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問題表現を排して言葉を磨く

2015年10月20日 | 読書
 【2015読了】102冊目 ★★
 『言葉にして伝える技術 ~ソムリエの表現力』(田崎真也 祥伝社新書)


 テレビのグルメレポーターにとって一番大事なのは、食べるとき、食べた後の表情だと思う。専門?の人たちはなるほどというアクションがあるし、ゲストとして食べる芸能人には、美味しそうに見えない場合がよくある。出てくる言葉は…というと、なんだかみんな似ている気がする。コメントで唸ったときはない。


 この有名なソムリエだったら、さぞかし独創的な表現をすることが予想される。しかし、それを聴きとるためには結構な知識、経験がないと駄目だろう。読み進むにつれてその思いが強くなったが、そこはさておき「表現」に関して教えられることが多かった。著者が「問題表現」とするのは、次の三つのパターンだ。


 1 実際には味わいを伝えていない常套的表現
 2 先入観でおいしいと思い込んでいる表現
 3 日本的なマイナス思考による表現


 「こくがある」という表現を例にして、「はっきりと共有できる説明がなされていないのが現状」とばっさりと斬り捨てる。「こく」が辞書で複数の意味を持つ以上、その一言では済まされないのは明白だが、私たちは実際よく使う。その表現だけで、それ以上の追究をしなくても済むというような気持になっていないか。


 「手作り」「厳選素材」「地元の素材」、または「秘伝の~」「昔ながらの~」そうした表現は即「おいしい」に結びつかない。しかし私たちはそうした経験や権威のようなものに惑わされやすい。日常的に、料理番組そして広告にはこの手の表現がいかに多いか、これはもはや調べるまでもなく、あふれかえっている。


 「日本的なマイナス思考」は実に考えさせられる。例として「クセがなくて、おいしい」を挙げているが、この背景をこう語る。「根底にあるのは、学校などでの採点方法である『減点法』の影響ではないか」…この分析はなるほどである。クセがないことも一つの価値に違いないが、それはやはり消極的な観点だろう。


 こう考えると「常套的」「先入観」「マイナス思考」による表現は、料理や酒の味について表す際ばかりでなく、私たちの生活や仕事など多くの場における言葉遣いに表れていることに気づく。著者が表現を磨くためにしてきた、言語化のための手法、五感を鍛えるための提案など、間違いなく他の分野でも活かせる。