『重耳』(上)(中)(下)
宮城谷昌光、1996、『重耳』(上)(中)(下)、講談社文庫
中国春秋時代の五覇のひとつ、晋の文公・重耳の生涯を描いたのが本書。春秋戦国の時代は漢字による記録や歴史書の記述スタイルが確定しようとする最初期の時代を描く。春秋の時代は、現代中国の萌芽期とも言える時代でもないか。殷周の神聖王権の時代、都市国家の時代から、人間のカリスマを前提とする覇王、領域国家への時代、また、青銅器から鉄器へ、思想的にも諸子百家が生まれる最初期であった。その意味で、生産様式から政治倫理、生活倫理、さらには、戦術戦略など後の中国史の萌芽の時代であったと言えるだろう。
著者の宮城谷の作品はこれまで読んだことはない。実を言うと著者にはあまり関心がなかった。読後もこれから読み続ける気持ちもあまりない。しかし、関心を持ちつつ読んだのは、覇王である晋の文公となる重耳、放浪の公子の19年を支え続けた直臣や陪臣たち。人間的な魅力だけではなく、彼に付き従えば政治経済的にも報われるという確信を持ちうる人物。それは、どんなものであったのか。
中国4000年とは言うものの、文書に残るものとしては、現時点では春秋の時代が現代中国にもつながるさまざまな要件の誕生した時代であったと言うことができるだろう。その意味でも、その時期を踏まえて新しい時代の覇王というカリスマについて描いていると言う点で興味深かった。流浪の生活の中でも淡々とすごす重耳、それを盛り上げようとする家臣たち。また、さまざまな行動倫理が形作られる。そうした時代、一人の英雄ではなく家臣や人民によっていだかれる「信」がカリスマを生み出したようである。
中国春秋時代の五覇のひとつ、晋の文公・重耳の生涯を描いたのが本書。春秋戦国の時代は漢字による記録や歴史書の記述スタイルが確定しようとする最初期の時代を描く。春秋の時代は、現代中国の萌芽期とも言える時代でもないか。殷周の神聖王権の時代、都市国家の時代から、人間のカリスマを前提とする覇王、領域国家への時代、また、青銅器から鉄器へ、思想的にも諸子百家が生まれる最初期であった。その意味で、生産様式から政治倫理、生活倫理、さらには、戦術戦略など後の中国史の萌芽の時代であったと言えるだろう。
著者の宮城谷の作品はこれまで読んだことはない。実を言うと著者にはあまり関心がなかった。読後もこれから読み続ける気持ちもあまりない。しかし、関心を持ちつつ読んだのは、覇王である晋の文公となる重耳、放浪の公子の19年を支え続けた直臣や陪臣たち。人間的な魅力だけではなく、彼に付き従えば政治経済的にも報われるという確信を持ちうる人物。それは、どんなものであったのか。
中国4000年とは言うものの、文書に残るものとしては、現時点では春秋の時代が現代中国にもつながるさまざまな要件の誕生した時代であったと言うことができるだろう。その意味でも、その時期を踏まえて新しい時代の覇王というカリスマについて描いていると言う点で興味深かった。流浪の生活の中でも淡々とすごす重耳、それを盛り上げようとする家臣たち。また、さまざまな行動倫理が形作られる。そうした時代、一人の英雄ではなく家臣や人民によっていだかれる「信」がカリスマを生み出したようである。
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