和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

イソップと名古屋。

2014-05-16 | 地域
川名澄訳「新編イソップ寓話」(風媒社)の
解説と参考文献が、たのしい(笑)。

解説に

「ちなみに、十二世紀ごろに成立した『今昔物語集』の
『亀、鶴の教へを信ぜずして地に落ち甲を破れる語』(巻五・24)
が、イソップ寓話の『亀と鷲』とモチーフを共有することも
知られています。どうやら、古代インドの説話が
漢訳仏典を経由して日本に渡来したもののようですけれども。
意外なところでは、たいていのひとが知っている
『毛利元就の三本の矢』の逸話。
あれは実話ではありませんが、イソップの
『おとうさんと子供たち』という寓話にそっくりですね。」
(p167)

ということで、
参考文献には
柳田国男編「日本の昔話」角川文庫
『今昔物語 天竺・震旦部』池上洵一編、岩波文庫
とかの書物も並びたのしめます。

ところで、
柳田国男が対談で薦めていた本の一冊に
『沙石集』があったことが思い出されます。

少年少女古典文学館をみると
藤本徳明氏の解説文にこうありました。

「この『沙石集』の著者は無住という人で、
鎌倉時代の嘉禄2(1226)年に生まれ、正和元
(1312)年に85歳の長寿を全うしてなくなった。
先祖は鎌倉幕府のそうとうな地位の高い武将だったようだが、
一族が没落し、みなしごのようになったので、出家し、
いまの奈良県、京都府、神奈川県などあちこちの
宗派の寺院で修行して歩いたようである。
のちに、いまの名古屋市にある長母寺(ちょうぼじ)
の住職となって、ここで『沙石集』のほか、
『雑談集』『聖財集』などを書いた。
こういう人生の足跡は、無住の考えかたにも、
大きな影響をあたえているようだ。
一族の没落、みなしごに近い生い立ち、
諸国放浪、いなかの貧しい寺の住職
(名古屋市は当時、まったくのいなかだった。)
といった生きかたのなかで、無住は、
苦労人としてそだち、人間味あふれる
ユーモアの理解者となっていたものと思われる。
また、いろんな宗派の寺院で勉強したので、
鎌倉時代に強かった自分の宗派だけが正しい、
という考えかたには、とちらかといえば批判的であった。
鎌倉時代は、親鸞や道元、日蓮など、有名な僧侶たちが
多く活躍した時代である。この僧侶たちの考えかたは、
親鸞なら念仏、道元なら座禅、日蓮なら題目を尊重して、
ほかのものを否定する傾向が強かった。
同じ時代に行きながら、無住は、どのやりかたも
それぞれに意味があるのだから、
ほかのやりかたを否定してはいけない、
仏教だけでなく、神道や儒教もたいせつだと、
対照的な考えかたを示した。
現代の日本人の多くが、子どもが生まれると、
神道の神社に宮参りし、結婚式はキリスト教の
教会であげ、葬式は仏教の寺院でおこなうなど、
無住に近い、こだわりのない考えかたで
宗教をとらえていることは、興味深い。」(p330~334)
(講談社「少年少女古典文学館13古今著聞集ほか」)


ふ~ん。無住は「名古屋市にある長母寺(ちょうぼじ)
の住職」となって「沙石集」を出したのか。
そういえば、「新編イソップ寓話」を出した
発行所の風媒社の住所は
名古屋市中区上前津となっており、
訳者の川名澄は1960年名古屋生まれ。
とあるのでした(笑)。
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新編新刊イソップ寓話。

2014-05-15 | 本棚並べ
風媒社から川名澄訳の
新刊「新編イソップ寓話」が出ておりました。
絵はアーサー・ラッカム。

うん。楽しめます。
最後の解説も川名澄です。

楽しい本は解説もまた楽しい(笑)。
ということで、解説から引用。

「もともと、イソップ寓話はおとなのための
民間説話でした。いたるところに機智と諷刺が、
諧謔と冷笑がひそんでいます。弱肉強食の
人間社会のきびしい現実にたいして、
あたりまえの庶民の立場から冷やかな視線を
投げかけ、たとえ話の皮肉な笑いでまぎらせながら、
ひとすじなわではいかない処世術をつたえるもの
でもあったのです。・・・」(p172)

