私の映画玉手箱(番外編)なんということは無い日常日記

なんということは無い日常の備忘録とあわせ、好きな映画、韓国ドラマ、そして
ソン・スンホンの事等を暢気に書いていく予定。

親切なクムジャさん

2005-07-31 15:06:20 | 韓国ドラマ・映画
3泊4日の短い旅の途中でチャングムことイ・ヨンエ主演の新作親切なクムジャさん(친절한 금자씨)を観る。

ソウルは27日の夜更けから大雨と雷が酷かった。
翌日の28日も一日雨が止まなかったので、景福宮へ行くのを変更し、江南にあるショッピングモールCOEXモールへ行く。
29日公開と聞いていたイ・ヨンエ主演の@チンチョラン クムジャッシ(親切なクムジャさん)が上映されていたので、母と一緒に鑑賞する。

「言葉が分からないから眠ることにする」と言っていた母は、後ろの観客が椅子を蹴飛ばすのが気になって眠れなかったのだという。
「あの主役の人 つかまった時、キム・ヒョンヒにそっくりだったね。おまけに人殺しの話なのに、見ている人が笑っているし。」
普段映画を見慣れていない上に、韓国語での映画鑑賞は辛かったと思う。
こんな短い感想でも、怒らずに感想を語ってくれただけでも良しとしよう。

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@復讐者に憐みを@オールドボーイに続くパク・チャヌク監督の復讐劇と言われているこの作品だが、前2作に比べたらグロテスクな場面は
かなり少ない。(勿論これはあくまでも比較の問題だ)

赤いハイヒールを履いた親切なクムジャさんが後ろを振り返るポスターは@グロリアを連想させるが、グロリアほどハードボイルドではない。
清めの豆腐を拒み、自ら左手の小指を切り落として復讐に臨む姿は確かにハードボイルドではあるが、クムジャさんの心の中はすさんでいても、死んだような目をしながらも、外見はどこまでも綺麗なままだ。そしてうつろな眼差しを赤紫のアイシャドーで隠し、綺麗なまま自分の過去の清算に挑んでいくのだ。

母もいっていたように、復讐のクライマックスの場面では、観客席から笑い声も聞こえてきたりした。
復讐の対象@ペク先生が救いようもない悪徳な奴なので、同情の余地がないのも一因だし、前2作に比べたら目を覆うような場面の残虐さをソフトに抑えているせいだろう。

この映画でイ・ヨンエの別の面が観られたと韓国の観客は納得したのだろうか?映画の前半 犯罪場面の再現だけでもファンには衝撃だったのだろうか。
綺麗な女優さんは綺麗さが武器だし、綺麗さが弱点でもあるはずだ。だからシャリーズ・セロンは何キロも太り、入れ歯をつけ@モンスターの主演をしたのだろう。誰もイ・ヨンエにそんなことは望まないし、する必要もないだろうが、ケーキ店の若い店員との場面も、結局その場面を写さずに終わってしまったのはちょっと残念だった。白いケーキに顔を埋めるシーンを見ながら、イ・ヨンエ自身によるグロテスクなシーンをもっと増やしても良かったのではないかと思う。私にとってはイ・ヨンエはまだまだ綺麗な女優さんのままだ。

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短い旅行中 CMでもイ・ヨンエの顔は何度も目にした。ホテルで受信できるHKBSではチャングムの総集編まで放送されていたので、俳優に何の興味もない母でさえ「雑誌の表紙にも出てるし人気があるのね。」と感心していた。
しかし「もっと綺麗な人もいると思うけど」と小声で辛口コメントを付け加えることも忘れていなかった。母にしてみたら、韓国を代表する女優さんだろうがなかろうが、そんな事は一つも関係ないらしい。

2005年韓国への旅

ナンタ鑑賞(ソウルにて)

2005-07-28 15:40:50 | 韓国ドラマ・映画
三泊四日という短い旅行の最中だ。
ナンタ専用劇場までとホテルからタクシーに乗ったのだが、タクシーの運転手さんはナンタなぞ知らんと結構冷たい。住所を見せても?だという。結局隣に止まった模範タクシーの運転手さんに聞いて道はわかったらしい。
いつも道はこんなに混んでいるですか?とつたない韓国語で聞くとおじさんの態度がいっぺんに変わったのでびっくりした。
韓国語うまいね(お世辞も滑らかだ!)学生さん?いえ 会社員です。母と来ました。昨日の雨はすごかったですね。となどと道を知らないと冷たかった5分前とは大違いだ。
ちょっとでも韓国語が話せてよかった・・・
これから無事ナンタを楽しむことが出来る・・・

