花より団子ということで、靖国通りの桜を愛でているだけは物足りなくなり、桜色のスイーツを購入。
大変小さいカップに入ったシフォンケーキなのだが、食べてみるとふわっとしていて満足度は高い。スイーツに大事なのはサイズではなく、食べた時の満足度だということを実感。
カップの蓋を取ってから写真を撮れば良かったのだが、うっかりしてしまった。可愛らしい」桜のホイップクリームが上にちょこんと乗っかっている。
花より団子ということで、靖国通りの桜を愛でているだけは物足りなくなり、桜色のスイーツを購入。
大変小さいカップに入ったシフォンケーキなのだが、食べてみるとふわっとしていて満足度は高い。スイーツに大事なのはサイズではなく、食べた時の満足度だということを実感。
カップの蓋を取ってから写真を撮れば良かったのだが、うっかりしてしまった。可愛らしい」桜のホイップクリームが上にちょこんと乗っかっている。
3回目の接種の副反応が酷かった人たちが「もう4回目はうたない」という話をしているのを時々耳にすることが多くなった。3回目だから大丈夫かと思ったら思いのほか副反応が酷くこれだったら罹った方がいいのではないか?ということのようだった。
ただ、本当にどの程度の人がそう考えているかはよくわからない。次も打つしかないだろうな・・・と思っている人は、話しても仕方ないからと、多分4回目の話はしないと思う。
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見出し画像の絵はコロナと関係ないもの。
外濠公園をのんびりと泳いでいた鴨は殆ど居なくなってしまった。北の国に戻って行ったのだろうか。。。
台風が続けてやってくる事が分かり、それが収まるまで済州島に残る事になるハギョン。
「予報は予報だ。正確性にこだわる事はな」とアドバイスを受けるも、最善を尽くしたいと嵐の中海に出ていく事にこだわるハギョン。そうした事でかなり正確な判断を下す事が出来るようになったにも関わらず、「予報は皆の安全の為」と最悪のケースを想定した予報を出す判断を下すハギョン。どうやらこの判断、誰かが責任を取るような大きな判断らしいのだが、それでもそんな判断を下すのだ。そして、この嵐の中で、シウの意思を尊重し別れる事を決めるハギョン。
しかし、情報には伝わるまでのタイムラグあり。別れを決めた後に気象庁内では二人が付き合っている事が皆の噂になり、「もう別れました」などと言えない状況になってしまう。
そんな様子を見て「前の社内恋愛では僕が悪者になった。今度も男性に振られたなんて彼女が言われるのは見たくない」とシウにハギョンの事を考えた行動を取るように諭すギジュン。彼も妻との信頼関係が揺らぎ、更には予定外の妻の妊娠にグタグタの態度を取り、妻からの信頼度を回復することは不可能にも思えるのだが、そんな中でもハギョンの事をいたわる彼。当初はどうしようもない男性だと思っていたが、ハギョンのいう通り、優しい所もある人だったのだ。
ギジュンのアドバイスもあり、「温かい目で見守っていてください」と庁内で挨拶をしてハギョンを庇うシウ。更に二人の関係は母も知る所となり、別れたのに分かれていませんという、なんだか良く分からない芝居を続ける事になった二人・・・・
そんな中、シウの父親の体調が良くない事が発覚するのだ・・・
ギジュン夫婦は結婚式を挙げ、周囲にも結婚しましたと報告しているにも関わらず、まだキチンと入籍していない。韓国では、挙式をすることで世間的には結婚しましたという報告をし、実際に入籍はあとからゆっくりというのがごくごく普通に行われているらしい。もちろん同時にしてもいいとの事らしいのだが、「皆に結婚したと報告したのだから・・・法的な手続きは落ち着いてからゆっくりすればいい」という考え方がどうやらかなり一般的らしい・・・
今日は典型的な花冷えの一日だったが、昨日は今日とは全く違う春らしい1日だった。
ただ風が少し強く、早くも桜吹雪の前兆が見られたのだが、曇っており寒い1日だった今日は舞い落ちる花びらを見る事はなかった。