解説の最後の方も引用すれば、
もう私はそれで満足(笑)。

「イソップ寓話の世界は、おびただしい異本や
類話によってかたちづくられている、
なつかしい説話の森です。クラシック音楽の
愛好家がお気に入りの楽曲をさまざまな演奏家の
解釈で聴きくらべて愛(め)でるように、
世にあまたある『イソップ寓話集』の簡素な
テキストを読みくらべながら散策のひとときを
過ごすのは、ささやかだけど極上の愉しみ
といえるでしょう。」(p176)

新編の新刊イソップ寓話に乾杯(笑)。
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しかし本があった。

2014-05-14 | 短文紹介
ポプラ新書の新刊に、
半藤一利・磯田道史対談「勝ち上がりの条件」
副題が「軍師・参謀の作法」(800円税別)。
さっそく注文。
まずは、第一章をパラパラひらきました。

うん。磯田道史氏の名前があったので注文(笑)。
ということで、磯田氏の箇所を引用。

磯田】 小早川隆景は小さいころから
人質としてよそにやられて、寂しい暮らしを
して育ちます。しかし彼が追いやられた大内氏の
山口は、戦国の西日本では、最も優秀な学者や
書物が集まっていた場所なのです。ここは重要です。
真田幸村(信繁)にしても徳川家康にしても
小早川秀秋にしても、親元を離れて人質暮らし。
明日の命も知れぬ状態ではありましたが、
しかし本があった。最高の先生がいた。(p53)

磯田】 徳川家康も、駿府に人質にやられた
ことが不遇・不運として語られるけれど、
岡崎での松平のお坊ちゃんのまま暮らしていたら、
天下を取れてはいないと思います。
家康は当初、人質として加藤順盛(のぶもり)の
邸に幽閉されています。加藤は信長のおやじの家来
だった人ですが、熱田神社の近くに暮らしていました。
そしてこの人質環境には本がいっぱいあった。
その後、駿府の今川義元邸に移されると、
そこには当時最高レベルの教養人ともいうべき
五山の禅僧が大勢いた。(p54)


磯田】 ・・・・先にも言ったように、
中世というのは都鄙の差が大きい社会でしたから、
文化は点でしか存在しなかった。その点の場所、
京とか寺とかにアクセスすることなくしては、
名軍師にはなれないのですよ。
放浪とか人質というのが、
名軍師を生み出す母になったわけですね。(p56)
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それは『今昔物語』に。

2014-05-13 | 本棚並べ
益田勝実編集・解説「柳田国男」(現代日本思想大系29・筑摩書房)が、楽しい。
といいながら、他の本と並べ読みなので、ちっとも進まないのですが(笑)。

この本に、
折口信夫との対談が掲載されております。
司会は石田英一郎。そこから引用。


石田】 武家の関係の記録の中で、
日本の古い農民の生活なり文化なりを
うかがわせるものはありませんか。

柳田】 それは『今昔物語』にこしたものはない。
『今昔物語』はいくど読んでもいきいきとして、
中世の因習、殊に田舎の生活をよく書いています。
その次にぼくらが珍重しているのは『沙石集』、
これが無かったら知らずにしまう
或る階級の気持ちがよく保存せられている。
浄瑠璃なんかは類型ばかり多くて、
五分の一しか伝わらなくても、
われわれは不自由はしない。それに比べると
『今昔物語』や『沙石集』や『著聞集』は
一つ一つの話に価値がある。(p241~242)

