日本音楽界
大衆音楽の偉業、顕彰を偲ぶ殿堂
その ー 2
少年時代に弦楽器に目覚め、青年期はマンドリン・ギターのクラシック音楽を研鑽しつつ、大正琴を愛した。その後は、指先・爪による音楽家・「古賀正男」から流行歌王・「古賀政男」
になり、昭和期を代表する国民的作曲家としての地位を確立し
数多くの流行歌をヒットさせた。
1978年7月25日・73歳の生涯を閉じた。
フジノ会の皆さん2Fへと・・.
壁一面にに顕彰された人達がずらりと
顕彰者の1例 平成30年 平成10年
日本の大衆音楽文化の発展に貢献した作詩家・作曲家・歌手・編曲家・演奏家の方々を顕彰し、
その偉大な業績をたたえ、偲ぶ殿堂です。
音楽の森をイメージした木漏れ日の差す殿堂は、顕彰された方々の
レリーフや、その人達の顕彰者ゆかりの品々を展示してあります。
元古賀政男邸の俯瞰模型図、住宅間取り図と共に。
音楽の殿堂!?中央にピアノがゆったりと置いてあります。
古賀政男メロデーヒット曲が自由に聞けます。
「影を慕いて」 古賀メロデーに浸かって下さい。
歌は世につれ、夜は歌につれ沢山の曲を送り出し、
その顕彰の数々が、所狭しと飾ってあります。
「ヒット曲はすぐれた曲である」、
「すぐれた曲は、時間がかかっても、いつかは必ず心に染み入りヒットする」
これがなかなか難しい!!
日本大衆音楽の歴史を振り返る、「大衆音楽の殿堂」を設けています。
この殿堂ホールには、顕彰者のレリーフが掲げられているほかに、
その年の顕彰者ゆかりの品々の多くが展示しております。
昭和年代の音楽に浸かる、音楽愛好者は是非ご覧ください。
2階は「音楽の殿堂」、3階が古賀政男の軌跡を知る展示室(企画展の部屋)
地下1階は書籍が読めたりカラオケができるスペースです。
多くの名曲を残した作曲家、古賀政男の博物館。
懐かしい昭和のメロディーに出会えます。
追 加
生家は福岡県大川市だそうです。
こちらにも 古賀政男記念館 があるそうです。
九州、ドンコさんから一報いただきました。
有難うございました。
open
今日も雨の朝です。
毎日カラカラ天気だったことが嘘のように、雨の日が続いていますね。
昭和歌謡史を飾る、数々の音楽家たちの足跡を知ることが出来る、とても素晴らしい施設でした。
私もジャンルは違えど、日々音楽を楽しんでいるので、とても勉強になりました。
さあ1週間の始まりです。頑張りましょう。
一度だけ見たことがあります。
ダイナミックな指揮をしていましたね。
実家の大川市にある古賀政男記念館よりも
そちらの方がはるかに規模が大きいようですね。
今度上京する機会があったら是非行ってみたいです。
へぇ~何を弾くのか尋ねると古賀メロディーだと言いました。
大学時代下宿で「影を慕いて」「人生の並木道」「酒は涙かため息か」「我が心の唄」・・・etc
上手い友人に教えてもらったそうです。
2~3度弾いているのを聞いたでしょうか?
結構柔らかい所もあったのだとちょっと安心しました
わが福岡県の宝だ と思っていたのに・・
大川市の記念館よりずーーーっとすばらしい。。
そりゃーそうですよね。。
音楽はいいですね。。
私も 演歌大好きです。
ここ日増しに温かさを感じるように!
しかし雨の時はまだ寒い、昨日はチョイトチョイト・・・・・。
日曜日に変更になった、フジノ会世田谷崖線発見ウオーク用事と重なっていけませんでした。
山男さんの楽器を操る音色を聴きたいものです。
古賀政男記念館よかったですね、さすが大御所うっとりしながら回ってみました。
古賀メロデーを、PC/youtubeで聞きながら時代をふり返るとともに音色を楽しんでいます。
≫
実家の大川市にある古賀政男記念館よりも・・・・・。
ハイ早速リンクして参考にさせてもらいました。
有難うございます。
歌は世につれ、夜は歌につれという言葉がありますが、
時代には争うことができません。
TVでも昔は、各局1番組は歌番組を持っていましたが、最近は首をひねる程度、したがってNHKの紅白歌合戦を見ても、
あまり関心がなくなりました。
、
最近はDBすっかりご無沙汰で、編集していません。
その代わりと言っては理由になりませんが、ブログの方を力を入れていますが、思うに任せません。
≫大学時代下宿で「影を慕いて」「人生の並木道」「酒は涙かため息か」「我が心の唄
ハイハイ、了解了解。
・古賀メロディーとんちゃん胸を締め付けて
あなたの影に付いて行きます
、
はい、そうなんです。
ドンコさんから1報を頂いて、沿おうなんでしたか、福岡が生まれた場所!!、
早速リンクさせてもらいました…よ。
音楽番組が全盛期の頃、ここにある「けやきホール」から中継がなされていた。
最近は番組が少なくなりました。
momomamaさんはコカリナの奏者ですから、音楽には造詣が深い。
縄文人無芸大食、アルコールでガス。
、
人生の応援歌でした。
・人生の 並木道 で歩いた 長い道
実は私の名前もよく売れていますが
(2月以降新聞に顔を出しているのは6回ただし地方版)
ほとんどの人は私を知っていません。
ただ堂々川のホタルと言えば知ってる!
知ってると言います。
今後どうすれば知ってもらえるのでしょうか。
後継者を探し当てられるのでしょうか?