先日開かれた「東京都教育委員会」の席上で、いわゆる「つくる会」の歴史と公民の教科書が来年開校の中高一貫校と盲聾養護学校の中学1年生の教科書として採択された。
「つくる会は、大喜び。何しろ、8月末と予想されていた、採択の為の委員会が1ヶ月も前倒しになり、これから始まる、区段階での採択を前にして、採択されたからだ。「つくる会」は、今の各教科書会社発行の歴史教科書を「自虐史観」に基づくものと批判し、採択に執念を燃やしてきた。
これに賛同する自民党員や新宗教などの信者によって組織された会が、各地の議会へ教科書採択に関する請願運動を繰り広げた。一方で、こうした動きに反対する人々が、各教育委員会などに採択反対の署名や申し入れを行ってきた。そうした中で、東京都教育委員会は6名の教育委員全員一致で、扶桑社の教科書を採択したのだ。
小生は、「つくる会」の教科書を読んだり、評論を見聞きする限り、この教科書を貫く歴史観には批判的であり、また公民の教科書についてもその思想・考え方には賛成できない。だから、今回の都教委の決定には抗議したい。
さて、今、「教科書無償法」によって、小学生・中学生の教科書については、無償となっている。いわば、税金で教科書を購入し、児童生徒に配給してしていることになる。そのために、広域採択を行うことで、教科書の安定的供給につなげていく。一方これは、教科書会社にとっては死活問題でもある。
そのため、文科省の検定を通った各社の教科書が、どこにどれくらい採択されるか。それが、自らの会社の経営そのものに響いてくる。
もともと限られた土俵の上で、自由競争の名のもと、現場教師の声、専門委員の意見などを参考にしながら、どの社の教科書を採択するかの決定がなされる仕組みである。
これまでのそうしたやり方が、今、まさに政治的な言動によって左右され、「つくる会」の教科書を採択するよう、政治レベルで発言がなされるようになった。とりわけ、現職の文科相があたかも「つくる会」教科書を採択したほうがよいかのごとき発言をしばしば意図的に行う。また、地方レベルでも、知事や市長が積極的に採択の発言をする。
しかし、特定の民間会社の製品を積極的に推薦し、働きかける。このようなことが、他の分野で行われたとしたら、これは間違いなく違法(脱法)行為ではないだろうか。まさに教育現場が、違法(脱法)そのものの場と化してしまったのではないか。
今回の採用に関して、来年開校予定のある中公一貫校の関係者がいみじくも「この問題は、教育の問題ではなく、政治の問題だ。」とため息をつき、「自分たち現場の思いとは無縁になっている。」と。「はなっから扶桑社にすることをもう上では決まっているのだから。」とまで発言している。
この発言の重みを教育委員会、また今回の決定を歓迎する「つくる会」はどう受け止めているのだろうか。
教科書を用いての授業の中でも、中学生を前にして、ますます混乱が起こること、必至である。その中で、今度は、この教科書をどう教えるかで上からの指導の強化と、それへの反発する教師の間で、現場が混乱することを覚悟しなければならない。
それを力づくでも押し切ってやっていこうというのが、今回の都教委の決定であり、それは、間違った覚悟である。
「つくる会は、大喜び。何しろ、8月末と予想されていた、採択の為の委員会が1ヶ月も前倒しになり、これから始まる、区段階での採択を前にして、採択されたからだ。「つくる会」は、今の各教科書会社発行の歴史教科書を「自虐史観」に基づくものと批判し、採択に執念を燃やしてきた。
これに賛同する自民党員や新宗教などの信者によって組織された会が、各地の議会へ教科書採択に関する請願運動を繰り広げた。一方で、こうした動きに反対する人々が、各教育委員会などに採択反対の署名や申し入れを行ってきた。そうした中で、東京都教育委員会は6名の教育委員全員一致で、扶桑社の教科書を採択したのだ。
小生は、「つくる会」の教科書を読んだり、評論を見聞きする限り、この教科書を貫く歴史観には批判的であり、また公民の教科書についてもその思想・考え方には賛成できない。だから、今回の都教委の決定には抗議したい。
さて、今、「教科書無償法」によって、小学生・中学生の教科書については、無償となっている。いわば、税金で教科書を購入し、児童生徒に配給してしていることになる。そのために、広域採択を行うことで、教科書の安定的供給につなげていく。一方これは、教科書会社にとっては死活問題でもある。
そのため、文科省の検定を通った各社の教科書が、どこにどれくらい採択されるか。それが、自らの会社の経営そのものに響いてくる。
もともと限られた土俵の上で、自由競争の名のもと、現場教師の声、専門委員の意見などを参考にしながら、どの社の教科書を採択するかの決定がなされる仕組みである。
これまでのそうしたやり方が、今、まさに政治的な言動によって左右され、「つくる会」の教科書を採択するよう、政治レベルで発言がなされるようになった。とりわけ、現職の文科相があたかも「つくる会」教科書を採択したほうがよいかのごとき発言をしばしば意図的に行う。また、地方レベルでも、知事や市長が積極的に採択の発言をする。
しかし、特定の民間会社の製品を積極的に推薦し、働きかける。このようなことが、他の分野で行われたとしたら、これは間違いなく違法(脱法)行為ではないだろうか。まさに教育現場が、違法(脱法)そのものの場と化してしまったのではないか。
今回の採用に関して、来年開校予定のある中公一貫校の関係者がいみじくも「この問題は、教育の問題ではなく、政治の問題だ。」とため息をつき、「自分たち現場の思いとは無縁になっている。」と。「はなっから扶桑社にすることをもう上では決まっているのだから。」とまで発言している。
この発言の重みを教育委員会、また今回の決定を歓迎する「つくる会」はどう受け止めているのだろうか。
教科書を用いての授業の中でも、中学生を前にして、ますます混乱が起こること、必至である。その中で、今度は、この教科書をどう教えるかで上からの指導の強化と、それへの反発する教師の間で、現場が混乱することを覚悟しなければならない。
それを力づくでも押し切ってやっていこうというのが、今回の都教委の決定であり、それは、間違った覚悟である。