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桜と絵本と豆乳と

散漫な読書の秋の一日

2015年10月08日 | 雑記帳
 朝の3時台に目が覚めてしまい、本に手を伸ばす。ベッドサイドに置いてあるのは『教室のさびしい貴族たち』(松本キミ子 仮説社)。なんと三十年前に発刊されている著である。「キミ子方式」の本を読み実践を進めた若い頃を懐かしく思い出すが、それ以上に著者の生き方、仕事が興味深い。いつ読み終えられるか。


 結局、二度寝することなく、朝のメールチェックをした後に風呂に入る。何を持ち込もうかと考え書棚を見て、目についたのが『児童心理』誌。ちょっと気にかかる子が頭に思い浮かび、手にした特集は「『ふつうの子』の悩みに気づく」と「忙し過ぎる子どもたち」。少し前の号ではあるが、現状もあまり変わっていない。


 結局、風呂場読書は読み散らかしただけだったが、インタビューの金田一秀穂氏、北原照久氏が面白かった。特にブリキのおもちゃ博物館館長の北原氏は、幼年少年時代から何かこだわりをもってあんなコレクターになったと予想していたが、きっかけは「捨てられていたもの」だった点に価値観の深さを見た。


 学校に行ってから、必要があり一冊の本を開いた。『学校がよくわかる本Ⅲ(授業編)』(大西貞憲  PLANEXUS)「学校を応援する人のための」と書かれてあるように、保護者・一般向けなのだが、以前読んだときにとても納得できたので再読しようと決めていた。授業づくりを考えるうえで大きな示唆に富む本だ。


 家へ帰り夕食前の風呂に持ち込んでいる文庫は、クドカンのエッセイ。『え、なんでまた?』(宮藤官九郎 文春文庫)である。一種の脱力モノでのんびり読むには最適だ。溢れかえる言葉の洪水のなかで、何を心に引っかけるかは人様々だが、クドカンのそれにはとても共感する。セリフつくりの秘密が見え隠れする。