人生の終末等について
「年年歳歳花相似 歳歳年年人不同」
「囲炉裏を囲み家族団らん、気が付いた時は我一人なり」
= 古に思いを巡らす =
昔の農家はこんな様子でした。此の写真はネットよりお借りしました。
少年期の家族団らんの時代を想起した。
姉二人を亡くし、古を思い浸かって走り書きをしていた時、脳裏とピッタリ
合致した 此の画像に出会った。
囲炉裏にて、焼おにぎりや焼き芋を食べた思い出が、走馬灯の様に
脳裏を横切った。
吾れ病気療養中にて退院後して間もなく、姉の訃報を受けた。
退院間もなくであったため・・・告別式には失礼した。
あの囲炉裏を囲みし頃を想い振り返るとき、赤々と燃え上がる鉄瓶がグラグラと
沸き立つお湯、幼き日の一家団欒を思いだしてフト哀愁に浸った。
「在りし日の団欒の人、みな土の中なり、俺一人のみ」
当時の人は亡く、人間の儚さを知る。
年年歳歳花相似 歳歳年年人不同
◎ ふるさとや囲炉裏を囲み火を焚きて
あの時の人吾一人のみ (縄)
家族葬が多くなった
(ここ1年に数回葬儀に出席して、思うこと)
家族葬で故人を送ることで、ご家族が納得できるお別れのかたちを
つくり出しやすくなります。
その反面、親族や友人・知人を含め、のこされる方々にとって
どのような方法が最適であろうか。
納得できる家族葬になるのか、慎重に考える必要がある思います。
形式にとらわれずに、家族が過ごした時間を想い、故人さまとの
最後の時間を大切にしたお別れをしていただきたい。
大規模でも豪華でもなく、令和の時代に合ったちょうどよいサイズ感で
よりそいあえるお葬式をしたものです。
以前は、人が亡くなると町会の人が集まり、食事の支度から葬儀の
段取りまでを取り仕切った。
食事は一の膳(親戚・知人)、次いで二の膳(町会・関係者)等と
食事一つとっても大変な出来事でした。
お通夜にはじまり、翌日は本葬、そして翌々日は片付けと丸々3日は費やした。
コロナ禍以降 家族葬が急増して葬
儀そのものが簡素化されて「葬式の実感」
が薄れて来ている確かです。
以前までは町内会の手伝いや、葬儀が淋しいことは確かですが、
経済的や日数の短縮で簡略化されることは確かです。
本葬1日だけでできることは、合理的だと思います。
私の残りの人生も指で数えるほどの高齢を迎えているが 自宅でひっそりと
家族葬にて見送ってもらいたいと願うばかりです。
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