川の上流は源流
そこには過疎化の波が急激に・・・・・・
前回までのあらまし
山梨県・小菅村・主催の山旅に参加した。
過疎化に悩む村興しの一環として山、川、森林、特産物に拘って、
村の活性化の取り組みが始まった。
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◎源流研究所
の設立
社会から取り残されたような、ひっそりと暮らす村。このままでは村の存亡の危機
。
財政が逼迫するが、平成の合併も相手すらしてくれない。奥深い山村は、なんとしても村を一本立ちして、そこに暮す村民の暮らし向きを考えなくては・・・・・・・・・。
小菅村の財産は、豊かな自然〔山・森、川〕、農産物、伝承行事、鉱泉湯、・・・など等を中心としてプロジェクトが動き出した。
その中心人物が、中村文明氏である。
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◎多摩川源流の特異性の情報発信
多摩川源流に関して、地理的、歴史的に見て他の地域と異なる特異性を持っている。
その一つは、地理的には多摩川の源流として経済的、文化的に下流との結合が密接であるにも拘わらず、東京都と山梨県に行政的に分離しているため、様々な弊害が生じている。
山梨県民は、多摩川の源流が山梨にあることを気づいていないし、都民のほとんどは多摩川は奥多摩湖から発していると信じその上流に水源の森があることを知らない。どちらからもあまり関心の払われない知られざる地域である。
もう一つは、上記の件と関係して様々な情報が源流から、中流・下流に届かないことである。テレビも新聞もラジオも都内で起こったことは都内に、県内で起こった出来事は県内へ報道する。源流研究所の取り組みは、新しい時代の要請に応えた事業として注目されマスコミで繰り返し報道されているが、その大半は甲府盆地のある山梨県内へ流れていく。〔源流研究所設立趣旨)
それには豊富な自然を活かし、地に足の突いた着実な計画、豊富な内容、来村される人々に満足してもらうメニュを作らなくてはならない。
そして、情報の発信。
一歩一歩、取り組みが始まった。
小菅村と中村文明氏
が施策したプロジェクト
1、多摩川源流最初の一滴の旅
2、源流古道水源林の旅〔2泊3日の山旅〕
3 大菩薩峠の山旅
4、源流体験教室 (小学生・中学生対称小菅川の川遊び)
5、多摩川源流写真展 〔中村氏が虜になった源流写真。
各地で開催して小菅村 のPRに努める〕
6、多摩川源流絵図の作成
〔今まで未完成であった源流の淵、滝、流域を実査し源流詳細図作成した〕
7、水と森と食の祭典・大地の恵祭 〔村のイベント。
流域住民の多くの参加者が集う〕
9、森林再生ボランテヤノ募集 〔間伐、下刈りに汗を流す〕
8、全国源流シンポジュウムの開催 〔どこの源流も同じように過疎化に悩
む、その現状を全国的規模に束ねて共通意識を持つ〕
10、源流大学校の開校 〔長年培ったノウハウをみんなで学びあう〕
内容と写真は関係ありません
主なプロジェクトを紹介しましたが、他にもまありますが割愛しました。。
詳細は、『文明の源流日記』
をお読みください。
◎ 終わりに
何故このようなプロジェクトを取り上げたか・・・・・。
『多摩川源流最初の一滴』に夫婦で参加した。
話を聞いていて、このプロジェクトに徐々に引き込まれて自然が織りなすすばらしさに感激した。
縄文人も荒川源流の奥秩父に生まれ育った。
小菅村と同じような環境にあり何か関わることができないかと・・・プロジェクトについて触りの一部をまとめてみました。
= 終り=