ラブレター 第6話

2005-07-26 23:10:29 | 韓国ドラマ・映画
明日早いのだが、ついつい韓国ドラマのラブレターを最後まで観てしまった。
親子の情愛が厚い国のはずだからこそ、生き別れになった親子の愛を描いたドラマが多いのだろうか。このドラマも同じような筋書きと分かっていても、ついつい観てしまうのは、展開が読めることの安心さによるところが大きいだろう。
展開が分かるという予定調和に慣れてしまう自分の安直さが恐いが、それ以外にはやはり出演者の息遣いが自分の呼吸とあっているかが大事なような気がする。
ああ そんな大袈裟なものではないかも知れないが、この人が演じるのだったらこんな分かりきった展開も許せるという気になることが、連続ドラマを観続ける上では結構大事なのだ。

頑なな心の持ち主故、同級生から氷姫などと揶揄されるウナを演じるスエという女優さんは、韓国女優さんには珍しい古風な風貌の女優さんだ。
好き嫌いは別にして、この古風さが結構このドラマにあっているような気がする。

話がこれだけ有り得ない展開なのだから、風貌だけでも自然な感じがいいような気がするのだ。

韓国ドラマ ラブレター

台風7号 またの名をバンヤン

2005-07-25 20:20:20 | なんということはない日常
短い夏休みを取る予定なのだが、台風7号がじわじわと接近してきている。

PCで検索してみると、こんな一文が目に付いた。
 
*****
今年(2005(平成17)年)の台風第1号は「クラー(Kulap)」。タイの台風委員会から提出され「ばら」を意味しています。台風第7号は「 バンヤン(Banyan)」。 香港の木の名前です。
******

戦後は台風に女性の名前をつけたと言う話は知っていたが、今でもこんな風に台風総てに名前が付いているとは知らなかった。

バという濁音はなんとなく不吉なものを連想させる。

バンバン物が飛んでくる。
バンと大きな音を立てて物が落ちてきた。
バサッという音とともに、黒い影が道を横切った。
ババババという音が聞こえてきた。アクション映画で耳にする機関銃の音のようだ。

きりが無いのでこのあたりで止めておこう。
こんなことを連想するより、テルテル坊主の一つでも作ったほうが良いに決まっている。

台風のすべて


地震

2005-07-24 10:50:26 | なんということはない日常
土曜日の午後というと新宿や渋谷で映画を観て過ごすことも多いのだが、昨日はたまたま家におり、両親とお茶を飲んでいる最中の地震だった。

夕食後のビールを冷そうと納戸の中をあさったりと動いていたので、最初は気が付かなかったのだが、両親は椅子から腰を浮かしていたからその揺れは相当だったはずだ。
揺れている最中も、茶箪笥の脇に立って揺れる時間の長さに感心したりしていたので、両親にはその後かなり怒られた。確かに非常に背の高い茶箪笥なので、倒れたらあっという間に下敷きになってしまっただろう。

1ヶ月ほど前に会社で避難訓練があったのだが、その際貰った注意事項の紙を改めてみてみた。
地震後、帰宅する際の注意事項が色々書いてあるのだが、「自分流の”帰宅難民グッズを身近に用意する」だの「20キロまでは何とか歩ける。それ以上自宅が離れている人は1日1万歩以上歩くなど平時から運動して身体を鍛えておくこと」など中々興味深い文言が並んでいる。

40キロ近く離れている私は身体を鍛えることも勿論だが、電車以外の帰宅経路を何も知らないのだ。線路の上を歩いて帰るしかないなどと思っていると「線路、地下鉄を歩くのは危険」だの「いつも歩いて体力、脚力があることを確認しているのか?」「帰宅途中にトイレはあるのか?」などと更に心配な文言が目に飛び込んできた。

今はとりあえず、昨日が出勤日でなく土曜日だったことを感謝するばかりだが、昨日の地震を体験した後でも、実際にもっと大きな地震が起こったらどんな風に対応していいのか、想像も付かないのだ。

