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ああ、陸上競技大会

2015年05月25日 | 雑記帳
 「町」という規模で、小学生の陸上競技大会を開催しているところは、今どれほどあるのだろう。少なくとも県内にはない。隣市では合併してからなくなっているし、今残っている郡市レベルの大会は、休日開催の希望参加という形だ。以前と学校を取り巻く環境が大きく違うなかで、この行事の意義が問われている。


 その是非を論じるわけではない。自分の教員生活の中では結構大きい存在だったことを、終わってみて感じたのだ。学校の運動会の延長線にあった、というより、歴史をたどるといわゆる「連合運動会」的な催しがあり、そこから学校単独になったと考えていいかもしれない。集う、競う、叫ぶ…そんな要素がある。


 初任地でのこと。山間部の小さな5校が集まっての大会。持ち上がり三年目の6年生で、男女リレーの優勝をねらっていた。男子は目論見通りだった。しかし女子のメンバーの一人が登校していない。母親と朝に喧嘩し、押し入れの中に入ったまま出てこないという。説得に向かったが…。苦いが笑える経験である。


 大会の行われるグラウンド横の学校に勤めた時のことだ。受け持ちではなかったが、長距離走の素質のある子を担当したことがある。今でもその走る姿の良さが目に残っている。県内では有名な高校に進学したが、その後は伸び悩んだ。先日大会で偶然に会った。子どもの応援だという。持久走参加と聞いて笑い合った。


 三十代になり再び山間部へ勤め18人の学級を受け持つ。その頃の郡市大会は900人近い出場者があり盛り上がっていた。4年も持ち上がった学級なので思い入れも強かった。大会では優勝者1名、上位入賞2名という好成績。しかし、納得しない思いを残る。もっとやれた、才能を開花させられなかったという悔いだ。


 学校体育連盟が主催する郡市大会の最後の年。小規模校は人数的にリレーを組めなかったら下学年から補充していいことになり、最強女子リレーにエントリーした。当初の予想を覆して決勝進出。そして…最終走者が他校の子をゴール前で見事に抜き去り、なんと優勝する。まさに歓喜の瞬間、へき地2級校の意地か。


 これには裏話がある。抜き去られた他校の子とは実はわが娘。家へ帰って、いそいそと祝勝の宴に向かおうとする私に妻からの一言。「父さんの学校に負けたあ、と言って、泣きじゃくっている」。気持ちは複雑ではあるが、「いい勉強」と言い残して、待ち合わせた居酒屋へ。心に沁みるビールであった。ドラマだった。


 学校ブログには大会の様子をアップした。

 それとは別にこちらは、ちょっと撮ってみたくなったショット。