タイムトリップドラマは、未来と現在と過去が複雑に絡み合うのでぼーっと見ているとあっという間に混乱の渦に巻き込まれてしまう。
更にこのタイプのドラマはタイムパラドックスも大事なポイント。更にタイムパラドックスもドラマ的都合である時は大きく影響したり、そうでなかったりと色々変化があるのでこれも侮れない。
ソヘをシェルターに閉じ込め、彼女の安全を確保してからシグマと対決すべく自分の会社に向かうテスル。シグマも急に絶対悪のような存在になったのではないのだ。どんな悪者にも過去があり理由がある。更にタイムトリップドラマなのだから、その過去を描くのはとても需要だ。シグマの「僕はずっと君のそばにいた」という言葉がここで明らかになるのだ。彼の会社で清掃員として誰からも気づかれずに毎日を過ごしていた彼。
同じようにテスルのそばにいながら彼の影に隠れてしたのは、スンボクことエディ・キムも一緒だ。テスルのように天才にはなれず、会社での地位も恋人であるソジンも結局は全部テスルの後を追いかけていただけの事。
テスルは自ら意図したわけではないものの、こんな風に周囲の人間の人生を大きく変えてしまっていたのだ。
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そしてテスル自身も、遺灰を手にした事で自分の未来を知る事になり、戦争が起こる前の短い時間の中でどうやって戦争を回避するか、計画を立てるのだが・・・・
アップローダーと呼ばれるタイムマシンを使い戦争を回避しようとする計画。先回りしての手はずは、同じ場所にタイムパラドックスにならない程度の距離に自分がいるという、どっちが主体になって、どの状態なら救われたといわれる状況なのか分からない状況だ。
未来を変える事が出来るのは分かったが、どの程度まで変わったら現在の自分が救われるのか、未来が変わった事によってアップロードした人間が居なくなることは、救われるという意味なのか、そもそもアップローダーあったから生まれた問題なら、アップローダーが無ければよかったのでは・・・と鶏が先か卵が先か問題と併せて、テスルとソヘの感情が絡み合って、何が正解で何が本当の二人のハッピーエンドなのか、最後まで混乱の渦は続く。
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神の怒りを買い、岩を運ぶという罰を受けたシーシュポス。何度岩を運んでも、岩は再び崩れ落ち、また再び岩を運ぶしかない。何度やっても結果は同じにも関わらず、岩を運び続けねばならないシーシュポス。
最後までドラマを見て、このドラマのタイトルのシーシュポスでなければならなかった事をやっと理解する。結果は同じではないかもしれないが、繰り返す事はシーシュポスと一緒なのだ。