東京・足立区で震度5強 1都3県で27人けが (朝日新聞) - goo ニュース

ひとりずもう

2005-07-23 19:10:39 | なんということはない日常
寝る前に読む本は難解な物や悲惨な物でなく、明るく笑って読める本が精神的にもいいそうだ。眉間に皺が寄るような本は自分でいい眠りについたつもりでも、どこか眠りが浅かったりするらしい。
そんな事を聞いてからは、努めて楽しい本を読むようにしているのだが、このさくらももこの久しぶりのエッセイ@ひとりずもうはそんな寝る前にぴったりの本だろう。

特に「女子校」という男子がいないおかげで、授業中は無駄話とエロ本の回し読み、休み時間はワイ談で盛り上がりと何の緊張感もない学校生活の話は笑いながらも深く頷いてしまった。

私は男女共学だったので、さすがにそんな事は無かったが、暑い夏は椅子の下から下敷きで風を送ることは勿論、スカートを上下に動かし風を送る者もいるらしい、と風の噂で女子校の乱れた様子は聞いていた。

それに比べたら共学は健全だったかもしれない。
上級生が校内で手をつないで歩いているのを生活指導の教師に見つかり、学校内を走って逃げているのを見かけたり、夕暮れの自転車置き場で見てはいけない光景を見たりした時もあったような気がするが、大体の生徒は付き合うといっても、朝晩駅までの道を一緒に歩くとか、部活が終わった後、近所のパン屋の前で菓子パンを食べつつ談笑するとかそんな可愛い付き合いをしていたように思う。隠れてワイ談をしたり、エロ本を見たりしている生徒もいたかもしれないが、隣には生身の異性が座っているのだ。わざわざワイ談をするより、告白でもして付き合ってしまった方が余程話が早いというものだ。

隣に座っていたN君が、プールの授業の後、頭にカーラーをつけたまま授業を受けている女子の姿を見て「女子って普通にしていても髪がカールするんだと思ってたんだ。あんな風にしなければ髪はカールしないんだ・・・・」とつぶやくのを聞き「男子ってこんな風に勘違いしているんだ。」と思ったことをこのエッセイを読みながら思い出した。

異性に対する期待や思い込みが大きくなる男女別と、小さな思い込みや夢が少しずつ壊れる共学とどちら良かったのだろうか。
私はこの時期になると、高校野球の応援に行ったことを懐かしく思い出す。授業中はどうしようもない男子が、グランドで走り回る姿に熱く声援を送ったりしたものだ。そんな思い出があるだけでも共学で良かったと思う。

ひとりずもう

小学館

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ガラスの華 16話

2005-07-21 21:39:40 | 韓国字幕つきドラマ感想
ジスの事を諦めきれず、(しかしジスが心変わりするとは思えず・・・)一人ホテルのバーでお酒を飲むドンジュ。
ホテルのバーでまるで椀子そばのようにショットグラスを重ね、一人寂しさを紛らわすドンジュ。(部屋でボトルからラッパ飲みしないのが、ドンジュらしいところか。)
そしてそんなドンジュを一人残し後ろ髪引かれる思いで日本へ帰国するドンジュ父。しかしこのドンジュ父、長年ジスに渡すことの出来なかったバースディプレゼントとジス名義の通帳を職場宛に宅急便で送るのだ。その荷物を盗み見て、ドンジュ父(山本会長)がジスの実の父親だということを知るテヒ、そしてそのテヒの何気ない一言から養父(山本会長)がジスの実の父親だということを知ることになるドンジュ。

すべて時遅し・・・
今頃総てに気づくドンジュも、ホテル付けの宅急便で秘密の荷物を送るドンジュ父も、「お兄ちゃんと私には朗報よ。」とジスとドンジュは血が繋がらなくても兄妹だから道義上結婚なんて出来ないわ」とわざわざギテに報告にいくテヒも。
もう総て取り返しのつかないような方向へ流れているのに・・・


ジスを傷つけたドンジュに一発お見舞いし、ジスの許を訪れるギテ。
コンプライアンスそっちのけで営業していた姿はどこへやら、ジスにやり直そうと静かに話すギテ。今更やり直すってどんな風にやり直すのだ?とも思うがでも憑き物でも落ちたようにすっかり昔のギテに戻っているだけでもよしとしよう。ドラマでなければ、きっとギテとジスはこんな風に色々あったけれども、結婚しました。なんて結末が待っていそうだし。

そして空港への道すがら総ての事に気づいたドンジュ。帰国せずに又ソウルへ逆戻りするようだが、いいのか日本の会社は。乗っ取りは大丈夫なのか?

