「友と仲間たちグループ」TGOBによる
友から招待状を頂いた。
「当番日で、おります。」と言うので出かけました。
画廊入口にて
友人さんの作品です。
展示会場の光景
↓
コメ欄は閉めています。
お越しくださって有難うございます。
「友と仲間たちグループ」TGOBによる
友から招待状を頂いた。
「当番日で、おります。」と言うので出かけました。
画廊入口にて
友人さんの作品です。
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お越しくださって有難うございます。
独断と偏見で綴りました。
雨は山の木々を潤し、谷に流れ川となりダムをつくり、農業や、
飲み水、電力として使われる。河口に流れ、洋へ流れ込む。
山旅で見て来た川に纏わる様々の形態を振り返ります。
川の下流です。
この辺から海との戦いが始まります。
山人間が東京に出てきてびっくりしたことは、
川が上流に向かって水が流れる、逆流現象でした。(潮の満ち干)
東京の河川は、土とコンクリートの堤防によって
水害が守られています。
⇑ 新中川スポーツセンタ付近の土手(土で積み上げられた)
この辺の住宅地は、河川水面とほぼ同じです。
堤防によって守られています。
カミソリ堤防外側歩道部分
カミソリ堤防内側
⇑中川ハーブ橋付近のコンクリート堤防
海流が上流に向かって遡る
朝の散歩に出かけた。
すると川の水が、上流に向かって逆流をしている。
その様子は、川面にペットボトルや草木が島となって逆流していた。
今では驚くことはないですが、初めて見たときはびっくりした。(山育ち)
これが潮の満ち干であるのかと、理解した。?
上平井水門
⇑東京の東部低地帯は、過去たびたび水害に見舞われましたが、
高潮対策事業により防潮堤や水門等を整備し、高潮・洪水などの自然災害から
都民の生命と財産を守っています。
水門管理センターからの遠隔監視制御にて、水門開閉等の運転操作を実施します。
⇑ 大場川のうち、現在の中川合流点から1キロ余り上流までの
区間(すでに紹介した水元公園西北端の閘門橋付近まで)は中川の旧流路で、
中川の流路変更によって大場川の一部に組み込まれた区間で、
東京都葛飾区と埼玉県三郷市の境界になっています。
⇑大場川は東京都葛飾区と埼玉県三郷市との境を流れ、
小合溜(現.水元公園)を 呑み込み、中川に合流する。
大場川の歴史は古く、延宝年間(1975年頃)に二郷半領(現.埼玉県三郷市、
吉川市)の新田村々によって開削された落し(排水河川)である。
二郷半領には二郷半沼と呼ばれた広大な
沼沢地が存在していたが、その干拓に伴う悪水落しを目的としていた。
1910年、古利根川と小合川(現・中川と大場川、小合溜)の水害防止目的で造られた
都内唯一のレンガ造アーチ橋。レンガは金町煉瓦会社のものです。
塩害防止の巨大堰堤
利根川
塩害の防止の堰堤です。
⇑利根川下流部は古くは「古鬼怒湾」と呼ばれ「香取海」と
呼ばれていた海であり傾斜はほとんど無い。
霞ヶ浦から流れ出す常陸利根川もあったことから、
上流から流れてくる真水の量が減ると銚子市にある河口から40キロメートル以上
(香取市付近)まで塩水が溯上することもあった。
その塩分の混じった水を、上水道や農業用水、工業用水として利用すると塩害が発生してしまう。
それより上流への塩水の溯上を防止し、
利根川下流部の水を利用できる状態にする事を目的としている。
山歩き、河川周辺の歩きで目に映ったものを時々に掲載してきた。
連載で凝縮し若干の解説を加えました。
山から流れ出た一滴の水が、人々に恩恵を与えるかと思えば、ある時は災害となって人々の社会を
根こそぎ破壊する凄さ。
そんなところを覗き見ました。
コメ欄は閉めています。