オリンピックが始まるまであと少し。
記憶に残っている一番最初のオリンピックは、札幌の冬季オリンピックだった。
小学校の低学年「あなたたちが生きている間に日本でオリンピックをやる事はたぶんもうないと思うので、今日は授業をせずに開会式を見ます」という先生の言葉があり、教室の片隅、観音開きの箱の中に入っている白黒でNHKしか映らないテレビのスイッチが入れられ、皆でオリンピックの開会式を見た。
自分たちと同じような背格好の小学生が、風船を手にアイスリンクの真ん中に集まってくる様子を皆でニコニコしながら見ていたのだが、なんとその中で一人が転んでしまったのだ。
それを見た担任の先生が「あの子はきっと転んだ事を一生忘れることはないと思うわ。」と言った事のだが、私はその様子よりも、先生がそんな風に言った事を今でも覚えている。何が思い出になるか分からないものだ。
朝食を食べながら聞いたラジオの生放送は、ミュンヘンオリンピックで快進撃を続けていた男子バレーボールの試合だったはずだ。そしてテロという言葉を覚えたのもこのミュンヘンオリンピックの時だった。
ネリー・キムとの対決で注目されていたナディア・コマネチの演技がなかなか採点されない様子をニュースで見て「スポーツと政治は関係ない」という言葉が建前だと実感したモスクワオリンピック。
「夜に開会式を行えば雪景色にライトが映える演出で盛り上がるだろうに・・・」何故か昼間行われた開会式をニュースで見ながら、アメリカの影響力を実感した長野オリンピック。
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時系列で思い出せるのはこれ位だろうか。仕事が忙しくなると同時に、オリンピックの記憶も薄っすらとしたものになっていった。ニュースは見ていたし、放送があればチャンネルを合わせてテレビも見ていたのだろうが、なんとなく記憶は曖昧だ。
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「ご両親に、皆が生まれた頃に行われた東京オリンピックの時の思い出等を聞いてみてくださいね。」という話を学校で聞いて来たのはミュンヘンオリンピックの頃だったと思う。宿題のようなもので、毎日提出する連絡ノートにその感想も書かねばらない。律儀に両親に質問したのだが、父からは「お前も生まれたばかりで小さかったし、仕事も忙しくて、あの頃は生活するだけで大変だったんだよ。オリンピックなんて関係なかったね。」という素っ気ない返事が返って来た。母は「誰かの助けを借りなきゃいけないような宿題を出すなんて・・・」と先生に対して妙な駄目だしまでしていた。二人とも東京オリンピックになんの思い入れもないようだった。
先生は「自分の国でオリンピックが開かれる事は大変な事なんですよ。」と言っていたはず・・・これでは先生に褒められるような事を連絡ノートに書けない・・・子ども心に混乱し、困った事を覚えている。多分子供ながらに忖度し、「とてもいい思い出だと言っていました」と書いたはずだ。
今考えれば、先生も子供たちにオリンピックというスポーツ祭典の素晴らしさを教えなければならなかったのだろう・・・
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「オリンピックに興味がない」という両親の影響を受け、私もさしてオリンピックに興味がない大人になった。
まだ始まってもいないけれど、この夏の思い出がオリンピック一色にならなということだけは、なんとなく予想がつく・・・