上下割用水及び中井堀用水の名残り
葛飾区水元公園小合溜めから発した用水路は、上下割用水として葛飾区の田畑を潤した。
上下割用水は名前を東井堀と変え分流し、当時の江戸川区の村々では笹ヶ崎・上篠崎・下篠崎・上鎌田・下鎌田・一之江新田・谷河内・新堀・鹿骨・松本・興之宮・上一色の12ヵ村が利用していたと言われています。
この水路は、農業用水路として使われてきましが、都市化とともに地域の主要な排水路に変わりましたが、水路の上には蓋がかけられ、車道または歩道としても利用されてきました。
用水路分岐点跡周辺です。
揚水ポンプ&案内板
右側の自動車道は、その昔し上下割用水の水路でした。
この辺から分岐し名前を変え西井堀&中井堀とした。分岐点跡です。
水路の名残分岐点のため、石を積み上げ揚水池にしセセラギ風に醸し出しています。
分岐した中井堀水路の名残です。
揚水を囲むように少女像が有ります。
隣接する民家の見越しの松。
石垣から揚水がコンコンと涌き出ています。
もう一体の 少年の像が池を見つめる様に…。
「西小岩緑道」表示石。
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母の里の細い川、その昔に大火事が有ったので、各家の前に細い川を掘って、上流の大きな川から分水、最後は元の川の下流につなげて作られています。こちらも、お住いの方の要望によって、作られたのかなと想像です。
以前読んだ本に家康が江戸を作った時にはやはり
水だったのですね
こうして残されている水路はいいものですね
この様な処を歩きたいものです。
散策しながら歴史を学ぶことが出来、
すばらしいです。写真もしっかり撮れています。
いい天気になりました。
すっかり雪もこちら溶けてしまいました。
なにしろ昔は井戸水でしたから。
そんなこれもまた名残りの風情でしょうか・・。
御ページに入り、寒さを忘れさせてもらいました。
なにかほのぼのとした暖かい気持ちに包まれました。
身近に良いお散歩コースがありますね。
この水路には小魚は棲んでいるのでしょうか。
石を積み上げ、せせらぎ風になっているのは風情を感じます。
散歩するにも良さそうなところです。
地域に根づいた水路は大切ですね。
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コメンと欄が貯まりました・・・。
・・・・が、チョイと所要に後刻返信いたします!!
所要に励みます、よろしく、悪しからず!!
此の用水施設は、付近の河川から引いているようです。
「親水」と言う言葉は此処江戸川区が発祥のようです。。
もう少しかルウに行きますと大きな小川のような親水公園が有り ます。
▲ 「親水」やこの地江渡川発祥地
どぶ川埋め立てセセラギ流る
▲ むかし用水今埋められて親水や
明治大正田畑潤し (縄)
この辺一帯葛西嶺としてたくさんのお米がとれたようです。
▲ 今むかし分水路かな水別れ
お前はコッチ俺はあっちや (縄)
水路は道路に塗り替えられました
▲ 「親水」やこの地が本場
建設省の賞状貰う (縄)
小松川親水公園
https://www.mlit.go.jp/sogoseisaku/region/tedukuri/pdf/Part1_s61/1-40.pdf
此処は源流に大きな池があり此処が水源地です。
古利根、江戸川から取水し、上下割下水へ流れ此処で分岐した
此処の用水路はその昔相当広かったようです。
熊谷に、星川通り柳の下に、水路が流れていますが、あれよりも膨大なものであったようです。
その分岐の名残です。。
▲ 昔はね田地田畑潤して
現在暗渠緑道残る (縄)
水路がそのむかし主役、僅かばかしの農道でした。