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広告に目を凝らす心構え

2015年10月19日 | 読書
 【2015読了】101冊目 ★★★
 『成長から成熟へ ~さよなら経済大国』(天野祐吉 集英社新書)


 著者が創刊した『広告批評』という雑誌を読むほどではなかったが、なんとなく広告には目がいく性分だった。新聞広告やテレビCMにも人並み以上に関心を持っていると思う。たぶん言葉、映像の効果への興味から芽生えたような気がする。広告が溢れかえる時代の社会風潮、世相史などは考えていくと実に面白い。


 著者はこんなふうに書く。「人生は広告を模倣する」。広告とはいわば商品の購買意欲をあおるためにあるわけだから、当然そんなふうに誘導されるとすれば「模倣」になっていくに違いない。それは物品の所有から、それも含めたライフスタイルの選択まで拡がっていく。生活と広告がリンクして人の流れができる。


 月曜の新聞折込広告は、ほとんどがパチンコ産業。火曜からはスーパーが目立つ。金曜は多種類になり飲食業などもちらほら。土曜は大型家電店が必ず二つ入る。隣市の国道交差点にある大看板は、昔はホテルなどが目立ったが、今は地元の有名うどん屋の他に、解体業者、葬儀場である。ここには確かに時代がある。


 「ほしいものが、ほしいわ」という西武の名コピーから三十年近く経った。もうその時点で大量生産、大量消費の限界は見えていて、何かしらの工夫がされつつ「もの」が作りだされた。しかしそれは「計画的廃品化」を繰り返す多くの企業側の手法が巧みだったと言える。自分が何を買ってきたか振り返ればわかる。


 「成長病」という指摘も数多くなされてきた。政治の実権者が「病」と自覚しないところは怖いが、せめて自ら対策を練ることは忘れてはいけない。その時、「広告」が訴えること、囁きかけることに目や耳を凝らすこと。これが一番直接的で日常的な心構えである。「再生」とは別の貌と精神を持って立ち上がることだ。