すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

15年ぶり,葉っぱのフレディ

2014年11月11日 | 読書
 校内で読み聞かせの当番があたった。五年生、今の季節…『葉っぱのフレディ』が思い浮かんだ。書棚から出して裏をみると「11.9」と記してある。15年前、この本がずいぶんと注目されたときに、勤務していた学校の4年以上の子を集めて読み聞かせた記憶がある。今改めて読みながらいくつか考えたことがあった。


 「いのちの旅」という副題がテーマに直結していると言っていい。「いつかは死ぬさ。でも“いのち”は永遠に生きているのだよ。」というダニエルの言葉、また終末の一文「大自然の設計図は寸分の狂いもなく”いのち”を変化させつづけているのです。」と重なる。この「いのち」を別の言葉に置き換えると何かを考える。


 辞書をみると「命」には大まかに三つの意味がある。端的に①「生物活動の源泉としての生命力」②「生命力の一定の長さ」③「最も大切なもの」とする。ここから選択すれば、単純には①が妥当といえるだろう。つまり、葉っぱの持つ物質性が土や根を通して木にめぐってつながっていくこと。しかし物足りない。


 肝心なのは「旅」をするということではなく「いのち」の「役割や充実」という点でなければいけない。「生まれてきてよかったのだろうか」というフレディの問いに応えるダニエルの言葉が物語っている。そこに書かれていることは「働き」「遊び」「周りの自然」「自分の役割」…それらの「楽しさ」であり、「幸せ」である。


 「旅」を高い視点で扱えば、生死や血筋に想いを馳せることになろう。しかし、日々の暮らしとイメージした時、私たちは毎日「いのちの旅」を続けているともとれる。そしてそれは本文中の「変化」という二字熟語とぴったり重なる。大きな変化、小さな変化、いずれも怖れない…この絵本はそれを噛みしめさせる。