自ら招いた失敗で身辺整理を迫られるギテ母。(ギテ母も修復不能だ)ギテには「長い海外旅行へ行くのよ」と言い残し、ジスには「ギテが皆から後ろ指指されようとも、あなただけは見方でいて」と調子のいいお願いをジスにするギテ母。
ジスの事をあれだけ「ケ ケ(犬ということか?多分あの女とかそんな意味だと勝手に解釈)」とあれだけ邪険にしておきながら、こんな時ばかりジスの事を頼るのか。自首するとは思えないから、本当に国外逃亡のつもりなのか。

血は繋がっていなくても、兄妹で結婚なんて道義上許されないと言い切るテヒだが、兄妹として一緒に育った訳でもなく、問題はただドンジュ父がジスを捨てたことだけとシンプルに考えたら駄目なのだろうか?道義上問題なのはドンジュ父の行いだけで、ジスとドンジュには何も問題がないような気がするが・・・・勿論これとて些細な事でなく大事には違いないが。

従兄弟同士で結婚出来る日本と違い、儒教の国韓国ではこの辺のことは、日本で考える以上に厳しい戒律がありそうだから、テヒの言う事にも一理ありなのか?


本当にどこに行くのか。このドラマ・・・・
ドンジュどうする?ギテ母どうする?

千年湖

2005-07-20 21:22:04 | 韓国ドラマ・映画
愛は宿命を超える この結末にあなたは心を震わせる。
時代劇らしく、公式サイトも筆文字でクラシックな感じを狙って作られているこの映画の宣伝広告が夕刊に掲載されていた。(勿論新聞の広告も筆文字だ)
時代劇は仰々しくて敬遠しがちなのだがたまにはいいかもしれないと思い、広告を眺めていると一番下に小さく初日プレゼントがあると書かれていた。

初日のプレゼントはよくある販促方法だ。
ポストカードプレゼントはよくあるし、女性が主人公のお洒落っぽい映画では化粧品のサンプルもよく貰ったりする。
月並みだが、私が今までで嬉しかったのは、チョウ・ユンファのハリウッド進出作@リプレイスメント・キラーのユンファの立ち姿の白黒写真だった。

反対に受け狙いとしか思えない意味のない販促グッズを貰うことも多い。単なる語呂合わせだろうが、韓国映画の@銀杏のベット(ハン・ソッキュ主演の時代劇)では銀杏茶のティーバックを貰ったし、タイのホラー映画のアイ(the EYE)を観た時は、初日 プレゼントが何故か@鬼太郎のお父さんの形の棒付き飴だった。このプレゼントもどうかと思うが、隣に座った30歳代後半の男性が上映前からそれをなめ始めたのに更にびっくりする。上映中もずっと美味しそうになめていた。怖さが一挙に半減したのは言うまでもない。

さて来月6日(土)から公開される千年湖の初日プレゼントはなんと「せんねん灸」なのだ。語呂合わせの受け狙いプレゼントだろうが、これがちょっとでもせんねん灸の販促に役立つのだろうか?せんねん灸の宣伝にもならなければ、映画のイメージアップにもならないような気がするのだが・・・

千年湖


ご苦労なことだと思うこと・・・

2005-07-19 21:04:19 | なんということはない日常
以前使用していたメールアドレスには数多くの広告メールとともに、ここ半年程色っぽいメールが大変数多くやってくるようになってしまった。
きりが無いので、今はほぼ休眠アドレスにしてあるのだが、各所の登録につかったりしているアドレスというせいもあり、無視するわけにもいかず、一日に一回はメールボックスをチェックしている。

「ドタキャン・すっぽかしなしで会える方のみ」
「出会いより○○なことをお考えの方」
(さすがの私も○○を入力する勇気はない)
こういうあからさまなのは開けもせずゴミ箱行きなのだが、

「担当させて頂いています」
「Re:お疲れ様です」


担当なんてしてもらってないよ。何にも疲れることなんてないのに・・・そんな風に思っていてもこういうビジネスライクな単語が入っていると、会社員の性だろうか、10通に1通位はついつい開封してしまったりする。

