ロンドンでのサミットを標的にしたテロは、多くのイギリス市民を巻き添えにした。さっそく、サミットでは、反テロでの一致した行動が確認された。コイズミさんも反テロの国際共同行動を支持した。
イラクでの自衛隊の活動。それに対する治安維持をイギリス軍に任せている。そのイギリスが、テロ行為によって多くの犠牲者を出す、という事態になったため、今年末にも予定されていた撤退も難しくなった、と公然といわれ始めた。
反テロ行動でサミット参加国が一致した上、日本の自衛隊だけが、これを機会に撤退というわけにはいかない、と。コイズミさんは、こうしたテロに対して、決して屈しない、自衛隊の撤退はあり得ない、と即座に断言した。
また、与党内からは公明党も含め、テロの脅しには屈しない、撤退することや撤退を表明することは、テロに屈したことになる、とまたしても強行意見が出され始めた。現地の自衛隊の主たる目的であった、給水支援活動はほぼ完了し、撤退のタイミングを探り始めたともいわれた事態が、ここにきて急に後戻りしたのだ。自衛隊の撤退はありえないと。
イギリス軍への直接的な攻撃にとどまらず、遠い本国の国民が、テロの標的になるという事態の中で、こうした強行意見は、いったい何を招くか。まして、コイズミさんの発言はどういう事態を生じるか、このことに思いをはせて、責任ある発言を政治家たちはしているのだろうか。
そもそも、大義名分の多くが虚偽であったとされた、アメリカ・イギリス軍を中心とした、イラク侵攻。ブッシュのしかけた「正義の」戦争によって殺され、傷ついたイラク国民も多い。いまだに戦後処理も思うに任せない、イラクの現状。報復とそれに対する掃討作戦。それに対する自爆テロ・・・。そのたびに多くの子どもを含めた市民が犠牲者となっている。
しかし、日本はただアメリカの意向にそって行動するばかり。アメリカ民主主義を賛美し、絶対化し、その価値基準を日本に、世界に適用しようとする政治家。本場のアメリカ民主主義は、ますます貧富の差が広がり、閉塞感に満ちているにも関わらず、相変わらずバラ色の幻想を振りまいている一部の評論家たち。
自分たちの民主主義のみを信奉し、それを唯一の基準として他国の「遅れた」国々に、その「理念・やり方・幻想」を輸出するアメリカ合衆国。勝ち組・負け組という言葉が、常に現実のものとなっている、競争社会そのもののアメリカ。おそらくは、アメリカ民主主義を賛美する人々は、自分はけっして負け組にはならない、というすぐれた健康と知恵を持った人々なのだろう。
しかし、アメリカ民主主義だけが、世界に通用する民主主義体制ではないということは、自明である。世界の国々で、民族で、自分たちにふさわしい政治・経済・教育体制をつくって来ている。そして、それぞれの体制を批判し、よりよい社会にしようというのは、その国の国民に委ねられている。
勿論、その国での、少数民族への不当な圧迫、政治的自由の保障のない社会、敵対者に対する弾圧(監禁・拷問・処刑・・・)、こうした事が起こった場合、その国の人々への国際的支援活動・監視活動は大変重要である。しかし、それだけが正義の味方ではない。
国際世論によって、その国の政治体制・非民主的な体制を打破する・包囲する(経済封鎖などの手段)。そうした中で、あくまでもその国の政治を変えていくのは、その国の人々である、この原則を忘れてはならない。他国の武力弾圧によっては、解決しないのである。それは、100年を持たずに崩壊した旧ソ連の姿を見れば明らかである。そこに、今回のイラク侵攻のあやまりがある。
だから、今回のテロに対して直対応することで、今度は、日本の市民が犠牲になることもありうるのだ。その対策のため、かつて9・11以後にとられた、駅や電車内での警戒が強まってきた。そのこと自体、国民の生命を守るために、国家として当然やらなければならない対応策だ。 しかし、そうした警戒の間隙を縫って、万が一、日本国内でテロ行為が起きた場合、テロに屈するな、国民の死・怪我を無駄にするな、自衛隊への攻撃を許すな、というような、感情的な反発・挑発はなしにしていくしかない。今や、イラクの自衛隊への攻撃がいつ起きてもおかしくない情勢である。反自衛隊テロを未然に防ぐためにも自衛隊即時撤退も、その重要な方法だ。
