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キミ子方式という生き方

2015年10月14日 | 読書
 【2015読了】98冊目 ★★
 『教室のさびしい貴族たち』(松本キミ子 仮説社)


 「キミ子方式」は自分の拙い実践の中でも思い出深い。きっと写真を整理すれば、もやしやらバケツやら空やら自画像やら、多くの作品に出合えるだろう。三原色と白だけを使う、植物は育つように描く、紙が足りなくなったら足して続ける…後に「酒井式」を学んだ時もそう感じたように、技術が一種の思想なのだ。


 この本の存在は以前から知っていた。産休補充の美術教師を続けていた著者が記した、さびしい子どもたちとの出会い。それは自らの人生を赤裸々に語ることであり、過剰なほどに人間の弱さや醜さと対峙することだった。描かれているのは1980年前後の東京の学校の一断面ではあるが、おそらく事態は今もある。


 読了して強く感じたのは、著者の生き方そのものが「キミ子方式」であること。つまり、「輪郭をなぞらない」「部分を見てつなげていく」「視覚だけでなく、触覚を大切にする」手法といってもいい。効率は悪いが、全体が出来上がるとき、見事に明確な像を結ぶ。質感がよく伝わり、同時に愛着が持てるようになるのだ。


 言い方を換えれば、徹底した感覚志向。遠い未来や大きな存在より、目の前の個、一つの部分、出来事、表情に直接働きかけるということ。もちろん、それらを丹念に掘ったり、少し俯瞰的に見つめ直したりはしている。そうでなければ著書という形は成さない。キミ子方式としての生き方が伝わる本になっている。