曇り空の上にうすら寒い1日はなんだか寂しいものだったが、この寒い1日のおかげで桜の花はまだもう少し楽しめそうだ。
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今更なのだが、「スマホの露出設定を調整して桜のピンク色を綺麗に撮れる方法」というのを学ぶ。
先日撮った桜の方がピンク色で綺麗だったはずなのになんとなく花が黒っぽく写ってしまったのは、「オート露出機能」が働き、写真全体のバランスを調整してくれたせいだという。
オートと言う言葉を聞くと「ああ 便利」と思うのは単純な考えらしい。
ただ、私は絵心が全くないので、露出を調節しても撮れる写真はそれなりなのだが・・・・
私は作品賞、監督賞ともには パワー・オブ・ザ・ドッグだと思っていたのだが、作品賞はコーダ あいのうたが受賞。
コーダ あいのうた、ドリームプラン、ウエスト・サイド・ストーリーと、普段だったら絶対に映画館に足を運んでいたはずなのに、コロナの為に映画館に足を運ぶ事を躊躇したりしていたこともあり、見ている本数も少ないため、あれやこれやは言えないとは思っている。それを差し引いても、パワー・オブ・ザ・ドッグの映像の綺麗さや、その壮大な風景の中に隠された複雑な人間の思いに色々衝撃を受けたのだ。監督賞が ジェーン・カンピオンだったことには個人的には非常に納得している。
パワー・オブ・ザ・ドッグは主演男優賞のベネディクト・カンバーバッチを筆頭に、助演男優賞にジェシー・プレモンス、コディ・スミット=マクフィー、助演女優賞に キルステン・ダンストとノミネートされていて、それだけでもストーリーの中のキャラクターにどれだけ力があったか分かると思う。ジェシー・プレモンスとキルステン・ダンストは夫婦でノミネートされていたのだ。それも凄い事だと思う。
作品賞、監督賞、脚本賞にノミネートされていたベルファストは、ケネス・プラナーが脚本賞を受賞。
子どもの目を通してノスタルジックな雰囲気を感じさせながらも現実の出来事を感じさせるストーリー。2時間を超えない上映時間にも関わらず、家族のキャラクターがキチンと感じられて、私はとても好きな作品だった。
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コロナのせいで見る本数が限られてしまった事もあるが、最近は2時間半越えの映画も多く、それも映画館から足が遠のく理由でもある。私は映画は身近な娯楽だと思っているので、長くても2時間程度が丁度いいころ合いなのではと思っている。私自身は見慣れているので2時間程度はなんとかなるか、3時間近い映画はやっぱりちょっと身構えてしまうものだ。見慣れていない人なら2時間でも考えてしまうだろう。ぜひ上映時間については再考してみて欲しいものだと思う・・・
自身も9歳までベルファストで育ったケネス・プラナーが、9歳の少年バディが見た1969年の北アイルランド紛争で揺れるベルファストを描く。
隣近所誰もが顔見知りで、学校帰りに隣のおじさんから自宅の夕食のおかずを聞き、悪さをすれば容赦なく怒られたりするものの、学校は楽しく、路地で遊びまわるのも楽しい。9歳の少年にとっての宗教の違いは、「プロテスタントの自分は教会に行かなければならないけれど、カトリックは懺悔をすればいいだけだから、ちょっとうらやましい・・・」という程度のものだった。住民たちも恐らくその程度の意識しか持っていなかったはずだ。住宅問題、就職差別の問題があってもバランスを取って暮らしていたプロテスタントとカトリックの住民。それがプロテスタントの過激派が投げた石によって、プロテスタント過激派グループが、プロテスタント地区に住むカトリック住民の地区に乱入して来た事で、街の様相は一挙に変わっていく。
ただそこで静かに暮らしていただけなのに、諍いが起こると生活は一変する。スーパーは略奪され、ロンドンとベルファストの間を行き来して仕事をする父親は、過激派グループから協力を求められるようになる。
