おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

『三島由紀夫が死んだ日』

2005-07-12 22:58:37 | 読書無限
 三島由紀夫が死んで35年。今年の4月から6月にかけて開かれた「三島由紀夫回顧展」記念のアンソロジー。映画監督の篠田正浩さん他が、それぞれ三島由紀夫の死の意味を語っている。
 1970年。小生、まだ若かりしころの出来事。新聞紙上で、生首が二つ置かれた写真に大きなショックを受けた記憶がある。死(体)、それも胴体から切り離された首というものの生々しさに。
 また、ある縁で、三島の檄文が警視庁筋からすぐ入手でき、その内容(感情のみうわずっていて内容がなかったという印象が強い)よりも字体・文体に興味を持った覚えがある。死の直前にものした文章であるがために。
 そうそう、彼が書いた遺作の『豊饒の海』4巻のうち、「暁の寺」と「天人五衰」(これは、死後の発刊のはず)の2巻を初版で購入したこともあった。そのころ、「楯の会」をはじめとする三島由紀夫の行動の特異性に興味をもったのだ。その少し前、「憂国」というきわめて死とエロスが交錯した彼の映画に衝撃を受けたこともあった。
 少しばかり学生運動に関わった小生だったが、何となく三島の言動におかしな印象を感じていたし、おそらく死ぬのではないか、というような直感もあったように思う。そこで、この際、初版本を買っておこう、とういうまさに動機不純の読者でもあった。今でも、そのころ買った、三島の本は書棚に置いてあるが。
 時あたかも70年。前年の10・21国際反戦デーにおける、「新宿騒乱事件」などを一つの頂点として、全共闘運動が次第に勢いを失いつつあった時期。一方で、大阪で万博が開かれ、街頭からは三波春夫の「こんにちは」の歌声が溢れていた。
 小生、当時は、学生時代のある種の高揚感もおさまり、一方で、社会人として、組合運動にもかかわり始めた頃でもあった。おそらく当時の10代~30代くらいの、ちょっと文学に興味を持っていたり、70年安保闘争に参加していた、人々には衝撃的な出来事として三島の死は受け止められただろう。ただ、三島の割腹自殺に左翼が衝撃をうけ、中には、負けたと感想を言った事に対しては、かなりの違和感を持ったことを、昨日のことのように覚えている。あれごときで負けた、とはいったいあなた方は何をしてきたのですか、という思いが。
 あれから、もう35年経った。小生も齢を重ねた。
 こうした書物の特徴として、どの執筆者も、三島の死の意味を当時の置かれた自らの立場・感情をもとに、現在の日本の状況を踏まえて述べる、という形式にならざるをえない。言ってみれば、底の浅い読み物になってしまいがちだ。それもしかたがないことだろう。
 久々に三島由紀夫に関する本を手にして、ふと濫読だった青年時代もまた懐かしく思い出した。それは、執筆者のそれぞれの生き方・今の姿勢に対する、小生の思いともまたオーバーラップしていく。
コメント (1)
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