すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

補助輪という比喩から考える

2015年10月02日 | 読書
 【2015読了】94冊目 ★★
 S19『教師になるということ』(池田 修  ひまわり社)


 現在は学陽書房から発刊されているこの本を、教師志望の若い知り合いにあげようと思い、その前にぺらぺらと再読してみた。改めて、さすが池田先生だなと感じることがいくつかある。高校生向けに話したことをもとに書かれたこの本。そのわかりやすさの中に本質がくっきりと見えるようだ。たとえ話も面白い。


 校種の違いを「自転車乗って進む」を例にして、こんなふうに喩える。「子どもが自分で進もうとする時、その補助輪を付けたり、付け方を教えるのが小学校の先生の仕事です」。そして「中学校の先生は、この補助輪を外す仕事です」。さらに「高校の先生は、自転車と自分の関係をきちんと理解させるようにします」


 教育を「自転車乗りの指導、支援」に置き換える発想は、いろいろと考えさせられる。幼児の頃は誰かに乗せてもらったり、三輪車であったり、いわば安定した乗り物体験をしていて、学齢期から自転車に一人で乗るための準備、練習をするということだ。補助輪という比喩は、進むため、転ばぬための役割を担う。


 最近、実際の自転車乗りの指導手順ではペダルを外して、足がつく高さで乗り慣れていく方法もあるようだ。しかし、教育では「ペダルを踏んで進んでいく」ということがとても大切だ。つまり「回転」を「自力」で行うこと。負荷のかかる経験が進む力を育てるのだと思う。補助輪は、補助でありながら負荷にもなる。


 それは「課題」という名前で、子どもたちに示されるものだ。適切でないと進めなかったり、全然負荷がかからなかったりする。さらに「付け方」となれば、それは課題設定の仕方を身に付けさせると言っていい。「この補助輪を付けなさい」から「自分に合う補助輪を選び、付けてみなさい」…学習はそんなふうに進む。