和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

整理と卒論。

2011-02-01 | 短文紹介
卒論といえば、
外山滋比古著「思考の整理学」を私は思い浮かべます。

まあ、それはそれとして、
読売新聞教育取材班編「わたしの先生」(学事出版)に
栗田靖之氏が梅棹忠夫先生をとりあげておりました。
これ、私は新聞に掲載されているときに読んで感銘してました。
その切り抜きはもうどこへいったか、わからず(笑)。
とにかく、そこに、こうあります。


「学問は自分の興味から出発するのですが、その後は社会的還元力を持たないと力を失う。若者の『知りたい』という情念を愛しつつ、世の中に受け入れられる現実的な姿になるよう、身をもって指導してくださった」
「梅棹さんに出会っていなければ、世間と縁を切った『学問バカ』になっていたように思う。いい師匠に恵まれると、金持ちの家に生まれつくより豊かな人生を送れますなあ。恩師に心を育ててもらいました」

うん(笑)。この箇所を引用しておきたかったのでした。
それはそうと、「整理と卒論」ということを思います。

たとえば、「整理学」という著書がある加藤秀俊の著作「メディアの発生」(中央公論新社)のあとがきには、こうあったのでした。

「・・・・わたしはいつのまにやら七十九歳の誕生日をむかえていた。いうなれば、これはわたしの八十代へむけての卒業論文のようなものだ、とじぶんではおもっている。筆のすすむまま書きつづけ、気がついてみたら原稿の量は千二百枚をこえていた。こんな長編を書き下ろしたのは生まれてはじめての経験だった。・・」


この卒業論文という言葉が印象にのこってました。
つい、最近、板坂元著「発想の智恵表現の智恵」(PHP研究所)という新書サイズの本を、なにげなく、開いてみました。その「まえがき」はというと、


「若い頃から書いてきた本が、友人の勘定によれば、130冊近くなってきた。本書は、その本の山に思い出のタネになる小文を集めてみた。」

これが、「まえがき」のはじまり、つぎに「まえがき」の終わりを引用してみます。

「長年拙著を読んで下さった方々が、どう見ておられるか、私自身には想像の限りではないが、古い日記を読み返して昔の記憶を呼び起こす思いで本書をまとめた。大学時代に卒業論文を書くことになったとき、先輩たちから『卒論を書くのは、恥をかくと思え』と言われたことがある。校正刷りを読みながら、そぞろその先輩の言葉を思い浮かべたが、あとは、世に出たものが一人歩きして、それなりの訴えをしていくことになろう。期待と怖れをこもごも感じながら送り出したい。   平成十年六月 板坂元  」


板坂元著 「 発想の智恵 表現の智恵 」
これを以前は、何気なくパラパラと読み捨てておりました。
これから、身近に置き、ゆっくりと読み直していきます。



ついては、板坂元著「考える技術・書く技術」(講談社現代新書)を読み返すと。
そこに、こんな箇所がありました。

「雑学といえば、わたくしが卒論のために俳諧の資料を集めていた頃、天理図書館の一室で中村幸彦教授(当時は古義堂文庫主任)から突然『雑書をたくさん読みなさい』といわれたことがある。おそらく、そのころ自分のやっている主題を、文字通り重箱の隅を楊枝(ようじ)でつっつくようなことしかやっていなかったので、見かねてそう忠告されたものと思う。なにしろ、江戸時代の雑書ときたら、何百何千とあるので、その当時は『これは困ったことになった』と心の中で思ったものだ。・・・」(p61)

そして、「続 考える技術・書く技術」をひらくと、こうあります。


「・・・書いた文章を読んでくれる人に対するエチケットとしても、情報収集に執念を燃やすことは、基本的な態度なのである。」(p166)



もどって、「考える技術・書く技術」には、こんな箇所もありました。


「たとえば、考え方・論文の書き方を主題としたものの中で、もっともよく読まれている『論文の書き方』(清水幾太郎・岩波新書)、『発想法』(川喜田二郎・中公新書)、『知的生産の技術』(梅棹忠夫・岩波新書)などが、気をつけて読むと、共通して私小説的な部分を多く持っているのは偶然の一致ではないのではあるまいか。数ある類書のなかで、読んでいてたのしく、なにか励まされるような気になるのだから、著者のすがたが現れるのは効果が大きいといわなければならない。・・・」(p135~136)


う~ん。とりあえず、知的生産としての卒論。


コメント
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