アンドレアが残したウナ宛の手紙を自分が隠してしまったことをアンドレア本人に知られたからか、それともアンドレアが帰国したことでまたウナが自分のもとから又去ってしまうのを恐れたのか、不安にかられ、ウナにキスをするウジン。(ウジンの背に手を添えようともせず、指先に力を入れ、泣き出すのを我慢するキスシーンを見ることになるとは思わなかった。されるほうもするほうも辛いシーンだ。大体拒否されているがわかっていながら、気づかない振りをし、キスする寂しさがどんなものなのか・・・・。ウナだけでなくウジンも泣きたい気持ちで一杯だろう。アンドレア派の私もこのシーンではかなりウジンに同情する。)
揺れる心を隠しつつ、涙も流すことが出来ず、子どもを抱くことも出来ない心の病のまま、医師として治療を続けようとるするアンドレアを手伝うウナ。
ウナと連絡が取れないからと教会を訪ねたウジンに、シスターは何にも知らないとはいえ、「これはアンドレア神父が好きな人にあげたネックレスなんですよ。」などと不用意な一言を発してしまう。
以前ウナが身に着けていたネックレス対する、ウナとアンドレアの想いを再確認し、益々動揺をするウジン。
ウナは雨の中ウジンのもとをたずねて話をしようとするが、偶然ウジンが捨てずに取っておいたアンドレアのあの手紙を見つけてしまうのだ。
ウジン何故捨てずにガウンのポケットなんかに入れておいたのだ。
アンドレアは心の病のはずなのに、ウナへの視線がなぜあんなに暖かいのか。ウナも傷ついているのを隠しながら、「もう少し神父になるのを遅らせてこのままでいて」なんて泣かせることを言うし。
「私が死ぬのを見ても、心の病気だったらきっと悲しくないはず。だから心の病気が治らないといい。」
「ここで泣かないでどこで泣く」というシーンが延々と続くのだ。
アンドレアと軽口を叩き合うシーンでさえ、ウナの気持ちを考えたら・・・・
自転車に乗る二人の姿も、昔の幸せな頃が思い出されて見ているだけでもらい泣きだ。
ウナは両親も死に、自分も不治の病に罹り、そして愛するアンドレはは神父になるといい、本当に不幸のてんこ盛り人生なのに、何でこんなに強いのか。二人のウジンの前で涙もみせず、淡々と残りの人生を過ごそうとしているのだから。
アンドレア 早くウナの病気に気づいて、神父になるのを諦めてあげないと。神に仕えるより、自分の愛する人のために生きたほうが、何倍も神の意思に近いと思うのだが・・・
それにしてもアンドレアの神父姿が凛々しいのでびっくりである。ありえない偶然ばかりのドラマであるが、彼の神父姿の凛々しさでどれ程救われているか。
揺れる心を隠しつつ、涙も流すことが出来ず、子どもを抱くことも出来ない心の病のまま、医師として治療を続けようとるするアンドレアを手伝うウナ。
ウナと連絡が取れないからと教会を訪ねたウジンに、シスターは何にも知らないとはいえ、「これはアンドレア神父が好きな人にあげたネックレスなんですよ。」などと不用意な一言を発してしまう。
以前ウナが身に着けていたネックレス対する、ウナとアンドレアの想いを再確認し、益々動揺をするウジン。
ウナは雨の中ウジンのもとをたずねて話をしようとするが、偶然ウジンが捨てずに取っておいたアンドレアのあの手紙を見つけてしまうのだ。
ウジン何故捨てずにガウンのポケットなんかに入れておいたのだ。
アンドレアは心の病のはずなのに、ウナへの視線がなぜあんなに暖かいのか。ウナも傷ついているのを隠しながら、「もう少し神父になるのを遅らせてこのままでいて」なんて泣かせることを言うし。
「私が死ぬのを見ても、心の病気だったらきっと悲しくないはず。だから心の病気が治らないといい。」
「ここで泣かないでどこで泣く」というシーンが延々と続くのだ。
アンドレアと軽口を叩き合うシーンでさえ、ウナの気持ちを考えたら・・・・
自転車に乗る二人の姿も、昔の幸せな頃が思い出されて見ているだけでもらい泣きだ。
ウナは両親も死に、自分も不治の病に罹り、そして愛するアンドレはは神父になるといい、本当に不幸のてんこ盛り人生なのに、何でこんなに強いのか。二人のウジンの前で涙もみせず、淡々と残りの人生を過ごそうとしているのだから。
アンドレア 早くウナの病気に気づいて、神父になるのを諦めてあげないと。神に仕えるより、自分の愛する人のために生きたほうが、何倍も神の意思に近いと思うのだが・・・
それにしてもアンドレアの神父姿が凛々しいのでびっくりである。ありえない偶然ばかりのドラマであるが、彼の神父姿の凛々しさでどれ程救われているか。