新聞は見出しだけで、
すぐにテレビ欄を見る私です(笑)。
けれど、ときどき、残しておきたい記事がある。
産経新聞2019年6月17日の文化欄は「追悼田辺聖子さん」
とあります。中西進氏が追悼談を載せておられます。
ここでは、横山由紀子さんの文。
「・・作家、田辺聖子さんが6日、91歳で亡くなった。
大阪に生まれ、大阪弁で書き、『東京へは行かへん』と
関西に居を構え、宝塚歌劇の大ファン。大阪を愛し
続けた人生だった。・・・」
こう書き出しておられました。
そういえばと、本棚をさがす。
司馬遼太郎氏な亡くなった際に、追悼文を読もうと、
雑誌の特集がでると、買ったりしておりました。
それも一段落したなあと、思っていたら、
日本エッセイスト・クラブ編の
97年版ベスト・エッセイ集が出たのでした。
別に買う気もなかったのですが、
題して「司馬サンの大阪弁」(文藝春秋)とある。
ベスト・エッセイの中の一篇の題名なのでしょうが、
気になり注文したのでした。
けっきょくは、その一篇を読んで本棚へ(笑)。
あらてめて、それを出してくる。
その「司馬サンの大阪弁」というエッセイは
田辺聖子さんが書いておりました。
はじまりは、
「司馬サンがふだんは砕けた大阪弁を使われた、
というと、(えーっ)と若いひとたちはいう。
・・・エラい大作家は、気楽な大阪弁など使う
はずはない。という気が退(の)かぬようである。
私といえば、
昔から司馬サンの大阪弁に親昵しているために、
司馬サンのどんなご本を読んでも、その底音に、
やわらかな、品のいい大阪弁がひびいているような
気がしてならぬのである。・・」
こうはじまる8頁。
うん。結局、買っておいてよかったのかなあ(笑)。
こうして、再読して感銘をうけている。
本文は、このあとがメーンなのですが、
今回は、ここまで。
もどって、新聞の中西進氏(談)とある文は、
こうはじまります。
「なにわ言葉で庶民の生活感覚や心情を
巧みに描き続けた『おせいさん』こと
田辺聖子さんは・・・」
そして、談話の最後はこうでした。
「・・多くの人から愛され、人を魅き付ける存在だった。
かくいう私も、大阪樟蔭女子大から
『生徒を集めるアイデアを』というオファーを受けたとき、
『そりゃ、大先輩の田辺聖子さんを生かすことでしょう』
と答え、その結果として、開館から10年ほど
田辺聖子文学館館長を務めてきた。
なにわ言葉を愛し、生涯を関西で暮らし、
宝塚好きという愛すべき『おせいさん』の
ご冥福を心からお祈りする。」
この中西進氏が田辺聖子さんの2冊を紹介しておりました。
それも、引用して、いつかは読もう(読めなくてもね)。
中西さんがとりあげた一冊目は、
「たとえば『姥ざかり花の旅笠』は
江戸・天保期の仲良し4人組の50代女性たちが、
わいわいと伊勢や善行寺、そして日光へと旅をする。
とても面白おかしい小説だけれども、
単なる娯楽小説にとどまらず、江戸文化を背景に、
中年女性の生き生きとした姿を、ひとつの
ストーリーに乗せて新鮮に描いている。
二冊目は、
「川柳に生涯をかけた岸本水府とその盟友たちを描いた
『道頓堀の雨に別れて以来なり』も名作。
笑いの文芸である川柳はとくに大阪で人気があり、
田辺さん自身も深い造詣と愛情があった。
いや、そもそも川柳自体が田辺さん風と言ってもいいだろう。」
うん。この二冊。
たとえ、読めないとしても、
私の読みたいリストに入れておこう(笑)。
ああ、最後に「司馬サンの大阪弁」から、
この箇所も忘れずに引用しておかないとね
それは司馬さんの大阪弁を語る箇所にありました。
「その大阪弁も品よく(というのは、
どこの方言もそうだろうけど、ことに都市としての
歴史の古い大阪弁は、ガラが悪くなると
どんどん悪くなる、その段階の刻みが多い)・・」
