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肩に力を入れてユーモア

2015年05月26日 | 読書
 【2015読了】46冊目 ★★
 S10『なんとユーモア ~子どもたちと楽しく~』(高橋俊三 文教書院)

 高橋俊三先生の著書は他に群読のものを読んでいる。若い頃に、模擬授業を受けて感激したことがある。谷川俊太郎作の「かっぱ」が教材であった。思えば、そこが自分の本格的な?群読実践のスタートだったか。そしてその折の何よりの印象が「滑舌のいい方だなあ」「ユーモアあふれているなあ」ということも覚えている。だから、この本も一つのバイブルだ。


 「授業の場でユーモア」という第一章が特に読ませる。おもしろさを八つの視点から述べている。曰く「繰り返し」「嘘を織り交ぜた」「知らない」「予想をずらした」「視点を裏がえしした」「考える基準をとびこえた」「言葉で遊ぶ」「相手を包み込んだ」…この区分の「嘘…」から「考える基準…」の五つは、いかに拡散的な思考が必要かがわかる。訓練が必要だ。


 訓練として著者が書いていることが大きなヒントになる。言うまでもなく言葉への興味であろうし、それは古典から若者言葉まで幅広い。二十数年前の著書ではあるが、取り上げているなかには、今もって使われている流行語?も散見され、先見性にあふれていたんだなあと今さらながらわかる。言葉への関心は、生活への関心だし、人間への興味なんだと思う。


 保護者との面談の実例も載っている。これは現在でもまったく古さを感じない。そして、面談をしていくうえで、重要と思われる具体的な姿勢を見つけた。著者は教師が子どもを見ていることをはっきりと示すことが大切といい、こうまとめる。「エピソードを三つ以上もつことができれば、面談は成功する」…これはつまりコミュニケーション成立の条件なのだ。


 真面目なことばかり書いて、ユーモアの本を読んだ感想というのも締りがない。とはいうものの凡人の悲しさ、疑問しか出ない。書名の「なんと」はどういう意味か。「副詞的」か「感動詞的」か。それをぼかしたのは、著者の作戦か。勝手な解釈だが慣用句とすれば、力みが出て笑える。曰く「なんと言ってもユーモア」または「なんとしてもユーモア」。