テレビニュースが、9.11アメリカ同時多発テロ事件を伝えている頃、イランのシーア派の聖地マシュハドでは暗い街の路地に立つことを生業にしている女性たちが殺される事件が頻発する。
そんな事件を追いかけるジャーナリストの女性が取材の為現地入りするも、その際、保護者(肉親の男性を指すのだろう)の同伴なく宿泊する事さえも苦労する。何人もの女性が殺害されていても捜査は遅々として進まず、被害者が街角に立つ女性であることから一般市民の同情は感じらず、逆に殺害は「街の浄化」であるとさえ目されるのだ。
犯人は街で家族とともに暮らす男性だ。家族が留守の日にバイクで夜の街に繰り出す。貧しさから来る生活苦で夜の街に立ち、厳しい生活環境から来る疲れを取るために麻薬にも手を出す女性を、自宅に連れ込み女性を殺害し街角に放置する。
それ以外はいたって普通の生活なのだ。何か大層な使命感に溢れているわけでもない。ただ、男性は自分がしている事が悪い事だとは思っておらず、それ故犯行も大胆だ。
歪んだ正義のエネルギーは、人々から一旦立ち止まって考える力を奪うようだ。犯人が捕まった後も世の中には彼の行動を肯定するかのような雰囲気が溢れ、息子も父親の行動をカメラの前で誇らしげに語る。
男性たちがそんな風に犯人の男性を英雄視する中、犯人の妻は「世の中はすぐに彼を英雄視したことを忘れてしまうだろう」と嘆く。歪んだ正義は移ろいやすく、その内容も検証されぬまま漂い、またどこかで同じような事が起こるのではないかと思わせる怖さがある。
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監督はイラン出身でデンマークで活動するアリ・アッバシ。事件を追うジャーナリスト役はザーラ・アミール・エブラヒミ。