人間の世界はどうなっているのかな
上海博物館蔵蔵
現代の世界は明らかにどこかおかしくなっていると考える人たちが多くなっている。核兵器廃絶、地球温暖化、大気汚染などの問題は、すでに長らく議論が行われており、人それぞれに考えることがあるだろう。他方、大国アメリカのトランプ大統領、就任以来の大言壮語にもかかわらず、公約していた政策実現の道は開けず、大統領を支える側近たちは次々とその座を追われたり、政権を離れている。今回のバノン大統領首席戦略官の更迭で、トランプ政権の行方は混迷の極みに達した。トランプ大統領は就任以来、アメリカ・メキシコ間の国境障壁の強化など、矢継ぎ早に大統領令発布で実行力を誇示しようとしたのかもしれないが、ことごとく野党や世論の反対の前に実効をあげる間もなく、中途半端なままに他の政策へと転換し、一貫性がない。混迷は続く。
大統領支持率も低下の一途で、政権瓦解、民主党の一部などには大統領弾劾の話もあると言われる。トランプ大統領は時に「白人至上主義」とも言われる差別的思想を背後に、白人貧困層などの支持をかろうじて維持している。お得意の「アメリカ第一」主義の発言に代表される極端な保護主義で、与党である共和党内部にも不協和音を生み出してきた。
テロリズムは現代の悪疫
他方、テロリズムは悪疫のように多くの国へ拡大している。スペイン、バルセロナの場合も、犯行が行われたのは1か所ではなかったようだ。隣接した地域で計画的にテロが実行に移されたと報じられている。それに先立ち8月12日にバージニア州シャーロッツヴィルで起きた事件と関連しているかも不明だ (スペインについてはISが犯行声明を出したと報じられている)。朝鮮半島の核開発をめぐる緊張関係など、1960年代のキューバ危機をに近いものを感じるのだが、現代世界の指導者は危機を弄んでいるような思いがする。北朝鮮の指導者に象徴されるように、指導者として正常な人間としての感覚がどれだけあるのか、不安でもある。
シャーロッツヴィルでの出来事についてのトランプ大統領の発言は、この人物が一国の指導者として、明らかに不適格であることを如実に示した。いまやトランプ大統領の評価はほとんど定まったといってよい。しかし、この大統領は悪い意味でしたたかだ。自分に都合の悪い批判を受けると、ノーコメントと口を閉ざし、別の主題へ話題を変えてしまう。しかし、トランプ流とも言えるものごとを一般化して、焦点をぼかしてしまう手法は急速に通じなくなっている。
解決の策がない朝鮮半島の危機
北朝鮮の金正恩委員長もICBMとも見られるロケットの矢継ぎ早の一方的発射、核兵器開発の促進などを誇示し、限られた武器でアメリカを威圧しようと懸命だ。しかし、トランプ大統領は足元の政権基盤も揺らぎ、中国、ロシアとも連携ができない。トランプ政権内部の自己崩壊で、対外的にも威信と実行力を著しく低下させている。
アメリカなどが敏速に対応できずにいる間に、大陸間弾道ミサイルなどの開発に成果を見せた北朝鮮指導者は、それで世界を脅かせると妙な自信を持ってしまっている。彼らが得る情報には大きなバイアスがあることはいうまでもない。状況判断にも危ういものがある。こうした指導者の内実はしばしば危うい。ヒトラーの最後がそうであったように、追い詰められると自暴自棄的思考が強まってくる。フセインやオサマ・ビンラディンなどの最後を知っているから、極端に走りがちでもある。大きなリスクが世界の前方に横たわっている。
トランプ政権の命脈は限られたものになるだろう。しかし、これほどに深い傷を負い、四分五裂状態の国民の感情を修復、再出発するには長い時間が必要になる。次の世代のことを考えると、背筋が冷えてくる。幸い、筆者はその惨状をあまり見ないで済むのだが。
たまたま筆者は、J.F.ケネディの暗殺事件(1963年)以降、半世紀近く人種差別、性差別など、「差別」discrimination という現象が起きる仕組みを研究課題のひとつとして注目してきた*。差別という現象は、その発生原理、過程が想像以上に複雑だ。一つの仮説で現実に存在する「差別」と見られる現象を説明しきることは難しい。現実への深く多面的な洞察が必要になる。
最近のアメリカの現実は、本来あるべき改善、進歩とは逆の「退行現象」を起こしているように見える。公民権運動などを通して世界を牽引してきたアメリカだが、「逆差別」の深刻化(入学試験などで少数者や社会的弱者に一定の優先枠を与えた結果、実際には点数の優れた人が不合格になったりする)と言われる現象などもあって、新たな論争が起こり、歴史の振り子は逆の方向へ動いているように見える。
トランプ大統領の行動をめぐっては、「白人至上主義」など、アメリカ人でなくとも聞きたくない言葉がメディア上に復活している。公的な議論では否定されることが多いが、内心そう考えている白人はかなりいると推定されている。トランプ政権下での論争、貧困白人層 poor white の支持などから、その一端は推測できるが、現代社会ではこのタイプの差別はあったとしても、「明白な差別」overt discriminationとしては現れない。その内容からあくまで「隠れた差別」covert discriminationとしてしてしか存在しない。それゆえに、この種の差別は人々の心底深く潜み、とらえどころがなく、しばしば陰鬱で対応は困難を極める。
トランプ大統領就任後、アメリカの大統領制のほころび、欠陥をさまざまに感じさせられてきたが、とてつもない幕引きが待ち受けているように思えてならない。
*桑原靖夫「差別の経済分析」『日本労働協会雑誌』235-236, 1978年10-11月
桑原靖夫「性差別経済理論の展望」『季刊現代経済』(日本経済新聞社)1980年
日本では経済学に限るとG.ベッカーの差別の理論、あるいは統計的差別の理論程度が知られているだけだが、現実には極めて多くの仮説、理論化の試みがある。差別の発生原因とその発現の仕組みを、理論化することはきわめて難事である。単一の仮説で世の中の差別の全てを解明し切るしっかりした(solid)「差別の一般理論」は未だ存在しない。人間社会における差別の事象は極めて複雑、多面的である。不合理、不可解、不可視的なものも多い。そうした状況で筆者が目指したのは、差別という現象をできうるかぎり多数の角度から接近し、そこに起きている差別事象を包括的、総合的に理解することだった。
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