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憧れの優等生の女の子と離れるのを寂しがる息子に「愛があれば大丈夫」と慰める父親。宗教の違いは折り合いをつければいい。そこに住む場所や仕事の問題が絡み、そして暴力が介入すると、あっという間に問題は混沌としてくる。皆自分の生活がある。同じ宗教であっても全ての条件が一緒の者などいない。皆それぞれ進む道を選択しなければならなくなるのだ。
ただ9歳の少年にそんな事は関係ない。ニュートラルなまなざしで、街が変わっていくのをただ見つめるだけだ。
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映画は、ノスタルジックぎりぎりの所でバランスを取っているが、以前読んだ警察小説@コールド・コールド・グラウンドはカトリック教徒にもかかわらず警察官が主人公の小説で、北アイルランドのヒリヒリするような空気が伝わってくるミステリーだった。
「あら 二重瞼にしたのね」という母の言葉にショックを受けるミジョ。長い間、本当の母の事を何度も考えた彼女と違い、何度も罪を重ねて刑務所に入っている彼女の母は娘の事を思い出す回数も少なかったのだろう。娘に会いたいと心から思う事が少なかったであろう彼女にとっては、ああいう言葉しか出てこなかったのだろう。
そんな彼女を支えるのは恋人であるソヌとチャニョンとジュヒだ。
二人よりも早くに旅立つ事になるチャニョンが少しずつ準備を始める姿を見るのはやはり辛い。自分にとって最後であるだろう母の誕生日の準備したにも関わらず、体調を崩してケーキを受け取れなかったために、閉店後のケーキ店のショーウインドーを壊してケーキを取ろうとする3人。とにかく楽しい事も3人で、辛い事も3人で分け合うという気持ちが伝わってくるが、不安までも3人で一緒に分け合うのだ。
一人先に旅立つチャニョンは残った二人の事を心配し、残る二人は、チャニョンが旅立った後、自分達は以前のままでいられるかどうかを悩む。特にミジョの母親がミジョにお金の無心をするような素振りを見せたことで不安を覚えるジュヒ。
自分の母がミジョの母の存在を彼女に教えた事で、トラブルになったと皆が思っているのではないかと疑心暗鬼になる彼女。更に何かあっても自分だけが一番最後に知らされるのではないかと、疎外感を大きくする彼女。3人それぞれのキャラクターがあっての友人同士だったはずなのに、一つバランスが崩れる事でどんな事でも不安になるのだ。このあたりは、付き合いが深ければ深い程の悩みだろう・・・(水臭い・・・という感情が激しいとでも言ったらいいのだろうか・・・)
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演技のトレーナーでなく、自らも演技者として映画に出演する事が叶うチャニョンだが、その映画の公開時まで自分が生きているかどうかも分からない彼女。自分と一緒に居る事を選んでくれた芸能プロダクションの代表である彼と一緒に、自分が入るであろうお墓の予約まで準備する彼女。
チャニョンにとっては残された者の事を考え準備をしていても、完璧に準備など出来るはずもない。見守る者ミジョとジュヒにとっても後悔の無い別れの準備などあるはずもないのだ。
次という機会がどんどんとなくなっていく事を、なんとか気づかないようにしている3人の様子が切ない。
「独身主義者」「彼女は結婚を前提に考えていなければ付き合わないはず」という言葉に心惑わされる二人。
更にハギョンの「公私混同はしたくない」という態度が、シウの心にボディブローのように効いてくるのだ。
ハギョンの「社内恋愛でまた再び失敗したくないという思い」が、シウには元彼であるギジュンが基準にあっての言葉だと思えてしまうらしい。「自分は自分で比べられる対象ではない」という思いと、公私混同はしないというハギョンの態度に傷つくシウ。
