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「男らしさ」は薄味志向

2014年11月08日 | 雑記帳
 年に数度はその特集に惹かれて買っている雑誌『ブルータス』。今回も、つい手を伸ばしてしまった。深い赤の表紙にバットマン?の顔写真、特集名は「男の定義」である。買わなきゃ男でないでしょ…いや、本物の男はそんなモノを見向きもしないよ…二つの思考のせめぎ合い、実はそのあたりに定義の難しさがある。


 まあ、内容は正直思ったほどの面白さはない。24人にアンケート取材があって、「憧れる3人」を挙げてもらっている。当然ばらつくわけであり、集計結果の1位は3票。高倉健である。映像系の方が多い面もあろうが、頷ける結果だ。結局のところ個人にとって「男」として憧れる姿が、定義と言えるのではないか。


 その結果解説には、「価値観は変化の過渡期にあるのかもしれない」ともっともらしいことを書いているが、とうにわかっていることだろう。それを煮詰めてみればどう言えるのか、を期待したのだが、無理だったか。辞書を引いてみた。広辞苑⑫「力強い・激しいなど、男に期待されるのと同類の特性」の項が気になる。


 明鏡はこうだ。「対になったもののうち、強い、激しい、険しいなどの性質をもつもの」…当然、「女」との対であるが、このイメージはかなり強い特性だ。しかし、ご存じの通り(笑)強さ、激しさは時代とともに、対になっている片方に移っているようで、「男らしさ」が意味を薄くしていることは言うまでもない。


 ボブ・ディランの唄に「I Shall Be Released」という有名な曲がある。日本人の多くが意訳詞でカバーしているが、その先駆けは大塚まさじである。そのタイトルは「男らしいってわかるかい」。どの程度原詩に近いかはわからない。髪を肩まで伸ばした時代(恥)に、ギターを抱えてステージ上で唄った記憶がある。


 その歌詞の一節「♪男らしいってわかるかい ピエロや臆病者のことさ♪」。時代を考えれば、その逆説的な言い回しが反体制の象徴だったか。そしてその頃から急激に「男らしさ」が揺さぶられた予測も成り立つ。揺さぶられずに生き方を貫いたのが、真の「男」だった。と、自分ももっともらしく書いて終わろう。