すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

人間化とはあったかさだった

2015年05月13日 | 読書
 【2015読了】43冊目 ★★★
 S8『酒井臣吾の学校だより』(酒井臣吾 明治図書)


 1996年2月の発刊である。
 自分がいつ買い求めたか記憶にないが、早い時期に買ったはずだ。

 そして、今数えてみたら、自分がいわゆる「学校報」を書き始めたのは、96年4月だった。
 前年度まで担当していた教頭先生が昇任して学校を移ったため、教務主任として時の校長に申し出る形で書かせてもらったと思う。学級通信を書けなくなって2年、少し物足りなかったのだと思う。

 この立場での学校報担当とは、いわゆる編集ということであり、この本で酒井先生が書いている学校だよりとは異なる。
 ここに載せられている中心は、酒井先生が保護者等に校長として語りかけた文章の集約である。
 その意図は「解説」に書かれているが、次の一節に尽きる。

 私は学校の人間化の基底は、校長の人間化だと考えている。(中略)保護者がいちばん不安定になるのは校長が何を考えているかわからぬ時である。学校だよりの力は大きい。


 その頃、拙い「学級通信論」をサークルの冊子にまとめたことがあった。その最後にもこの後半を引用した記憶がある。
 広報活動は自分にとって大きなテーマの一つであり、この本が私に与えた影響を改めて感じる。

 当時の酒井先生が今の自分と同年齢であることを考えると、なんだかいっこうに成長していないことに情けなくなってくるようだ。

 「解説」に書かれている、酒井先生が自分に課している三カ条は以下の通りである。

 一 保護者を啓蒙しようなどと決して思うな。自分を裸にして語れ。
 二 理屈だけで終わるな。かならず具体を入れよ。
 三 むつかしい言葉を使うな。中学生が分かる言葉で語れ。



 二と三は、自分が小文を書く時にもかなり心がけているつもりだが、一はまったく自信がない。
 「人間化」を求めるなら、一は最大のポイントになるのだろう。
 語るべき「裸」がミニクイのだからそれは仕方がないか…と居直りモードになる自分を諌めなければならない。

 全編を読みとおして、心に迫るのは酒井先生の「あったかさ」である。
 包み込むといったイメージがわき上がるような文章だし、それは技術的な面のみならず人間性そのものなんだろうなと予想される。

 何度かうけた先生の授業でも、あのおだやかな笑顔はいつでも思い出せる。
 十数年前、当時小六の娘とともに実技講座に参加したときのやさしい言葉かけも忘れられない。5時間ほどの講座を「あっという間だった」という娘の言葉が実に印象的だった。

 そして、描画指導における酒井先生の指導の四原則は、ある意味で生きる指針だと語ってきたことも思い出した。
 この頃、忘れかけているので、ぴしっともう一度確かめてみる。

 ①踏ん切る(見切り発車をおそれない)  
 ②集中する(かたつむりの速さで線を描く) 
 ③「良し」とする(結果を肯定する)   
 ④それを生かす(間違いもプラスの方向へ)