開けた後の脱力感や、怒りの矛先はどこに向けたらいいのだ。

どんな表題だったら開封してもらえるだろうかと、頭をひねっている方々!
この夏の空の下、無数の意味のない色っぽいメールが何万何百万と行きかっているのかと思うと、無駄に使われているエネルギーの事のことを考え胸が痛みます。
表題を考えるエネルギーを是非別の建設的な事に向けてください。

この梅雨も明け、蒸し暑くなるこの時期、脱力感は暑さで感じるだけで十分ですから、もう送らないでください。本当に・・・

玉川上水

2005-07-18 18:53:35 | なんということはない日常
江戸時代、東京の水不足を解消するために玉川兄弟が作った上水道は、その役目が終わってからも埋められず残っている。
最近はちょっとした散歩道としても有名なようで、都内からわざわざリュックサックを背負って散策に来る人もいるようなので、びっくりしてしまう。
雑木林ではあるが、緑に囲まれた勾配のない一本道は歩きやすいし、都内からでも一時間程で来ることが出来る場所だから手頃なのだろう。
私の部屋の南の窓から玉川上水の緑を観る事が出来るのだが、梅雨が終わりかけのこの時期は緑が濃くなり一番綺麗な時期だ。
庭園外にある山などの景物を、庭園の構成要素として取り入れることを借景というらしい。私の部屋は庭園でもなんでもないが、本当にこの時期は玉川上水が自分の部屋の庭のように思えるいい時期だ。

そうはいっても、今日は本当に暑く窓際に置いた温度計は36度を指していた。こうなるといくらクーラーをつけても殆ど温度は下がらない。結局日中は近所のスターバックスにいって涼むことになってしまった。
借景などと喜んでばかりもいられないのだ。

マルチュク青春通り&恋する神父

2005-07-17 11:52:19 | 映画鑑賞
韓流ブームのおかげで、近所の映画館で2本とも観ることが出来た。
他に@マラソンと@人形霊も上映されていたから、12スクリーンのうち、四館で韓国映画を上映していたことになる。時期が丁度重なったとはいえ、これぞまさしくブームなのだろう。

「恋する神父」の原題(シンプスオプ→神父授業の意)は神父も新婦もシンプと発音し、文字表記も一緒だから、神父になりたいクォン・サンウと新婦になりたいハ・ジウォンをかけているだと思うが、そんな凝ったタイトルとは裏腹にお話はなんということはないラブコメディだった。

「マルチュク通り残酷史」という原題を「マルチュク青春通り」という可愛らしいタイトルにしたもう一つのクォン・サンウの主演作は、青春通りといいながらも、結構骨太な映画になっていてびっくりしてしまった。

同じ1970年代後半の釜山を舞台にした映画@友へ~チングを観た時にこんな感想を書いていた。

********
ローラースケート場で流れる@コール・ミー(ブロンディ)を聞いた途端、心の中であの時代を懐かしむスイッチが入る。韓国と日本 若干の違いはあるが(あの時代 日本ではヒロポンはすでに昔のものだったはずだが)主人公あの4人と同じ時代を生きてきた私にとっては、それでもそうそうと頷く思なにかがあった。制服の下にハイネックのシャツを着る男子学生の姿を、私も何度も校内で目にしたものだった。
があんなに何かにイラつき、有り余るエネルギーを持て余していた学生は居なかったように思う。それが日本と韓国の差なのか それとも私が女だからそのもて余るエネルギーの存在に気が付かなかっただけなのか。もうあれから何年も経ち、それを確認する術はない。

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友へ~チングはチャン・ドンゴンが主演の映画だが、この映画から感じた有り余るエネルギーの行き先はどこなのか?と感じた思いと同じ思いをこの「マルチュク青春通り」を観ながら感じた。学生服姿に無理のある出演者もいたが、主演のクォン・サンウの焦燥感は強く伝わって来た。

テコンドー道場を経営する父親からは独裁的な教育を受け、学校でもどこか軍事政権下の香りがする教育が行われている。そんな中行き場の無いエネルギーが暴力に向かっていく様子、それと同時に胸に残る淡い思い。
女子高生への淡い思い、トッポキを食べる店の壁に貼られたリンダ・カーターのワンダーウーマンのポスター、アバの音楽の事を語る様子から感じられる外の世界への憧れは、あの時代を同じように高校生で過ごした私にも分かるものだが、行き場の無い有り余るエネルギーの存在は私には想像することも出来ないものだった。