そういえば、
臼井吉見編「柳田國男回想」(筑摩書房)の
最後にある座談会のかなで、山本健吉氏は

山本】 それから柳田先生は日本の文学
(文学に限らないけれども)というのは
むかしから都会の文学中心で、農村の生活、
あるいは農民の生活を描いたものが非常に少ない、
ということを言われたことがある。先生は、
四冊の座右の書として
『今昔物語』『沙石集』『狂言記』『醒睡笑』
をあげられたことがあるんです。
これはわたしに口頭であげられたのですが、
そういうふうな系譜の文学が非常に貧しい
ということですね。それで、あるいは
旅行好きの花袋なんかとつきあって、
ある期待を文壇に持たれたことがあった
と思うんですよ。それで深入りされた面も
あったんだろうと思うんだけれども、
できたものが、けっきょく私小説。
それじゃしょうがない、というような点があった。
それでわたしは、先生が民俗学に進まれた気持には、
やっぱり、日本の近代文学の発想に対する
批判というものがあって、その気持が裏おもてを
なしているような気がするんです。(p320)

う~ん。
『日本の近代文学の発想』と対する『民俗学』。
そんなことより、『今昔物語』への着眼点が、
ありがたい(笑)。
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あたりまえのこと。

2014-05-12 | 本棚並べ
1954年(昭和29年)に
柳田国男編「日本人」(毎日新聞社)が出ております。
そこにある、「家の観念」で
柳田国男は、こう書いておりました。

「一般的にいって、
ここ数年来の日本人というものは
恐ろしくなるほど質は低下し、
粗雑になってきているのである。・・
それを気づかせる人をひとりでも
多く作り育てていくために、
ちっとも気を弱めずに進んでいける
という学問が一つ起こっているのである。
われわれが民俗学という小さな学問
の区域に割拠しておりながら、なお
日本全体を背負って立つようなことをいう
理由はそこにある。・・」(p39)

「こんなにめでたい国に生まれながら、
日本人にはなかなか自分の国のありがたさを
感じていない人が多いのであるが、
この一つの責任は文献ばかりたよりすぎた
今までの日本の歴史の教え方が正しくなかった
からでもあったろう。
われわれの生活にもっとも関係の深い
近世においても、文書の記録の残っている
地域というものは非常に限られている。
記録のない地帯にそのようなことがなかった
というのではない。しごく当然なことで、
当時はちっとも珍しいとは感じなかったがゆえに、
こんなあたりまえのことを書いたのではきりがない
という心持から省略されているのである。
こんなにも時代が変ってしまった今、
文献がないのだから昔はそういうことはなかったのだ
と説くことは早計である。・・・・・・
今まで経てきた日本人の生活を省みようとするならば、
その痕跡はありあまるくらいに
その資料を提供してくれるだろう。」(p55~56)


ちなみに、
柳田国男は昭和37年死去。

あとがきで
「『日本人』という題目は、
自分にとってきわめて魅力のある名称である。・・・
私はこの題目を引き受けたとき、
日本民俗学の成果を利用するのに
この上もない機会だと思った。」
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そふで御座らぬさりながら。

2014-05-11 | 本棚並べ
今日。5月11日の
毎日新聞の今週の本棚と
産経新聞の日曜読書欄と、を読む。

数冊欲しい本がみつかる(笑)。

気になったのは、
今週の本棚の「昨日読んだ文庫」。
上方文化評論家・福井栄一氏の文。
とりあげられたのは岩波文庫の
『耳嚢(みみぶくろ)』。

「著者は、根岸鎮衛(やすもり)(1737~1815)。
南町奉行を17年も務めるなど、
旗本の三男坊から異例の出世を遂げた彼は、
市井の人々から聴いた珍談奇話を三十余年に
わたり、営々と書き溜めた。
収録話に怪異譚が多いこともあり、
歴史学ばかりでなく民俗学の立場からも
注目される同書だが、巷説稗史入り乱れる中に、
時々、はっと胸を衝かれるような視点や深遠な
人生訓が顔を出すから油断がならない。」