国際政治の中で、日本として、発言すべき内容・行動を改めて考えるべきだ。
イラクでの自衛隊の活動。それに対する治安維持をイギリス軍に任せている。そのイギリスが、テロ行為によって多くの犠牲者を出す、という事態になったため、今年末にも予定されていた撤退も難しくなった、と公然といわれ始めた。
反テロ行動でサミット参加国が一致した上、日本の自衛隊だけが、これを機会に撤退というわけにはいかない、と。コイズミさんは、こうしたテロに対して、決して屈しない、自衛隊の撤退はあり得ない、と即座に断言した。
また、与党内からは公明党も含め、テロの脅しには屈しない、撤退することや撤退を表明することは、テロに屈したことになる、とまたしても強行意見が出され始めた。現地の自衛隊の主たる目的であった、給水支援活動はほぼ完了し、撤退のタイミングを探り始めたともいわれた事態が、ここにきて急に後戻りしたのだ。自衛隊の撤退はありえないと。
イギリス軍への直接的な攻撃にとどまらず、遠い本国の国民が、テロの標的になるという事態の中で、こうした強行意見は、いったい何を招くか。まして、コイズミさんの発言はどういう事態を生じるか、このことに思いをはせて、責任ある発言を政治家たちはしているのだろうか。
そもそも、大義名分の多くが虚偽であったとされた、アメリカ・イギリス軍を中心とした、イラク侵攻。ブッシュのしかけた「正義の」戦争によって殺され、傷ついたイラク国民も多い。いまだに戦後処理も思うに任せない、イラクの現状。報復とそれに対する掃討作戦。それに対する自爆テロ・・・。そのたびに多くの子どもを含めた市民が犠牲者となっている。
しかし、日本はただアメリカの意向にそって行動するばかり。アメリカ民主主義を賛美し、絶対化し、その価値基準を日本に、世界に適用しようとする政治家。本場のアメリカ民主主義は、ますます貧富の差が広がり、閉塞感に満ちているにも関わらず、相変わらずバラ色の幻想を振りまいている一部の評論家たち。
自分たちの民主主義のみを信奉し、それを唯一の基準として他国の「遅れた」国々に、その「理念・やり方・幻想」を輸出するアメリカ合衆国。勝ち組・負け組という言葉が、常に現実のものとなっている、競争社会そのもののアメリカ。おそらくは、アメリカ民主主義を賛美する人々は、自分はけっして負け組にはならない、というすぐれた健康と知恵を持った人々なのだろう。
しかし、アメリカ民主主義だけが、世界に通用する民主主義体制ではないということは、自明である。世界の国々で、民族で、自分たちにふさわしい政治・経済・教育体制をつくって来ている。そして、それぞれの体制を批判し、よりよい社会にしようというのは、その国の国民に委ねられている。
勿論、その国での、少数民族への不当な圧迫、政治的自由の保障のない社会、敵対者に対する弾圧(監禁・拷問・処刑・・・)、こうした事が起こった場合、その国の人々への国際的支援活動・監視活動は大変重要である。しかし、それだけが正義の味方ではない。
国際世論によって、その国の政治体制・非民主的な体制を打破する・包囲する(経済封鎖などの手段)。そうした中で、あくまでもその国の政治を変えていくのは、その国の人々である、この原則を忘れてはならない。他国の武力弾圧によっては、解決しないのである。それは、100年を持たずに崩壊した旧ソ連の姿を見れば明らかである。そこに、今回のイラク侵攻のあやまりがある。
だから、今回のテロに対して直対応することで、今度は、日本の市民が犠牲になることもありうるのだ。その対策のため、かつて9・11以後にとられた、駅や電車内での警戒が強まってきた。そのこと自体、国民の生命を守るために、国家として当然やらなければならない対応策だ。 しかし、そうした警戒の間隙を縫って、万が一、日本国内でテロ行為が起きた場合、テロに屈するな、国民の死・怪我を無駄にするな、自衛隊への攻撃を許すな、というような、感情的な反発・挑発はなしにしていくしかない。今や、イラクの自衛隊への攻撃がいつ起きてもおかしくない情勢である。反自衛隊テロを未然に防ぐためにも自衛隊即時撤退も、その重要な方法だ。
国際政治の中で、日本として、発言すべき内容・行動を改めて考えるべきだ。