40歳を過ぎたばかりの自分が、テレビ画面に映し出されている。
厄払いのときのビデオだ。
実行委員長を仰せつかり、最初の挨拶をしている。
体型はあんまり変わっていないな。確か少しは痩せたはずだが…。
大きな眼鏡をかけている。他の奴も似たようなものだ。時代を感じる。
肝心の挨拶の中身だが、片手にある冊子を持っている。
中学校時代の学校文集だ。
少しバラけてきていて、大きめの書類とじで挟んでいるところがなんとも言えない。
「文集を書棚の奥から引っ張り出して、読んでみました。現職の教員として評価してみると…」などと、少し笑顔をつくりながら、気取った言い方をしている。
その後の一言が、なんと衝撃的だ。
「美しくない」
えっと思った。
続けて言うには、
「最近の中学生であれば、こんな形では書きません。教師との衝突や学校への批判を、そのまま載せることはありません。対立や葛藤があったけれども、そこを乗り越えて学んだこと、向上できたことを書くでしょう」
こんな調子で語っている。
ああ、なるほど。そう言えば正月に、文集のことについて書いた内容に近いのかもしれない。
「しかし」と続けて、こんなことを言っている。
「美しくないけれど、輝いているように思う」
当事者がそう思うのはごく自然なことだ。
わかりきっている自己賛辞とは思うが、それでもなお、それらの美しくない、ざらざらしていて、とげとげしている文章には、やはり輝きがある。
いや、一種の眩しさかもしれない。
それは、先に書いた時のタイトル「封じ込められなかった日々」に象徴されることだ。
今の美しい文章を書く子たちが、誰に封じ込められているかは言わないけれど、何十年後かに、輝きや眩しさを感じられないとしたら、それはある面では不幸なことだ。
…くだらぬ心配か。
人は誰でも、若いときの自らの未熟さをそんなふうに感じ取る存在であり、文章の背景は簡単に読み取られてしまうのかもしれない。
厄払いのときのビデオだ。
実行委員長を仰せつかり、最初の挨拶をしている。
体型はあんまり変わっていないな。確か少しは痩せたはずだが…。
大きな眼鏡をかけている。他の奴も似たようなものだ。時代を感じる。
肝心の挨拶の中身だが、片手にある冊子を持っている。
中学校時代の学校文集だ。
少しバラけてきていて、大きめの書類とじで挟んでいるところがなんとも言えない。
「文集を書棚の奥から引っ張り出して、読んでみました。現職の教員として評価してみると…」などと、少し笑顔をつくりながら、気取った言い方をしている。
その後の一言が、なんと衝撃的だ。
「美しくない」
えっと思った。
続けて言うには、
「最近の中学生であれば、こんな形では書きません。教師との衝突や学校への批判を、そのまま載せることはありません。対立や葛藤があったけれども、そこを乗り越えて学んだこと、向上できたことを書くでしょう」
こんな調子で語っている。
ああ、なるほど。そう言えば正月に、文集のことについて書いた内容に近いのかもしれない。
「しかし」と続けて、こんなことを言っている。
「美しくないけれど、輝いているように思う」
当事者がそう思うのはごく自然なことだ。
わかりきっている自己賛辞とは思うが、それでもなお、それらの美しくない、ざらざらしていて、とげとげしている文章には、やはり輝きがある。
いや、一種の眩しさかもしれない。
それは、先に書いた時のタイトル「封じ込められなかった日々」に象徴されることだ。
今の美しい文章を書く子たちが、誰に封じ込められているかは言わないけれど、何十年後かに、輝きや眩しさを感じられないとしたら、それはある面では不幸なことだ。
…くだらぬ心配か。
人は誰でも、若いときの自らの未熟さをそんなふうに感じ取る存在であり、文章の背景は簡単に読み取られてしまうのかもしれない。