ちょっと前ならこの関係は男女逆が定番のスタイルだったと思うのだが、それが今は男女逆。というか、今は年下の男性と年上の女性を描くドラマが割と人気なので、このドラマのようなパターンも多いが、きっともう少し経つと、ドラマによって、色々なパターンがあるという風に変わっていくのだろう。
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台風の時期には、済州島の支部に応援要員を送るようになっているようで、公私混同はなくシウを送り込むことにしたハギョンの指示で、あっという間に済州島に向かうシウ。
台風が近づき風が強くなっている中での作業で怪我をしたシウ。彼の熱い気持ちを知りながらも、自分がコントロールできなくなる事が怖くて彼につらく当たった事を後悔しているハギョンの前に現れるのは、「息子が仕事で怪我をしたなら補償金が出るはず」と思い気象庁に怒鳴り込んできたシウの父親だ。
シウを心配し、更には父親の態度を諫める為に、シウの父親と一緒に済州島に向かうハギョンだが、息子の容態も確認せずに補償金の事しか頭にない自分の父親の様子を見て、シウはハギョンに別れを告げる決心をするのだ。時分の気持ちではコントロール出来ない肉親の問題に、そんな風に決着をつけようとする彼・・・・
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終わった恋についてはゆっくりと自分の気持ちを話して誤解を解く事が出来たハギョンだが、現在進行形の気持ちは、自分でコントロールしようとしても、相手の気持ちの動きは分からずに予測不能だ。
勤務先のビルは靖国通りに面しているものの、私の部署がある部屋は奥まっており、靖国神社の裏手がわずかに見えるだけだ。
別の部署は、通りに面した窓が額縁のようになって、一面の桜を楽しむ事が出来る。
1年に一度の素晴らしい借景だ。
昼時、殆どのメンバーがお昼に出払っている頃を見計らって見学させてもらう。
「普段は窓の所にコピー用紙だの使わない椅子だのを置いているのだけれど、この時期だけは、キレイに片づけています」との事だった。
窓枠を入れて一幅の絵のように写してみたかったが、そうすると各種備品が映りこんでしまい、イッキに雰囲気が崩れてしまう。
窓枠を写さず、ガラス越しではあるが、目線の高さにある満開の桜の写真を撮る。一年に一度、わずか1週間程度の贅沢だ。
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窓から下を見ると、鮮やかな袴姿の女子大生が靖国神社の方に向かって歩いているのが見えた。晴れた日に卒業式でよかった・・・
2002年 一人の壮年刑事の死。仲間が亡くなったのだ。警察は当然チームを組んで犯人逮捕にあたろうとする。
そこに管轄の違う刑事が突然やって来る。個人的な用事で会うつもりだった刑事が突然亡くなった事で、彼の死と自分の調べている18年前の事件の関係性を疑う刑事。管轄の違う事で起こる刑事同士のつばぜり合い。それをあざ笑うかのように、死亡通知書の通りに次々と起こる連続殺人事件。
2002年の現代と1984年の事件の対比。
死亡通知書をもとに正確に起こり、止めようにも止める事の出来ない現在の事件。18年前の事件故、関係者の心証と警察に残っている資料から推察していくしかないはずだった過去の事件が少しずつ現在の事件とリンクしていくのだ。
「なぜ二つの事件がリンクしていくのか・・・」という必然の謎と、当事者たちが思いもつかなかった別の理由がそれにリンクしていく。
18年前の事件が起こったわけ、現在と過去の事件がリンクする思いもよらなかったわけ。細かいピースは突っ込みどころがあるものもあるだろうが、根底に流れる妙なパワフルな雰囲気に気圧されそんな事を忘れてしまう。
事件は解決するも、暗黒者は残り、謎はまだ続くのだ。
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登場人物の名前でどうしても混乱をきたす。漢字は分かっても読み方が分かりづらいとなると字面で判断するしかない。
