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経験していない未来の入口

2015年05月05日 | 雑記帳
 4月末日の講演が終わった後に、横山験也先生と雑談している時に、本県の状況などの話になった。
 「学力トップ」の話がでてくると、一面では「人口減少率」もまた日本でトップということになり、先行きの見えない話題になってしまうことが少なくない。
 今回もそうだった。ただ、横山先生からは歴史的経緯、諸国との比較の話も教えていただき興味深かった。

 やはり考え方を抜本的に変えなくてはいかん、という点においては多くの人が同感であろう。
 しかし、では具体的にどうするかと言えば、「ううむ」と大造じいさんのように黙るしかない。

 その沈黙のなかで、この頃自分の頭をよぎっている一つの考えがある。

 それは三月に読んだある雑誌に載っていた宇野常寛という評論家の論である。

 地方が生き残るとは土地と文化が生き残ることだ


 この考え方を詰めていくと、その土地に残る人は「土地」と「文化」を守る人だけでいいということである。
 土地と文化を守り、全国、全世界に発信していく専門家だけでいいとする。

 これはこれで検討に値することかもしれない。
 限界集落が、限界を超えるのは時間の問題であり、それが拡大していくことは過疎地にとって避けきれない宿命であろう。
 では、具体的にその土地に価値があるとすればどう守っていくかを考え、価値ある文化についての保護と発信をいち早く考えるべきかもしれない。

 問題なのは、そこに今現在いる人々の思いをどう考えるか、である。
 生まれ育った場所と人との結び付きは、震災後の様々な情報を見聞きしても、簡単に割り切れるものではない。
 それをどのように誘導していくというのか。
 また、そんなふうに誘導することは、価値観の多様化と相容れるものなのか、その点もまた正直整理がつかない。

 ただおそらく、続いていく人口減少の中で「発想の転換」は絶対に必要であること、そしてそのために学校という教育機関の役割は軽くはないこと、この二つは確かだろうと思う。

 誰かは予想していたが、誰もが経験していない未来への入り口付近だろうことも想像できる。
 (いやもちろん、経験していないからこその未来なのだが)