(p153)
すぐにテレビ欄を見る私です(笑)。
けれど、ときどき、残しておきたい記事がある。
産経新聞2019年6月17日の文化欄は「追悼田辺聖子さん」
とあります。中西進氏が追悼談を載せておられます。
ここでは、横山由紀子さんの文。
「・・作家、田辺聖子さんが6日、91歳で亡くなった。
大阪に生まれ、大阪弁で書き、『東京へは行かへん』と
関西に居を構え、宝塚歌劇の大ファン。大阪を愛し
続けた人生だった。・・・」
こう書き出しておられました。
そういえばと、本棚をさがす。
司馬遼太郎氏な亡くなった際に、追悼文を読もうと、
雑誌の特集がでると、買ったりしておりました。
それも一段落したなあと、思っていたら、
日本エッセイスト・クラブ編の
97年版ベスト・エッセイ集が出たのでした。
別に買う気もなかったのですが、
題して「司馬サンの大阪弁」(文藝春秋)とある。
ベスト・エッセイの中の一篇の題名なのでしょうが、
気になり注文したのでした。
けっきょくは、その一篇を読んで本棚へ(笑)。
あらてめて、それを出してくる。
その「司馬サンの大阪弁」というエッセイは
田辺聖子さんが書いておりました。
はじまりは、
「司馬サンがふだんは砕けた大阪弁を使われた、
というと、(えーっ)と若いひとたちはいう。
・・・エラい大作家は、気楽な大阪弁など使う
はずはない。という気が退(の)かぬようである。
私といえば、
昔から司馬サンの大阪弁に親昵しているために、
司馬サンのどんなご本を読んでも、その底音に、
やわらかな、品のいい大阪弁がひびいているような
気がしてならぬのである。・・」
こうはじまる8頁。
うん。結局、買っておいてよかったのかなあ(笑)。
こうして、再読して感銘をうけている。
本文は、このあとがメーンなのですが、
今回は、ここまで。
もどって、新聞の中西進氏(談)とある文は、
こうはじまります。
「なにわ言葉で庶民の生活感覚や心情を
巧みに描き続けた『おせいさん』こと
田辺聖子さんは・・・」
そして、談話の最後はこうでした。
「・・多くの人から愛され、人を魅き付ける存在だった。
かくいう私も、大阪樟蔭女子大から
『生徒を集めるアイデアを』というオファーを受けたとき、
『そりゃ、大先輩の田辺聖子さんを生かすことでしょう』
と答え、その結果として、開館から10年ほど
田辺聖子文学館館長を務めてきた。
なにわ言葉を愛し、生涯を関西で暮らし、
宝塚好きという愛すべき『おせいさん』の
ご冥福を心からお祈りする。」
この中西進氏が田辺聖子さんの2冊を紹介しておりました。
それも、引用して、いつかは読もう(読めなくてもね)。
中西さんがとりあげた一冊目は、
「たとえば『姥ざかり花の旅笠』は
江戸・天保期の仲良し4人組の50代女性たちが、
わいわいと伊勢や善行寺、そして日光へと旅をする。
とても面白おかしい小説だけれども、
単なる娯楽小説にとどまらず、江戸文化を背景に、
中年女性の生き生きとした姿を、ひとつの
ストーリーに乗せて新鮮に描いている。
二冊目は、
「川柳に生涯をかけた岸本水府とその盟友たちを描いた
『道頓堀の雨に別れて以来なり』も名作。
笑いの文芸である川柳はとくに大阪で人気があり、
田辺さん自身も深い造詣と愛情があった。
いや、そもそも川柳自体が田辺さん風と言ってもいいだろう。」
うん。この二冊。
たとえ、読めないとしても、
私の読みたいリストに入れておこう(笑)。
ああ、最後に「司馬サンの大阪弁」から、
この箇所も忘れずに引用しておかないとね
それは司馬さんの大阪弁を語る箇所にありました。
「その大阪弁も品よく(というのは、
どこの方言もそうだろうけど、ことに都市としての
歴史の古い大阪弁は、ガラが悪くなると
どんどん悪くなる、その段階の刻みが多い)・・」
(p153)