近くの高砂団地付近を散策して思うこと
人口の急激増加 世帯の高齢化 街の移り変わりを見る
その昔羨望のまなざしで見つめた団地は今
巨大団地「多摩ニュータウン」
高度経済成長期における大都市圏への人口集中に対応するいために、都内各地に
大規模な集合住宅が建てられた。
これが若い人たちに文化的な生活ができると、羨望の眼差しでもてはやされ
いわゆる「団地族」なる言葉も生まれた。
1965年代~1970年代後半)
右の黄色い線内、第2次ベビーブーム(団塊の世代)
昭和26年に公営住宅法、昭和30年に日本住宅公団法が制定され、住宅不足解消の一翼を担いました。
ここ高砂団地(都営住宅高砂4丁目)昭和39年に都営団地完成、新に1,800世帯の
高層団地住民を迎えた。
葛飾高砂4丁目付近は一気に人口が膨れ上がった。
そこで1世帯当たり2人の子供が生まれたとして、簡単計算で3千人余の人口増になり、
これが第2次ベビーブーム(団塊の世代)である。
空地の向こうに閉校になった旧明石小学校が見える
空き地は団地を取り壊した場所
葛飾区総合教育センター&鎌倉郷土資料館に変わった。
校庭から児童の声は聞こえない!!
超高層のマンションになり集訳化された。
役目を終えた高砂団地旧建物取り壊す。 左に同じ、集約高層化したビルが奥に。
新世帯には一気に子供が増えたことにより旧来の高砂小学校では賄うことができなかった。
明石小学校開設により学童数の急増をしのいだ。1971年(昭和46年開設~
2000年(平成12年)の閉校)のわずか19年の学校歴史から見れば短しスパンです。
したがって高砂団地も、それなりに老朽化し言葉は悪いですが空き部屋が
多くなり棟によってはスラム化したところも見受けられた。
当時に羨望の眼差しで見つめた、巨大団地「多摩ニュータウン」がその時期に差し掛かっている。
コメ欄は閉めています。