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問いを発し続ければ、反省。

2015年05月03日 | 雑記帳
 町の教育振興協議会の総会挨拶で、本県の「最重点の教育課題」である「問いを発する子どもの育成」に関して、少し話をした。

 この中身については、ほとんど2011年の秋に自分がこのブログに書いていたことである。

 その思いは変わらずあり、伝えたいことの一つには変わりなかったが、挨拶にしては少々気張りすぎたのかもしれない。「○○高い」と皮肉?交じりに語った人もいた。
 しかし、年に一度の会で教育の本質的なことを語れずに、何が総会かとも思う。
 そんなふうに、実務や現状対策ばかり語ったところで、はたしてそれが教師の仕事のプラスになることなのか…、反省を撤回して思い直す。居直るというべきか(笑)。


 さて、「問いを発する…」のことを考えなおしてみたとき、では具体的にどうするのか、という「問い」が頭の中を巡った。
 きわめて大事なことだ。

 ここはお上の言うとおりに、「問題を発見し、解決の方法を探し、自分の考えを表現し、伝える」活動をすることなのだろう。
 しかしそれではあまりに網羅的、全体的である。

 日常の授業づくり、授業をしていくうえで、この問いに正対する言葉を見つけた。
 いや、とうの昔から何度も何度も目にしてきた言葉だ。

 「何故か」に強くあれ

 野口芳宏先生が、様々な著書で書き、講演で語られるキーワードの一つである。
 拝見した数多くの授業の中でも、何度となく発せられている。発せられなかった授業はあったろうかとも思う。
 確かに、批判も数多くある問いかけ方である。しかし先生の授業の現場を見たとき、その多くはけし飛ぶに違いない。

 また「何故か」に強くありたいのは子どもだけでなく、教師も同様だろう。自分に向けられる問いである。
 そして、先生の発せられた次の一文は納得できるだけに、なかなか容易ではない。

 自らが自らを懐疑するとき、人は初めて伸び始めるのである。


 居直りを反省する(笑)。