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折れない心のつくりかた

2015年05月08日 | 雑記帳
 「心がポキッとね」というテレビドラマがある。阿部サダヲ主演で岡田惠和脚本なので注目して初回だけは見たが、ちょっと期待外れだった。内容はともかくこの題名は、「心が折れる」という比喩表現がもとになっている。結構以前かあったと思うが、こんなふうに省略形で使われるくらい浸透したということだなあ。


 雑誌「ちくま」で、「ねにもつタイプ」という連載をしている翻訳家の岸本佐知子もそれなりの?年配者だと思うが、この表現を使っていた。自身の学生時の運動部経験を「~~、心が折れて退部した。」と三度も繰り返している。自分が若い頃は使っていなかったと思うので、一種の流行表現だろう。いつ頃からだろう。


 「折れる」のはたいてい棒状だよな、と寝付かれない布団の中で考える。「木」「骨」「ポール」「鉛筆の芯」…太い細いはあまり関係ないが、とにかく長く伸びている物が対象と言える。そういえば「鼻をへし折る」という表現があるが、これも高く伸びた、つまり自信過剰な気持ちをやっつける意味合いとなっている。


 「心が折れる」という言い方は、何かの対象に向かって高く伸びた気持ちがもたなくなってしまったことを表す。それが棒状だとすると、一面では細く薄っぺらだからではないかと揶揄したくなる。厚みや広さ、体積をもった心であれば折れにくい。折れるではなく「割れる」とか「壊れる」という表現か。これも怖い。


 心が折れてどうするか。そのまま違う対象へ移るのか。補修をするとすればどんな形状をイメージするかは、結構大事だ。今読んでいる内田樹×岡田斗司夫の対談本にこんな一節がある。「『心が折れるかも』っていう予感があったら、折れないような方向にのろのろと進路を変更する」抜け道を探せばしなやかになる。