South Is. Alps
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Coromandel
Coromandel, NZ
Square Kauri
Square Kauri, NZ
Lake Griffin
Lake Griffin


栄ラシック・「胡同文華」

栄ラシック8Fの「胡同文華」で夕食。
カジキマグロのカルパッチョ、水菜と干絲のサラダ、北京ダック、羊と葱のフェンネルシード炒め、四川風黒担々麺、白きくらげと果物のコンポート、杏仁豆腐。

http://www.kiwa-group.co.jp/restaurant/o100270.html

2006-05-04 21:07:15 | 夕食・外食 | コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )


『グーグル』、『ザ・サーチ』、『ウェブ進化論』

佐々木俊尚、2006、『グーグル:既存のビジネスを破壊する』、文春文庫
ジョン・バッテル、2005、『ザ・サーチ:グーグルが世界を変えた』、日経BP社
梅田望夫、2006、『ウェブ進化論:本当の大変化はこれから始まる』、ちくま新書

昨年後半ごろから、ネット上でかまびすしく議論されていた「Web2.0」や「こちら側」と「あちら側」、「ロングテール」といったキーワードが気になっていて、この三冊を一度に俎上に上げてみようと思った。じつは、別のブログでは『ウェブ進化論』は買わないし読まないと書いているのだが、『グーグル』を読んでみて、気が変わった。頓珍漢なことになるかもしれないが、ともかくも、はじめることにしようか。

わたしは、グーグルを愛用している。Google search だけでなく、gmailを使っているし、desktop、Adsense、maps、local、reader、calendar、Earth、Picasa、Writelyなどなど、グーグルが買収したものも含めて、相当なグーグル・フェチであることを自認している。英語モードにしていると新しい試みがどんどん出されてくることがあって、楽しい。しかし、同時に怖いと思うことがいくつもある。

もっとも、ぞっとしたのは、gmailで、メールをあけるとメールの文面の中に書かれている言葉をキーワードとして広告が現れ始めたときだ。だからといって、使うのをやめたわけではなく、むしろ逆かもしれない。むしろ面白がっていると言う感じかもしれない。出てきた広告のリンクを手繰ったこともある。じかし、実のところこれは検閲マシンとして機能しうるわけである。gmailを通過するメールはすべて、グーグル様の検閲を通っていることと同義であり、グーグル様がマシンではなく恣意的な人間がかかわるとしたら、いや、マシンであってもすでにグーグル様のスクリーンを作成したエンジニア(共同創始者のペイジとブリン)の思想が入っているわけであるから、すでに検閲されていると言ってもよかろう。

つぎに怖いと思ったのが、desktopである。私は、オフィスではMacintoshを使用し、モバイルでWindowsを使っている。MacOSX Tigerで実装されているspotlightは重宝している。作成した文書が多くなってくるとフォルダにうまく収めて分類したつもりでも、だんだん錯綜してきて見失うこともなくはない。そうしたときにspotlightはまさに、手元に明かりをともしてくれる便利な道具である。Google DesktopはそのWindows版であると言うのが最初の理解だった。ところが、設定によってはdesktopの情報をネットを通じて共有することができるのである。とたんに不安になった。
desktopをとりあえず信頼するとしても、Winnyではないが、ウィルスが介在した場合、一挙にデータが流出し、そのことにまったく気がつかないと言ったことにもなりかねない。もちろん、spotlightについても例外ではないのだが、なぜdesktopの方に疑念を持ったかと言うと、グーグルのそれは基本的にはネットの検索技術そのものをスタンドアローン化したものではないかと思い当たったからで、ネットとの壁が極端に薄いのである。これが怖い。

グーグルのサービスにZeitGaistがある。どのようなキーワードが検索されたのか時期別国別の統計である。ネーミングがにくいのだが、グーグル様はなんでもお見通しで、時々の「時代精神」を垣間見せてくれる。これは、キーワードを集計しただけだというが、きめ細かにしていくことによって強烈なマーケッティングマシンになるはずである。
関連して、わたしはAdSenseやアマゾンのアフィリエートに登録しているが、もちろん、稼ぎが出るわけではない。アクセス数を上げるような特別の努力をしていないから、ランダムに近いクリックはアクセス数に単純に比例するはずである。もしクリック数を稼ごうと思うと、まずは、ページアクセス数を向上させることである。このためにはキーワードを工夫することが必要であろう。私のそれは、はんぶんあそびだから、真剣ではないのだけれど、「ロングテール」に存在するカスタマーをねらうネットビジネスからすると、グーグル様の裁量はスモールネットビジネスの生殺与奪権を持っている。