こうして、一例として引用されたのが
魅力的です。

巻之一「諺歌(げんか)の事」にあるそうで。


「ある人がやって来て、最近聞き知った
『世渡り上手の歌』と『世渡り下手の歌』
というのを教えてくれた。曰く

【世にあふは左様で御坐る御尤(ごもっとも)
これは格別大事ないこと】
【世にあはじそふで御座らぬさりながら
是は御無用先規ない事】

二首を意訳すれば、

〈 巧く世渡りするには、『おっしゃる通り!』
『ごもっとも』『それで問題ございません』
とだけ言っておけ 〉
〈 『そうではない!』『しかし、私が思うに・・』
『こんなことは無用だ』『前例がないから無理だな』
なんてことばかり言ってたら、
人生、ロクなことにならんぞ 〉

と相成る。・・・・」


うん。『耳嚢』は上・中・下の三冊。
思わず開きたくなります(笑)。

最近つくづく思うのは、
勿論、本は内容なのですが、
さりながら、
その本を紹介してくださる、
きっかけも、
それにおとらず貴重でござる。
ゆめゆめ、
その機縁をぞんざいにはすまい(笑)。

ということで、
本との機縁に、着目し、そこを、
このブログに、書き込めたなら。
どなたよりも、まずは、
私自身が読み直したいと思います(笑)。
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河口まで4キロ、標高1メートル。

2014-05-10 | 地震
『石巻市立大川小学校「事故検証委員会」を検証する』(ポプラ社)
という新刊が出ていたので注文。
最初のページに、

「石巻市立大川小学校は、
宮城県石巻市の北東部の釜谷(かまや)という集落にあった。・・・
河口まで四キロほど、標高一メートルほどの低地。・・・」

うん。まず、
ここを確認しておきたかった。
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民俗学をやる諸君が。

2014-05-09 | 本棚並べ
筑摩書房の現代日本思想大系29「柳田国男」。
その編集・解説は益田勝実。
うん。柳田国男という登山への
かっこうの水先案内人を得たような
そんなルンルンな気分で読み始める(笑)。

本の最初にある解説「柳田国男の思想」に、
柳田国男編「日本人」について注釈がある。

「この『日本人』は、
柳田国男と弟子たちの共同執筆であるが、
章ごとに分担執筆者が明記されている。
『日本人とは』と『家の観念』の二章は
柳田の担当したもの。
『定本 柳田国男集』に漏れているが、
拾遺補逸の折には、ぜひ入れてほしい、
と願っている。」

こう注に書きこまれておりました。

うん。それではと、
定本も読まない癖して(笑)
「日本人」を、古本で注文することに。

浪月堂(函館市駒場町)
本代600円+送料360円=960円
先払いでした。
さて、ぱらりと読んだのは、
第一章「日本人とは」。
その最後を引用することに。


「・・・もっとまじめに憂えている人たちに
対してすらも、なお非難せずにはおられないことは、
彼らは外国人の書いた正確な論議をそのまま日本に
当てはめようとすることで、それが筆者には
大きな失敗のような気がしてならないのである。

日本では島国でなければ起こらない現象が
いくつかあった。いつでもあの人たちに
まかせておけば、われわれのために悪いような
ことはしてくれないだろうということから出発して、
それとなく世の中の大勢をながめておって、
皆が進む方向についていきさえすれば安全だと
いう考え方が非常に強かった。いってみれば、
魚や渡り鳥のように、群れに従う性質の
非常に強い国なのである。

そのために相手が理解しようがすまいが
むとんじゃくに、自分の偉大さを誇示するために
難解なことばをもって、ややすぐれた者が、
ややすぐれない者を率いる形になっておったのでは、
真の民主政治がいつまでたってもできる気づかいは
ないのである。せめてわれわれの仲間だけは
一つ一つについて、より具体的に
マス・コミュニケーションというものの長所と弱点を、
真剣に考えてみなければならない。

こういうことこそ、無識であった世の多くの人たちを、
というよりも文字にあまり縁のなかった人々を
対象にして、今日までの変遷を知ろうとする
民俗学をやる諸君が、
真先に考えねばならぬ大切な問題だと考える。」
(p12~13)



