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それが高倉健という男,まさに。

2014年11月19日 | 雑記帳
 高倉健死去のニュースを見たときは、さすがにえっと思った。熱烈なファンとは言えないが、この国の多くが敬愛の眼差しを向ける一人だったし、いくつか思い出す映画もある。今回の多くの報道で、中国がそのニュースに長い時間をかけたことは画期的だ。映画『君よ、憤怒の河を渡れ』のヒットだけではあるまい。


 私にとっては、2006年の『単騎、千里を走る』が心に残る。それは映画そのものより、撮影の様子を中心にNHKがドキュメンタリーで追った番組の印象が強い。確かブログに書いたはずだ、と調べたら、以前別ブログで書き散らしたのだった。幸い原稿化していた。2005年11月というから、映画封切の前である。


 それは高倉健が訪れた村の「長卓宴」について書き、脚本変更のシーンを見ながら、こう記した。「映画をつくる中国人スタッフは、制作途中で脚本変更を語り合う中で『日本人なら、必ずその子を捜そうとするはず』と強く主張し始める。それは、高倉健の姿の反映に過ぎない(略)」誠を心の中に宿している人なのだ。


 今月始めたツィッターで得た情報で、いいものを見つけたと思ったのは今度が初めてだ。水道橋博士のサイトに、作家丸山健二が書いた詩?が載っていた。かなり以前に書いたらしいが、それからも対象の彼は一つも揺らいでないことに驚く。そのタイトルは「それが高倉健という男ではないのか」。まさに、まさに。