(事後)強盗殺人という大罪を犯したミシェルが無事でいられるわけもなく、新聞各紙には大々的に彼の写真が載るようになる。
このあたりは、「いつも新聞ばかり読んでいるミシェル」と「ジャーナリスト志望でニューヨーク・ヘラルド・トリビューンの売り子であるパトリシア」という設定が効いている。
さて、「認識と行動の先送り」というパトリシアの規範には、重要な例外がある。
それは、「自分の自由と独立を守る」場合である。
彼女がジャーナリストを目指しているのは、
”ça me sert d'avoir de l'argent et d’être libre des hommes” (お金を手に入れるのと男たちから自由でいられる)
(p76)ためだった。
つまり、彼女にとっては、金と男からの「自由と独立」こそが至上命題であり、「認識と行動の先送り」は、むしろそれを実現・維持するための規範だったのである。
”Je ne veux pas être amoureuse de toi.” (私はあなたを愛したくない)(p100)
”Je veux que les gens ne s'occupent pas de moi.” (私は他人に支配されたくない)(p102)
ついに彼女は、ミシェルを「愛さない」という決断を下し、彼の居場所を刑事に通報する。
ここでパトリシアは、決然として「認識と行動」に転じたのである。
これに対し、ミシェルは、
”...en ce moment, c'est que je ne devrais pas penser à elle et j'y arrive pas..” (考えまいとしても、今は彼女のことしか考えられない)(p104)
状態に陥り、「自由と独立」を失う。
ボギーに憧れてアメ車を盗み、アメリカ人女性を愛してしまったアメリカかぶれのミシェルは、なんとも皮肉なことに、「自由と独立」というアメリカ精神を体現するパトリシアの裏切りに遭い、死に至る。
こういう風に考えていくと、ラストのパトリシアのセリフ:
”Qu’est ce que c'est dégueulasse ?” (「最低」って何のこと?)(p106)
は、彼女の表情・仕草と相俟って、「あんたにそんなこと言われる筋合いはないわ」という意味であるように思えてくるのである。
このあたりは、「いつも新聞ばかり読んでいるミシェル」と「ジャーナリスト志望でニューヨーク・ヘラルド・トリビューンの売り子であるパトリシア」という設定が効いている。
さて、「認識と行動の先送り」というパトリシアの規範には、重要な例外がある。
それは、「自分の自由と独立を守る」場合である。
彼女がジャーナリストを目指しているのは、
”ça me sert d'avoir de l'argent et d’être libre des hommes” (お金を手に入れるのと男たちから自由でいられる)
(p76)ためだった。
つまり、彼女にとっては、金と男からの「自由と独立」こそが至上命題であり、「認識と行動の先送り」は、むしろそれを実現・維持するための規範だったのである。
”Je ne veux pas être amoureuse de toi.” (私はあなたを愛したくない)(p100)
”Je veux que les gens ne s'occupent pas de moi.” (私は他人に支配されたくない)(p102)
ついに彼女は、ミシェルを「愛さない」という決断を下し、彼の居場所を刑事に通報する。
ここでパトリシアは、決然として「認識と行動」に転じたのである。
これに対し、ミシェルは、
”...en ce moment, c'est que je ne devrais pas penser à elle et j'y arrive pas..” (考えまいとしても、今は彼女のことしか考えられない)(p104)
状態に陥り、「自由と独立」を失う。
ボギーに憧れてアメ車を盗み、アメリカ人女性を愛してしまったアメリカかぶれのミシェルは、なんとも皮肉なことに、「自由と独立」というアメリカ精神を体現するパトリシアの裏切りに遭い、死に至る。
こういう風に考えていくと、ラストのパトリシアのセリフ:
”Qu’est ce que c'est dégueulasse ?” (「最低」って何のこと?)(p106)
は、彼女の表情・仕草と相俟って、「あんたにそんなこと言われる筋合いはないわ」という意味であるように思えてくるのである。