そうそう。
ここに出てくる「ややすぐれない者を率いる」
というので思いつくのは、
井上章一・坪内祐三対談
「『考える』ための素振り」のこの箇所。

坪内】 「考える人」の著作の場合、
読者は、その人より小さなレベルでしか
考えられない。そのミニチュアが
できちゃうだけで。

井上】 とにかく、その人の思考に
つきあわされるわですからね。
いやなのは、そこですよね。
だいたいは「俺についてこい」
というパターンになるわけだから、
一方、書誌学は
「私を踏み台にして、あなた伸びていって」
って、ささえてくれる感じですもんね。
・・・・・(p74)

  (季刊誌「考える人」2006年夏号)

う~ん。民俗学をやる諸君が、書誌学と
タッグを組めば(笑)。
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インタビュアー木村俊介。

2014-05-08 | 短文紹介
木村俊介著「善き書店員」(ミシマ社)を
ひとことで、どのように言えばいいのかと、
思っていたら、

坪内祐三と井上章一の対談
「『考える』ための素振り」の箇所が思い浮かぶ。

坪内】 それってどこか、アンカーマンとデータマンの
関係みないですね。ノンフィクションの世界なんかでは、
データマンの集めてきたデータを、アンカーマンつまり
ノンフィクション作家が書く訳じゃないですか。でも
実は、データの集め方に、考えが反映されていたりする
んですよね。どんなデータを揃えてあるかで、
全然違った仕上がりになる。今、調べること、
その知性というのは、ないがしろにされていますよね。(p73)

井上】 そうか。そうそう、
特に考えているという自覚はなくても、いろいろ
調べてる時、物思いに耽ってますよね。(p74)

(以上、季刊誌「考える人」2006年夏号より)


この「いろいろ調べてる時の物思い」を、
「善き書店員」を読みながら、味わえる、
そんな楽しみがあるんです。

たとえば、
木村俊介さんは第8章で
こう語っておりました。


「私自身が自分の職業を『インタビュアー』と
名乗っているのは、仕事の素材にしているものを
『声』だとはっきりさせておきたいからである。
同じジャンルで仕事を続けていく人というのは
一般的には『書く人』としての自負を強めていき、
キャリアを重ねるごとにじかに取材することが
少なくなったり、さまざまな引用を組み合わせた中で
の事実の語りをする比重が増したり、あるいは
歴史的な文献にあたってそれらを読み解いて
ある事象を語ったりする例が多いように感じられていた。
しかし、自分としてはやっぱり仕事の素材はじかに
話を聞いたインタビューというずっと使い続けられて、
自前で一次情報としてのデータを作り続けられるものに
しておきたかったのである。
『書く人』より『聞く人』でいたいし、自分がこれまで
発表してきた本にしてもすべてインタビュー集なのだが、
それらの本の質の高さがうんぬんというよりは
録音されてノーカットのまま残っているそれぞれの
取材の声のまるごとのほうがずっと価値があるのではないか
とさえ思っている。・・・
そもそものデータ収集の前線でのやりとりこそ
最終的なまとめ以上のかなりの工夫が要るんじゃないか
・ ・・・・これだけを続けていったらそれはそれで
おもしろいのではないかという考えで私は
この役割を引き受けているわけだ。
ちょっとした聞きかたでかなり成果が変わるのが
声による調査だから、私としては個人的には
さまざまな他人や団体による調査をもとに
現象を語る場面を目にしても、どのくらい
本気で答えているかわからないからな、
といつも思ってしまう。調査を数値化するまでには、
質問のしかたからはじまってデータを取ってきた人や
それをまとめた人の偏見が入りやすいものなので、
そのデータを作った人以外が語ると間違いも
起きやすいのではないか、とも感じている。
それから、やっぱり人の話を聞くということでいえば、
その声をもとにした取材の結論よりも、
聞いた声そのもののほうがずっといいというは
かなり強く実感していることである。
・ ・・・・」(p318~320)

この章はご自身が書いているわけでして、
インタビューとは別の楽しみで読めました。

もう一度、
井上章一・坪内祐三対談にもどると

井上】 名前が出てふと思ったんですが、
私は、知性としてはむしろ、谷沢先生の
ような物知りのほうに憧れますね。・・・
私自身のなかにある『頭が下がるなあ』
という思いは、いわゆる『考える人』、
突き詰めて考える人よりは、
書誌学者のような『調べる人』の方に
向かいますね。

