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軽くなったGマーク帽を

2015年10月06日 | 雑記帳
 朝一番に登校してくる班は、私の実家のある地区の子どもたちだ。最後尾の男の子の帽子がジャイアンツマークであることに気づいた。ほとんどの男子がジャイアンツの野球帽だった時代に育った私としては、妙に心が和む。少し気になって登校してくる全員の帽子を見ていたが、やはりというか、その子一人だった。


 女子も含めて全員が何かしらの帽子をかぶって登校する。改めて見ると、様々な種類があるものだ。当然ながら、まずは「野球」帽とは言えなくなっている。他のスポーツ、またスポーツに限らないファッション系のデザインなど多様だ。野球とわかるのは、スポ少所属者と東北の某球団から寄贈の帽子を使っている子だ。


 学校に勤め始めた頃は、西武ライオンズが勢力を伸ばしていてあの青色が妙に目立った記憶がある。その後、結構様々なチームの帽子が出てきたように思う。それから野球人気に陰りが見えて、また帽子の種類も広がりを見せた。何であれ、男の子だったら小学時代にかぶった愛着のある帽子が一つ二つは欲しいなあ。


 ジャイアンツマークが目に飛び込んできたのは、例の野球賭博報道と無関係とは言えない。ジャイアンツファンにならざるを得なかった、地方の素直な(笑)少年たちが、今、中高年・老年となって今回の件をどう感じているのか。いろいろな醜態をさらしてきた球団なので、失望もそこそこか。それより、個を見るか。


 件の選手にとって自身の不調や衰えが理由だったことは想像できる。おそらく競技生活一筋に進みながら、賭ける対象を失った者の行く末の一つかもしれない。帽子一つとっても世界は単純でなくなっているのに、人間が陥るパターンは逃れようもなく存在する。軽くなったジャイアンツの帽子を押える心も弱かった。