目に込められた表情などを見るには、少し行列が途切れるのを待つという感じである。こういう時には、オペラグラスやカタログが役に立つ。今回の「ジョルユジュ・ド・ラ・トゥール」展のカタログは、これまで海外で開催された特別展と比較して、特に印刷や構図の取り方などが良いというわけではない。しかし、ラ・トゥール研究の最前線を知ることができて、大変有益である。とりわけ、ラ・トゥール研究では第一級の専門家ディミトリ・サルモン氏(元ルーヴル美術館絵画部長)の執筆によるラ・トゥール略伝が充実していて、大変参考になった。 

  日本で最初の「ジョルジュ・ド・ラ・トゥール」展とあっては、それだけで大変感銘深いものであり、開催に努力された関係者には感謝の念で一杯である。どこかで埋もれていた作品が発見される可能性もないわけではないが、なにしろ現存する作品が40点余りに過ぎない。加えて、展示の説明パネルが示しているように、作品の所蔵者が、ヨーロッパ、アメリカ、日本と世界中にきわめて拡散している。美術館、個人、そしてイギリス王室に帰属するものまで含めて、所有者も多彩である。作品所蔵者のほとんどは、1―2点しか持っていない。あのルーヴル美術館でも、6点しか(6点もというべきか)所蔵していない。

ないものねだり 
  このような背景があって、特別展といっても確実な真作は出展を確保するだけでも大変であることは想像に難くない。かなりの展示品が模作や同時代の画家の作品であることも仕方がない。ただ、ラ・トゥールの「追っかけ」を自認する者には、あの作品があったらもっとお客さんが集まるのになあと、思うものは少なくない。たとえば、よく知られた「大工のヨゼフ」は模作である。しかし、これはないものねだりであろう。ルーヴル美術館にとってはいまや国民的財産であり、そう簡単にはリスクの伴う海外貸し出しには踏み切れない。  

  たまたま、ラ・トゥールが影響を受けたか否かを絶えず問題にされる、あのカラヴァッジョの晩年の作品に集中した特別展(“Caravaggio: the Final Years”)が、ロンドンのナショナル・ギャラリーで開催されており(本年5月22日まで)、その裏話を思い出した。(カラバッジョについては、さらに書く機会もあるかと思う。)

虚々実々の作品貸し出し 
  それによると、この特別展での展示品の多くは、作品所蔵者との大変な駆け引きの結果だそうだ。1点しか持っていない博物館などは、目玉商品だけに簡単には応じない。ラ・トゥールと比較すると、現存作品の数がはるかに多いカラバッジョでも、作品の貸し出しにこぎつけるまでは、さまざまな取引があるらしい。 

  代表作のひとつ「洗礼者聖ヨハネの斬首」は、これまでヴァレッタ(マルタ)を出て、他へ貸し出されたことはないとのこと。他方、パレルモの「降誕」は1969年に何者かによって盗まれ、マフィアの手にわたってしまったといわれる。ナショナル・ギャラリーはさすがに交渉力があり、タフなローマのボルゲーゼ美術館と交渉し、門外不出のカラバッジョ作品の貸し出しに成功した。その交渉材料としては、ナショナル・ギャラリーが保有するラファエロの作品を、将来ボルゲーゼに貸し出すことが条件だそうだ。メッシーナの美術館は2点しかない所蔵品を、ナショナルが大事にしている作品(「エマオの晩餐」か)を来年代わりに貸し出すことで同意したらしい。 ニューヨークのメトロポリタン美術館は、昨年カラバッジョ展を開催するについて、ナショナルに協力を求めた代償の意味もあってか、作品を出してくれた。このようにして、世界中から作品をかき集めて、ナショナル・ギャラリーの展示は成立した。ロンドンの展示は「カラバッジョ晩年の作品」というような、特別な限定がついているだけに関係者は苦労したようだ。

「聖トマス」の重み 
  今回の日本でのラ・トゥール展についても、主催者である国立西洋美術館主任研究官高橋明也氏が、同館広報紙Zephyrosに記しておられるように、背景ではかなりの駆け引きがあったようだ。アメリカの美術館はあまり協力的ではなかったと書かれている。そうした時に、同館が最近入手したラ・トゥールの「聖トマス」の存在が、交渉材料に大きな意味を持ったとのことである。(同作品の購入価格も、さぞかし高かったことは想像に難くないが)。 

  ラ・トゥール展を見た後、常設展の方ものぞいてみたが、いくつかの作品があった場所に、他館への貸し出しの掲示がかかっていた。クロード・モネの「波立つプールウイルの海」も、ナント美術館へ旅行中?だった。われらの「聖トマス」も、これから何度空を飛ぶのかなと思ってしまった(2005年4月1日記)。

Picture: Courtesy of www.abcgallery.com

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