キム・イングウォンが演じる@恋する神父の神学生役ソンダルと@マルチュク青春通りのチソクとの雰囲気が全く違うのも面白かったし、人気者のウシクを演じるイ・ジョンジンがペ・ヨンジュン似だったのも面白い発見だった。ちなみにこの二人は現在兵役中なのだという。

マルチュク青春通りには男性客もちらほら見えたが、殆どはクォン・サンウファンの観客ばかりだったようで、映画のストーリーとは直接関係もないちょっとした場面でのクォン・サンウの一挙手一投足に、小さい歓声が上がったりしていた。映画館で観る楽しみの一つともいえるが、ちょっと苦笑してしまうことも確かだ。
マルチュク青春通りの上映前には髭を蓄えたクォン・サンウが投げキッスをするコメント映像も観たし、家に帰ってからは録画していた@悲しき恋歌まで観てしまった。
一日中クォン・サンウの姿を見ていることになろうとは、なんとも不思議な1日だったことは確かだ。

女王の教室

2005-07-16 19:15:27 | なんということはない日常
天海祐希が小学校の教師役のドラマ@女王の教室は、なんとも観ていて辛くなるドラマだ。
キャッチフレーズは「悪魔のような鬼教師」らしいが、キャッチフレーズに偽りはなく、性悪説に基づいた教育方針を掲げた綺麗な女教師が女王様の如く教室に君臨する話で、先週はあまりにいやらしい展開に逆に目を奪われ最後まで見てしまった。
映画であれば、2時間我慢すれば作り手側が何を言いたいか分かるが、連続ドラマの場合は少なくとも10週間は同じドラマを観続けなければ結末について語ることは出来ない。
最後まで見れば何か感じるものがあるという確信が持てれば10週間見続けてもいいが、先週見た限りでは作り手が何を伝えたいのか分からなかった。

エンディングはドラマの雰囲気とは打って変わり、宝塚出身の天海祐希を中心に出演者全員が楽しそうに歌い踊る姿が撮影されているが、このエンディングがなかったら、翌週も見ようとは思わないドラマだった。作り手側をそれが分かっているからこそ、エンディングはドラマの内容とは違う雰囲気を持ってきたのだろう。いい方法ともいえるが、おまけで気持ちを引こうとしている気がして、ちょっとルール違反のような気もする。サスペンスドラマではないのだから、もう少し何を描きたいのか、どこへ行きたいのか劇中で描いてくれないと、チャンネルを合わせる気にもならないのだが。

好みの問題もあるだろうが、同じ学校を舞台にしたドラマだったら、金曜日の夜に放送されている阿部寛主演の@ドラゴン桜の方が面白いと思う。「お前ら絶対東大に入れ。受験戦争は日本に残っている唯一の平等だ。」族上がりの弁護士が最低な高校の救世主になるという有り得ない設定で、嘘っぽい描写も多いが、明日も頑張ろうと思えることのほうが今の私には大事なもののように思えるのだ。

ガラスの華 15話

2005-07-14 14:05:47 | 韓国字幕つきドラマ感想
「あなたのお父さんはなんて失礼なの?あんな人のために私は我慢できないの」とドンジュの父親を激しく責め、結婚を拒むジスに「もうこれしか方法がない。明日の午後6時教会に来てくれ。二人だけで結婚式をしよう」とソフトではあるが強引に挙式を望むドンジュ。
このドンジュ、こんな風にソフトではあるが結構押しが強いのだ。演じるイ・ドンゴンの持ち味でもあるのだろうが、この辺が押しの一手のギテと違うところだ。
片やギテは妙に大人しくなり、「誰と結婚しても一緒さ」と政略結婚の相手と結婚をどんどん進めようとしている。
ギテ母は逆にびっくりし、結婚を思いとどまらせようとするのだから、国を問わずどこでも母親の気持ちは複雑なようだ。
(気持ちが複雑なのは分かったがギテ母は結局どうしたいのか?どうしたかったのか?このあたりは謎だ。)

ギテの「結婚するよ。お互い幸せになろう。お互い幸せだったらいつかまた会えるよ。」という告白を聞くことを選択し、ドンジュに待ちぼうけを食わせるジス。
ギテが先週とは打って変わって大人になっている。諦めることによってこんなに大人になっているとは。でも見ている方としては、こんなにあっさりされるのもちょっと拍子抜けだ。先週までは妙に濃いだけだった眉毛が整ってさえいるように見えるのは気のせいか?