字面で判断するとなっても、登場人物が入り乱れたり、警察内の階級が分かりづらくこれまた混乱する。これは多分慣れるしかないだろう。
「午後8時以降、200万~300万戸規模の停電のおそれ」 東電
11年前の震災の際の計画停電の事は、それなりに大変だったので、あまり思い出さないようにしていたのだが、あの時、どんな風に準備したりしたのか、何が不便だったのかを自分の書き残したものを読み返しながら思い出す。
読んで色々思い出した。一番つらかったのは、計画停電が計画通りでなかった事だ。実際の予定よりも早めに終了になったりすることは有難がったが、直前に中止になったり、本当に実施するかどうかがぎりぎりまで分からないのも困った。
更に23区は基本的に計画停電が無かったので、職場で計画停電の大変さを共有してくれる人がいなかった事もちょっとだけ辛かった・・・
パニック障害を起こしながらも、ひと時でもチャニョンが幸せな時を過ごせるようにとしたミジョの努力も、彼の妻がチャニョンの両親の元を訪れた事で消え去ってしまう。
自分の娘の幸せを願い、怒る両親に結局自分に残された時間が少ない事を告げる事になるチャニョン。
彼女が両親と過ごす姿を見ながら、自分たちも彼女を見送る準備をしている事に気づくジュヒとミジョ。
チャニョンが、ミジョの実の母親を探そうとすることで、再び実の母親の存在に向き合う事になる彼女。そしてジュヒの母が彼女を思い本当の事を打ち明けられなかった事、更に実の母が刑務所に入っている事を知ってしまうのだ。
実の母との面会を決意する彼女、そして彼女のパニック障害を心配し、チャニョンとジュヒ、更にソヌも彼女達と一緒に刑務所に向かうのだ。
3人がお互いの母に対して自分の母のように接し、母親たちも自分の娘のように接する。楽しい事は3倍になり、辛い事は分け合って乗り越えようとする。びっくりする位距離感が近い・・・いや近すぎる・・・いいのか?これで・・・
韓国語を教えてくれているSさんや以前教えてくれていたÝさんによると、日本の友人関係はあっさりしていて、韓国人的には「水臭いな」と思う事があるとの事。逆に日本人から見ると、「こんなに踏み込んでいいんだろうか?」という感じを抱く人が多いと思う。
私も色々思う所はあるが、ドラマは離れた所にいる4人目の仲間のような気持ちで見続けようと思う。そんな風に思う事で、普段は気づかない思いを感じる事が出来るかもしれない。
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母の前科を知る事になるミジョ。18歳の頃、事実を知った方が良かったのか・・・39歳になってから知った方が現実を受け入れられるのか・・・一人で耐えるのではなく、誰かそばにいてくれる状況で知った事は良かったのか・・・
舞台俳優であり演出家である男は突然妻を亡くす。「話したい事がある」という妻の言葉に頷きながらも、その日遅くまで自宅に戻らなかった男。夜遅く帰った時には妻は亡くなっていたのだ。妻の言葉が聞けないまま、一人の日々を過ごす事になる男。
妻との思い出の詰まった赤い愛車サーブを運転し、広島の演劇祭に向かった彼は、演劇祭の規定により運転を禁じられ、その替わりに一人の運転手を紹介される。若くても運転の腕はよく、そして言葉少ない彼女。
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三時間という長丁場。沢山の事が語られているはずなのに、見終わった後に残るのは、語られなかった事への思いだ。
妻は結局何を夫に話したかったのか。生前の妻を知っていた若い俳優を男は何故抜擢したのか。男は何故感情を排除し、徹底的にテキストである脚本に向き合う事を俳優に求めたのか。分かったような気もするが、それが全部語られるわけではない。
ただ、三時間という時間をかけてこの映画を見たのだ。どう感じるかは見た者にゆだねられていると理解していいのだろう。
