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不易にも流行にも

2015年05月02日 | 雑記帳
 町の教育振興協議会総会の教育講演会に、横山験也先生をお招きした。
 「教育における不易流行」という演題で講演していただいた。
 後半に予定されていた礼儀作法のお話までたどりつかなかったのが少し残念であったが、同僚の感想は評価が高かった。

 「流行」の部分の、「関大初等部・思考力育成法」と「事前学習法」の二つを中心に、聴衆ににこやかに話しかけながら、問いかけ、考えを引きだしながら、各々の実践を振り返させる80分間だった。

 個人的に印象に残ったことばを、キニナルキ式に書き留めておきたい。


 教師は「周りに子どもや保護者がいる」と観念的に考えられないといけない

 模擬授業や応答を要求される講座等の場で、消極的になる参加者を諌める言葉。
 これは、一昨日書いた野口芳宏先生の「教師は見られる存在」ということと全く重なる。自覚と想像力があるかどうかの問題だ。


 筆算のように伝わる

 思考力育成に関して「考え方」と「形式」を、そんなふうに子どもたちに与えたいという横山先生の願いが端的に表れていると思う。
 おそらくは、多くの授業に関して評価するときに、この言葉のように問うとき、鮮明に見えることがあるのではないか。


 文化を断絶させていた

 事前学習法のお話の際に、昔からあった指導法が伝わってこなかった点に関して反省を述べられたときの言葉である。
 算数の問題解決学習にしても、国語の課題解決的な活動にしても、そういう時流がつくられてきた背景があり、それは一方の文化の存在を押し込める状況を持つものだろう。
 しかし、その文化の持つ価値が不易ならば、それはどこかで息づきつながっていくはずだ。

 その目を持って…という使命のようなものが少し自分にも湧き上がってきた。