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対価のおとずれをぶらぶらと待つ

2015年05月10日 | 読書
 【2015読了】42冊目 ★★★『評価と贈与の経済学』(内田樹・岡田斗司夫 徳間文庫カレッジ)

 第二章の「努力と報酬について」が、特に興味深かった。
 二人は「努力と報酬は相関しない」「能力と報酬も相関しない」と語りながら、最終的には努力が報われることについての「原理的な相関」「ある種の信仰」を手放さない。

 それは現在の世の中があまりにも成果主義に陥り、「対価」をできるだけ早く求める傾向が強いことに対しての警鐘と言ってもいいだろう。

 こんなふうに語っている。

 対価の訪れを待てない人間ていうのは、交感という行為の人間学的な合理性やフェアネスを信じていない人間なんだよ。(内田)


 結局、政治や教育などにもそういう傾向が反映されていて、息苦しさが増してくる。

 たとえば、こんなふうにスコーンと言われることの気持ちよさを感ずる現場教員は私だけではないだろう。

 百人先生に出会って、一人でも敬意を抱ける先生がいたなら、たぶん教育はその段階で成功なんですよ。学校教育というのは打率1パーセントくらいでも、「当たり」になるように制度設計してあるんです。(内田)


 ちょっと大げさに言えば、教育とは人間の多様性をどう保障していくかとも関わるだろうし、より俯瞰性が求められることをけして忘れてはいけない。


 最終章の「恋愛と結婚」に書かれてある身も蓋もない?話は面白かった。

 結婚の意味の半分は「安全保障」(内田)


 大人ならある程度納得できることだが、実はこれに近い考えを70年代の高校生である自分も持っていた。
 クラスで結婚と恋愛の話をしていて、その二つの結びつきに重きを置く多くのクラスメイトに反して、たった二人だけが「えっ、別に」と考えた。
 その一人が自分であった(ちなみにもう一人は、一番で高校合格したと言われた女生徒だった)。

 自分の根っこのどこかにぶつかった気がして、少し愉快になった。