すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

「食育」という不易を想う

2014年11月04日 | 雑記帳
 ある知り合いと一人の男の子について会話した。「あの子を見ていると,昭和の子という感じがするねえ」と,私は単に容貌のことから言葉を発した。そしたら,そうそうと頷き,「あの子は,学校から家へ帰ったら,塩をつけたおにぎりを食べるそうだよ」と驚きの情報をくれる。なんだか,半世紀前の自分みたいだ。


 「スーパーの買い物に一緒に行っても,お菓子を買ってくれではなくて,カボチャなどを見て,あれが食べたい,買ってえ…というそうだ」と,また面白いことを教えてくれる。改めて人はなんと炭水化物を食べなくなっているのか,と,かなり以前から米消費量の落ちている我が家を恥じ入るばかりだ。誰のせいだ。


 いろんな見方はできるが,まずは食べない自分自身だ。しかし「米ほど美味いものはないなあ」と時々叫ぶし,その言葉に嘘はない。そう言いながらの消費量減。もう戻れない食生活習慣にどっぷりつかっていることは否めない。戯れに広言しているのは,「給食質素化プラン~米と味噌汁だけ」。誰も耳を貸さない。


 もちろん法律,歴史,現状…どれを取ってもそんなことが可能とは思わない。そう思うなら勝手に自分だけやれ,と言われそうだが,まあそれも無理。がんじがらめの世の中だ,と小さく嘆くばかりだ。結局,米を食っていないから馬力もないし意気地もない…と単純で身勝手な分析をしてみたりする。解決策なし。


 それにしても,その子はなぜ「昭和」に見えるのか,そしてそれが食生活にも関係がありそうなのは,まんざら偶然でもない気がする。ちょっと小太り,目は丸く見開かれている,自然に関心がある,少々のことに動じない…多少の推測も含めながら,そんなイメージが出来上がっている。「食育」という不易を想う。