三冊の本はそれぞれ著者のカラーが出ていると思う。単純化しすぎるかもしれないが、それぞれのバッグラウンドを見ておこう。
1961年生まれの佐々木は早稲田の政経を出て新聞社の事件記者をへて、退社後IT関係の取材を続けている。彼の立場はグーグル礼賛ではなく、どちらかとアンチ・ユートピアの視点からグーグルを見ているようにみえる。そして、具体的な事例はとても興味深く、足で稼ぐ事件記者の本領発揮といったところである。
著書における記述内容から推察すると、1950年代後半生まれのバッテルは文化人類学を学び、文化としての情報科学技術、そして、検索と言う視点をもって本書を書いた。かつて、コンピュータ関係のWired誌の創刊等にかかわり、現在は客員としてカリフォルニア大学バークレー校のジャーナリズムを教えている。バッテルは検索技術の展開に焦点を当ててグーグルを取り上げ、グーグル礼賛でもなく批判でもなくニュートラルにグーグルの展開を検索技術の現代的意味について分析している。
1961年生まれの梅田は慶応や東大の情報科学の出身でIT関係のコンサルタントや企業のアドバイザーを勤める。ブロガーとしても、ブログ・ジャーナリズムをリードする。先の二人とは違い一転、楽観的なウェブ観である。情報科学技術やそれにかかわる人間に対する基本的な信頼感に基づいている。本書の中で、梅田一流の世代観を書いているのだが、自らをMSのゲイツと同世代と位置づけ「こちら側」世代、ゲイツと18年違いのペイジとブリンを「あちら側」世代、今の中学生をさらに次の世代と位置づけ、非常に楽観的な単系「進化論」(本書のタイトルからしてそうである)で情報科学技術の展開を捕らえようとする。

2006年、すでにジョージ・オーウェルの「1984年」は20年以上も前になってしまったのだが、オーウェルの著書で書かれた監視社会はグーグルの誕生でかなりリアリティが出てきたのではないだろうか。
この作品では、人々は「ビッグ・ブラザー」に常に監視されていて、自由はない。この作品はスターリニズムを意識しつつ、アンチ・ユートピアとしての未来社会を描いたもので、人々は常に双方向テレビによって監視されている。グーグル様をビッグ・ブラザーと当てはめることは容易と言うか、ちょっと安易過ぎる気もするが、オーウェルの記した1984年以降に暮らしてているわれわれとしては、安閑としてはおれないのではないか。

また、映画「ミッション・インポッシブル」では、虹彩をつかってID識別をし、個別の広告やセキュリティ確認、所在確認が行われる。この映画を見たときも、寒気がした。生体識別の技術的背景はすでに整っているのである。あとは、こうした個別の技術をオンラインにしてサーチエンジンに接続することである。

若いころ(わたしは、1951年生まれ)文系と理系を含めて参加するいわば「異業種混合」研究会に参加していたことがある(1980年代後半)。その研究会は、それぞれの研究実践を領域外の人たちにわかってもらうように発表するという趣向で行われていた。そして、参加者が京都の宿で二泊三日の合宿をして語り明かすというものだった。最初の年か二年目から参加し、数年続けたと思う。
この研究会で学んだことは、理系の人たちの仕事の面白さを知る喜びに共感すると同時に「それって、やり続けていいの」としか言いようのない奇妙な不安である。もともとこの「異業種研究会」の趣向の意図は理系の方から持ち出されたもので、彼らが感じる「研究の進め方について、これでいいのか、文系からもう少し学べないか」といった研究倫理についての危機感から始まっていたと記憶している。
たとえば、ディスカッションの中で遺伝子操作にかかわる研究倫理に話が及んだときに、生化学の研究者は、こういう言い方をした。「研究を進めるにつれ恐ろしく思うことがある。しかし、それはラボを離れて、家に帰って子供を見たときのことで、翌日、ラボのドアを開けたとたんに、自分が発見しなければ、きっと誰かが発見すると考え、それだったら自分が見つけ出すのだと、かえって研究を進めるドライブになる」と言うのである。

梅田はグーグルが「ベスト・アンド・ブライテスト」の技術集団としてヤフーと比較しているが、技術的楽観主義だけでは統治の道具に使われること必定である。実際にグーグル様は中国では見事に検閲マシンとしての役割を請け負ってしまった。
また、ブログ・ジャーナリズムについても、楽観できない。普及率が格段に上がっているとはいえ、ごく一部がアクセスするメディアであるネットにおける意見集約や衆論は偏っていないと言う保障はない。
同時代的に展開するネットワーク社会についてどのような視点を取るのか、改めて読み取っていく必要があるのではないだろうか。しかし、監視社会のパンドラの箱はすでに開いていて、いまさらと言えばいまさらだが、技術者の楽観主義も怖い。

battellemedia.com:http://battellemedia.com/thesearch/
ジョージ・オーウェル「1984年」:Wikipedeia

My Life Between Silicon Valley and Japan:「グーグルをどう語るか」を巡って:http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20060422/p1
たけくまメモ:【文春】Google(暗黒?)特集:http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2006/04/post_638f.html

グーグル:既存のビジネスを破壊する

文春文庫

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ザ・サーチ グーグルが世界を変えた

日経BP社

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ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる

筑摩書房

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1984年

早川書房

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2006-05-04 13:22:18 | 読書 | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )