息子のソヌとミジョが真剣に付き合っている事を知ったソヌの父親は、「君がいくら医師として病院を運営しているとしても、やっぱり君が養子であることが気にかかる」と直接ミジョに訴える。「事情を察して別れて欲しい」というソヌの父の話に「分かったけれど、別れるつもりはない」とはっきり告げるミジョ。謝るソヌに「お父さんの事はがっかりしたけれど、あなたがそう思っているんじゃないから・・・」というミジョ。
ミジョ自身も自分のクリニックに借金取りを送り込む母の態度にがっかりしているのだ。
私は養父母の娘だ。私を育ててくれた養父母を大事にしたい。という思いを胸にこれからも生きていくであろう彼女の決心・・・
実の母よりも養父母と暮らした日々に自分のアイデンティティを見出すミジョと、実の両親から受け継いだであろ音楽を愛する心にアイデンティティを見出すソヌの妹。自分の居場所を探し出す為に苦労したであろう二人・・・幼い頃から悩んだ分だけ幸せになって欲しいと思う・・・・
面接用の写真と偽って自分の遺影を写真館で撮影するチャニョンの体調は日に日に悪くなっていく。
彼女に笑った写真を残して欲しいミジョとジュニは3人で花が咲き誇る植物園に行き、チャニョンに寄り添う事を決めた彼は、「君が居なくなった後も君の夫として過ごしたい」と彼女と結婚することを望むのだ。
そうやって、少しずつ近づいてくる別れの時に向けて過ごしていく彼ら・・・・
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全く違う学生時代を過ごし、まったく違う職業につきながらも、ずっと友達同士だった3人のストーリー。
以前韓国人の知り合いに「韓国の友人関係は同じ学校の出身同士の付き合いが中心。更にその中でバックグラウンド(成績や実家の状況等)が同じような人とグループを作る。その付き合いは強固で、途中で全く別のグループに入る事は絶対ないし、入る事も普通は出来ない」と断言された事がある。彼女は「例えば私は大学を卒業しているけれど、社会人になってから何かのきっかけで知り合った人が高卒の人だった場合は、挨拶を交わす程度」と言い切っていた。自分だけがそうなのではなく、そういう事が普通だから・・・と言っていた。
日本でいうなら、「幼稚園からずっと同じ顔ぶれで大学時代まで一緒に過ごした仲間たち」というイメージが友人の絆ということらしかった。
1人の意見ではやや心許ないと、その後何人かの韓国人の知り合いにソフトにリサーチしてみた所、「そこまで極端ではないが、そういう傾向はある」との事だった。そういう話を聞いていたからかもしれないが、この3人のストーリーが何よりも純粋に思えたりした。