移民たちは国境を越えて、彼らが自国で身につけた様々な文化を受け入れ国に持ち込む。多くは時の経過とともに移住先の文化と混じり合い、独自の文化を創り出す。典型的な例が、移民で立国したアメリカ合衆国といえる。もちろん、先住民族のアメリカ・インディアンの文化があったが、その多くは後から来た移民たちの文化に混じり合い、吸収され、希薄化した。
移民が持ち込むものは、しばしば移住先の文化を刺激し、新たな文化の創造につながってゆく。しかし、常に良いことばかりではない。時には伝染病、麻薬などの犯罪手段も運び込まれる。エリス島に移民局があった当時、眼病トラコーマに罹患していると、入国できず、時に本国送還の悲劇となったことは良く知られている。一九二〇年代、禁酒時代の密造酒の横行もアメリカ史を彩る一つの時代だ。
アメリカ・メキシコ国境の管理はある時期まで特に厳しいわけでもなく、といって野放し状態に放置されてきたわけでもない。その時代に応じた国境の姿を見せてきた。野放図に移民を受け入れてきたというわけでもない。
そうした推移の過程で、アメリカなど中心的な受け入れ国の移民政策が大きく変化した時期があった。最近では2001年、9月11日の衝撃的な事件がその契機となった。アメリカ・メキシコ国境における国境線の物理的な強化並びに書類審査など国境管理が突如として厳しくなった。国境で拘束されたり、強制送還される者の数は大きく増加した。テロリストが直接越境入国する懸念、あるいは将来テロリズムを起こしかねない属性を持ったもの(不法)入国が問題とされた。
実際にテロリズムが事件として発生した国を含む多くの受け入れ国で、今後いかなる移民政策をとるべきか、様々な、議論が行われた。地球上で最大の受け入れ国であったアメリカ合衆国での議論が最も広範で激しいものであった。
しかし、それらの議論がいかなる実質的変化を生んだだろうか。共和党政権の下でジョージ・W・ブッシュが「包括的移民政策」の名の下に移民に関する保守的・制横領限的政策を提案し、上院、下院双方から多様な法案が上程されたことは、ブログにも一端を記してきた。この段階での大きな変化は、下院議員ポウル・リャンが述べたように、「安全保障の維持が第一、アムネスティはない」という主張だった。ここでいうアムネスティとは、国内に居住する1,100万人近い不法滞在者を審査の上、合法化し、アメリカ市民権への道を開くことを意味する。ブッシュ大統領も任期中には見るべき成果は少なかったが、国境線上における「国境の安全保障改革」"bordder security only"だけでは限界があることを認めていた。
ブッシュ政権の後、民主党のオバマ大統領の政権では、選挙運動の過程から移民制度改革の議論が盛んに行われたが、現実には任期中には、ほとんど目に見えた変革は実現しなかった。 トランプ大統領の政権になって、当初はアメリカ・メキシコ国境の全域にわたる壁の構築が論議されたが、実際の必要性、実効、費用負担などの点から、先延ばしになるにつれて、トランプ大統領側は国内にすでに居住する不法移民の取り締まり及び新規合法移民の受け入れの減少を主張し始めた。
実際に国境の壁を堅固に構築し、不法越境者の入国を防ぐという考えは、ボーダーパトロールその他の観点からも、非効率あるいは困難と見なされるようになってきている。そして、近年各国に頻発するテロリズムの捜査や国境検問などの状況から、国境だけに監視を集中することなく、より広い観点から出入国管理のあり方を再検討する方向へと移行しつつある。壁は従来の国境線上から次第に国内の様々な領域へ入り込みつつある。