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私は演劇人ではないので、「一旦感情を消して演技を行う事についての意味」は良く分からない。ただ、男は俳優陣にはテキストに徹底的に向き合うように指示をしながらも、自身は無意識のうちに知らない事は知らないまま、見ない事は見ないままにしていたように思う。妻も男がそのように生きている事が分かっていたはずだし、若いドライバーの女性も男がそうしている事が分かっていたはずだ。
辛くとも、それはそのまま感じて、生きていくしかない。これが三時間かけてこの映画を見た私の感想だ。この感想も、ワーニャおじさんでソーニャを演じたパク・ユリムの台詞に助けられての感想なのだが。。。
地元の劇場での満席の公演に喜びながらも、次なるステップであるエンターテインメントの聖地レッドショア・シティ(まさしくラスベガスだ!)を目指すコアラのバスター。
プロモーターの感触が良くない事を知ると、メンバー全員で正面突破。お調子者グンターのSF風のミュージカルのアイデアを膨らまし、更には伝説のミュージシャン@クレイの出演を目玉にして、劇場オーナーから公演の約束を取り付けるのだ。
子ブタたちの母親ロジータを主役とし、いなくなった宇宙飛行士を探すという4つのパートからなる壮大なSFミュージカルを計画する彼ら。
地元での不思議の国のアリスというほのぼのしたミュージカルもいいが、エンターテインメントの聖地レッドショア・シティことラスベガスの一流スタッフ達の力も借りて作り上げた、このミュージカルシーンが素晴らしい。すり鉢型になった劇場の奥行まで感じられるような臨場感・・・特に素晴らしい歌声のジョニー(見た目とのギャップがたまらない)が苦手なダンスを克服し、華麗なアクションと共にパワフルに歌い上げる場面はアニメーションであることを忘れてしまう位躍動感がある。ミニオンズを連想させる夜間清掃員メンバー達の集団のタップダンスシーンは、小さなドローンが集まったかのような美しさ。
憧れのスター@クレイに寄り添うアッシュ、我儘娘だったはずのポーシャは歌う楽しさに目覚め、ダンスが苦手なジョニーはストリートダンサーにダンスレッスンを申し込む。メンバー達それぞれのストーリーもあり、メンバー達をまとめソフトな雰囲気がありながらも目標に向かっていく強さは相変わらずのコアラのバスター。。。
人間模様ならぬ動物模様も色々ありつつ、美しく迫力あるSFミュージカルシーンを見せる。歌のパワーを感じた2時間だった。
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『SING/シング:ネクストステージ』特別映像|ダンスシーンの舞台裏
私が十二分に満喫したセブンイレブンのアジアングルメフェアは無事終了し、先日から九州フェアが始まったらしい。
お弁当を持たずに出勤した昨日、島津家別邸仙巌園監修豚の角煮丼を食べてみる。
プライスシートの右端には、丸に轡十字の島津家の家紋・・・
角煮の量が思ったよりも沢山だ。そしてレンジで温めたのにも関わらずいい感じでトロっとしている半熟の温玉・・・
成人男性にはちょっとだけ物足りない角煮のボリュームかもしれないが、私には十分すぎる角煮の量だ。この位の量なら脂身さえもトロっと感じられて重くない。甘辛い味付けも濃すぎると感じるちょっと手前でストップだ。
お値段は税込680.40円。小数点以下まで表示される事に今でも違和感を感じるが、ここで問題にしたいのは、レンチンタイプにしてはちょっと高めの値段設定。しかし食べた時にちょっと物足りなく感じても、豚の角煮は非常に腹持ちがいい。それを考えると、この値段にも納得する。
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九州グルメフェアなので、鹿児島の食べ物について考えてみるが、思いつくのは薩摩焼酎とさつま揚げの事のみ。美味しいお酒が飲みたくなる。