坪内】 それは私もそうですね。
『考える人』の本を読んでも、
考えるきっかけにはならない。
書誌学的な本を読んだほうが、
自分が考えるきっかけにはなりますね。
(p73)
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書棚の処女雪。

2014-05-07 | 詩歌
今日とどいた古本は

つたや書店(名古屋市中区上前津)
真継伸彦現代語訳「親鸞全集」の
1と2( 教行信証上下巻 )。
2巻セットで1680円+送料350円=2030円。


これで
真継伸彦現代語訳「親鸞全集」全5巻揃う。

ところで、昨日の曇り空とは
うってかわって、今日はよい天気。
ちょうどひらいた
田中冬二の詩集「海の見える石段」。

その詩「海の見える石段」に
こんな箇所。

 夏みかんの木の間に あかるい初夏の海
 僕も眺める
 しかし僕はぢきに海よりも 
 彼の女(かのぢょ)の髪の毛と横顔に見入る



この詩集には「書棚」という詩がありました。
はじまりは

僕は毎夜 書棚の下へ寝ることにしてゐる


五行目と六行目は

何もない陋屋(ろうをく)に
 書物だけが燦然と輝いてゐる
まだ見ぬ書物は僕にとつて
 あの大山系の処女雪(しょぢょせつ)である


うん。
「書物だけが燦然と輝いて」いても
イケナイ・イケナイ(笑)。
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現在、横書き前線は。

2014-05-06 | 短文紹介
外山滋比古著「日本語の作法」(日経BP社)は
2008年10月発行でした。
このあいだネット検索していたら偶然に
この本が文庫に入っているのを知る(笑)。
2010年5月に新潮文庫。カバーも楽しい。

さてっと、文庫用のあとがきがあるのか、
解説があるのか、気になるなあ。

そんなことを思いながら、
単行本をとりだす。

せっかくなので、
そこから引用。
その第四章は
「変わりゆく日本語」。

「手紙、はがきをヨコ書きにするのは
ワープロ普及とともに始まったことだが、
年配の人たちの間ではなお抵抗がある。
現在、ヨコ書き前線は
五十五歳から六十歳に向かっている。
メールはもちろんヨコ書きである。
やがてヨコ書き前線は消滅するだろう。
そうなっても短歌、俳句は断乎として
立ち続けるのだろうか。
日本語を読むにはタテ書きが合理的であるが、
泣きどころは数字である。
なにごとによらず数字がものを言うようになり、
数字の使われることが多く、また、
大きな数字が多用される。戦前、萬という数は
日常的ではなかったが、いまはごろごろしている。
そういう数字をタテ書きするのが難しい。
・・・」(p134)


そういえば、
「日本語の作法」を読んだときに、
無性に手紙を書きたくなってきたことを
思い出しました(笑)。
うん。機会があったら、
文庫本も手元におこうかなあ(笑)。



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保険会社の津波想定。

2014-05-05 | 地震
毎日新聞2014年5月4日の今週の本棚。
そこに、磯田道史評で
後藤和久著「巨大津波 地層からの警告」
(日経プレミアシリーズ)がありました。

これ、まだ出版されていないんだなあこれが。
でも、売り切れよりはいいか(笑)。

ところで、磯田道史氏の書評の最後を引用。

「地震学者による被害想定やハザードマップの問題点は、ある前提のものとで被害を仮想計算することである。・・しかし、仮想はあくまで仮想。人間が勝手においた前提の上に立つフィクションである。行政や鉄道会社は出費がかかるから、前提でいかようにもできるシミュレーションの被害想定で津波対策をしたがる。しかし、被害がきたら保険金を払わねばならない保険会社はどうか。損害保険料率算出機構のホームページをみると、津波浸水の『実績』データを大事にしていることがわかる。行政がこの前提条件を自由にし、過小な被害想定をしているところも目につく。著者がいうように物証からみた『過去の津波の浸水実績に基づく津波想定』を今後も進めていかねばならない。」
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善き書店員。