ジスもドンジュ父もこの秘密は墓場まで持っていくといっているが、いいのか本当にそれで?この場合ドンジュに知る権利はないのか。ドンジュには罪がないだけにかなりかわいそうだ。このままじゃ 父親のこともジスのことも信じられないまま日本に帰ることになるではないか。
そして揺れる心のドンジュ父は、韓国滞在最期の夜をジスと過ごそうと連絡している。ドンジュ父の気持ちも分からないではないが、今更会ってどうするのだ。ジスにも私たちのことは忘れてくださいといわれているではないか。ドンジュ父自分の取った行動の責任はどんな風に取るつもりなのか。

ドンジュ父の秘密はテヒによって暴かれそうだし、ギテ母がみなの前から姿を消すのも時間の問題のようだが、このドラマ一体どこへ向かおうとしているのか。登場人物は皆どこに行きたいのか?

ドンジュのネクタイの具合
結婚式用の蝶ネクタイゆえ曲がりようがなし。

Tei

2005-07-13 20:20:20 | 韓国ドラマ・映画
綺麗なメロディに乗せて流れてくるハスキーな歌声が特徴的なTeiは、今一番気に入っている韓国の歌手だ。

去年のGW 韓国へ行った時、留学中の知人Cさんの「私の一番のお勧めです」という一言に心引かれ韓国行きの記念にと2004年の1月に発売されたばかりのファーストアルバム@The first journey(韓国式にいうと1集というのだろうか)新村(シンチョン)のシンナラレコードで購入したのがファンになったきっかけだった。

森進一の声をもう一回り太くしたような非常にハスキーな声が、繊細なメロディにのって流れてきたのに意表をつかれ、(特にタイトル曲の 사랑은...향기를 남기고(愛は香りを残して)の印象的なメロディにびっくりする)何度も繰り返し聞いていたのだが、辞書を引きつつ歌詞を調べてびっくりしてしまった。
향기(香りの意)ヒャンギという言葉から優しい歌を連想していたのだが、どうしてどうして「この別れは如何することも出来ないんだね。君を忘れられないよ。いつになったら君を忘れられるのか?」と潔さとは正反対の未練たっぷりの歌だったのだ。

しかし「一生に一度くらいはこんな風に熱く想われて見たいものだ」と思わせる力のある、ハスキーな歌声にすっかりだまされ、1年以上経った今でも繰り返し聞き返す大好きな歌になってしまった。

来月には大阪で単独ライブの予定があるという。美しいけれど、男らしいとは言い難い歌詞の歌を生で聞くために大阪まで足を運んでしまいそうだ。

K-WAVEへようこそ(K-POP)

Tei-君と僕の愛の歌

仏教・神道・儒教集中講座

2005-07-12 13:06:12 | なんということはない日常
学校の授業で習った固有名詞をかろうじて覚えているだけで、その言葉の持つ意味などもう何年も考えていなかった私には最適の書だった。

「縁起の悪いことは口にするものではない」「死んだ人の悪口を言うものではない」小さい頃両親にこんなことをよく言われたものだ。
子どもの頃繰り返し注意されたことは、大人になっても心の片隅に残り、更に意識はしておらずとも知らず知らずのうちにどこかでその考えにとらわれているものだということを改めて思い知らされる。

こんなことから始まり、宗教について非常に分かり易く書いているいるので、深く追求したい人には物足りない箇所も多いのだろう。しかし物事の大半をいい加減に記憶している私には丁度良い本だった。

勿論この本に書いてあることがすべて正しいというわけではないはずだ。ただこの本を読んだことをきっかけに、自分の考えをまとめるチャンスは出来るだろう。

この本の最後で著者は「だからこそ靖国参拝は行うべき」という風に書いているが、私自身はこの本を読んだ後もその意見には懐疑的だ。「和を以って尊しとなす」とするなら、相手が例え日本人でなくても「和」という心を持って相手の立場を考えるべきではないのか?「靖国へは参拝します」と言い切っているのをニュースで見るたびに「人の嫌がることはするものではない」と小さい頃よく注意されたのを思い出してしまうのだ。


仏教・神道・儒教集中講座

徳間書店

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