1枚の昔の「石曳絵図」から
どでかい石を、どの様に運搬
江戸城の桜門の内側、本丸の正面入口の巨石
江戸東京博物館(東京150年・企画展)に出かけた。
順次見て行くと、石曳図を見た。
築城するにはたくさんの石材が必要である。
運搬機材のない、その昔どの様に運ばれて来たのか。
霞が関、北の丸付近の勤務が多かったので、いつも江戸城の築造について
”あのどでかい石”は何処から、どの様に運ばれて来たのか?
そんな思いが、一時募った。
江戸東京博物館で見かけた絵図、1枚の石曳図
帰り来て、PCでの検索調査
試みた。
皇居東御苑にて
石に紋様が有りますが、藩の「記・しるし」今で言う刻印?であろうか。
伊豆稲取に展示されている畳石。
https://www.travel.co.jp/guide/article/25165/
江戸城を築くために、大量の石材の調達が必要となりました。
大名たちは石を運ぶために、それぞれ300~400艘もの石船を準備しなければいけませんでした。
この仕事は2年がかりにもなったそうで、これだけでもひと苦労です。
採石場では、石工が金槌とノミで穴を掘って崖から石を切り出し数トンの大きさにします。
それを人夫が修羅というソリにのせて、海岸まで運んでから、石船に積み込んだそうです。
ときには悪天候のこともありました。慶長11(1606)年、
海がしけで、佐賀藩主・鍋島勝茂の石船は120艘も沈没、
このほかにも加藤嘉明の船が46艘、黒田長政は30艘もの船が沈没したそうです。
危険が伴う、命をかけての仕事だったのです。
重さ12トンの巨大な江戸城築城石を総勢200~300人がかりで
豪快に引っ張ります。約400年前の江戸時代、この地で行われていた
百人持ちの石の運搬という史実を再現します。
ぜひ、見に来てください。参加もできます!
↓のHPは、大阪城のことが細に書かれています。
1、潮の干満を利用か最大100トンともされる巨石。
2、岡山県牛窓は石切り場でした。
https://alchemist-jp.at.webry.info/201404/article_29.html
コメ欄は閉めています。