2014-05-04 | 本棚並べ
木村俊介著「善き書店員」(ミシマ社)を
ひらいているところ。
読めてよかった。

ああ、こういうのを読みたかったんだ。
と読みながら思えてくる不思議(笑)。

6人の書店員さんへの
インタビューをまとめたもの。

いろいろ感想がわくのですが、
しっくりしていて、
ちょっと、言葉に出すのがもったいなあ(笑)。

うん。そういうときは、
時に、このブログで小出しにしてゆこう。
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私の怯懦の心を。

2014-05-03 | 短文紹介
読みおわると、
すっかり内容を忘れるのは、
私の特技(笑)。

山折哲雄著「義理と人情」(新潮選書)。
副題が「長谷川伸と日本人のこころ」。
読みおわって、
パソコン近辺に置きっ放しにしてあったのを
何の気なしに、手にとってみる。
第八章「日本捕虜志」をひらく。
黄色い線を引いた中から引用。

「長谷川伸は小説家であり劇作家であったから、
フィクションの名手とされてきたが、しかし
この『日本捕虜志』は私の目には
たぐい稀なドキュメントとして映っている。
小説仕立てのノンフィクション、
といってもいいのではないか。あえていえば、
たんなるドキュメタリーの域にとどまっていない
ところがじつに魅力的である。
いかにもそれらしいノンフィクション、といった
見方を打ち砕く発想と迫力にみちみちている
ところがこたえられない。・・・・
 それが私の怯懦(きょうだ)の心を撃ち、
ものを書くときの姿勢に活を入れてくれる。
真似のできない仕事だ、といつも感歎の声を
あげている。」(p130)


うん。
長谷川伸著「日本捕虜志」を
身近に置くことに。
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蟻のつぶて(?)。

2014-05-02 | 本棚並べ
益田勝実と梅原猛の雑誌「文学」(3冊)での論争を
読めてよかった。
思い浮かんだのは「梨のつぶて」。
これはその反対で「蟻のつぶて」(?)
だなあと妙に感心したのでした。

まず、益田勝実氏の最初の文と、
最後の文を読んで、おもむろに、
真中の梅原猛氏の文を読みました。

ここに論争があった。あった。
ただ、現代は梅原猛氏に答える
益田勝実氏の存在が、希少価値の時代なんだ。
うん。いつの時代でも希少価値なんだ。
などと、思いながら読んでおりました。

そういえば、
小谷野敦著「バカのための読書術」(ちくま新書)に

「しかし、私は、梅原の凄まじい闘争心に感心した。
格闘技なら、この闘争心だけで十分評価に値するだろう。
梅原は学生時代には、
師匠の田中美知太郎と二度にわたって衝突し、
無名の立命館大助教授時代には、
当時の権威的知性だった丸山真男や小林秀雄に
論戦を挑んで無視されている。
学問の世界ではこういう闘争的な姿勢は『大人げない』と
言われるものだが、私は、梅原がいろいろと怪しいことを
言ったり権力闘争をしているのは知っていながら
どうしてもこの人が嫌いになれないのは、
この闘争心ゆえである。
古い雑誌からは、こういう面白いものも、
見つけることができる。」(p57)

この新書は2001年に出ており
山村修著「遅読のすすめ」は2002年。
その「遅読のすすめ」には

「小谷野敦は右の論争について・・・
『私は、梅原がいろいろと怪しいことを言ったり
権力闘争をしているのは知っていながらどうしても
この人が嫌いになれないのは、この闘争心ゆえである』
と書いている。私もそう思う。
しかし私はまた、ご先祖さまに向かって
『いま、京都の梅原さんという論客にぶったたかれて、
弱っとります』と窮状を訴えた益田勝実も気に入った。
この人も内部にひそかにヒョウタンツギを養っている。
梅原猛という人は、その存在そのものが
文化におけるヒョウタンツギであろう。」(p125)


うん。論争が読めた、よ~し。
次に、益田勝実を読む番だ。
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